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2019/07/14

水と医療と安全と(再び)

*過去に書いたブログをクリニック通信に掲載したところ,とても大きな反響をいただきましたので,今回Version upして再度掲載します.(手抜きですみません(笑))

   先日,上映中の邦画「空母いぶき」を観てきました.

  令和の時代が幕明けし,誰しもが今後も平和な時代が続いていくことを願っていますが,国際情勢がかつてなく不安定な昨今,深く考えさせられる映画でした.

  戦後の奇跡的復興による繁栄と平和を謳歌し,紛争やテロは遠い世界のことだと感じてきた我々日本人は,「水と安全はタダ」だと思っているなどと揶揄されるようことがあります.
  けれども,すでに2013年のアルジェリア人質事件,2016年のダッカ襲撃事件などで,何人もの日本人が殺害され,日本人の意識改革が迫られています.

  水道をひねれば飲むことさえ出来る水が出て,スイッチを押せば電気がついてガスが出る.電車やバスはほぼ間違いなく定刻通りに駅に到着し,交通規則はきちんと守られている.銀行や店でおつりをごまかされることはないし,最近少し治安が怪しくなったとはいえ,レストランで場所取りのためにカバンを椅子に置いても盗まれることはまずなく,道を歩いていていきなり殺されるようなことなど滅多にない…
 
  格差社会とはいっても,小中学校に行けない子供はほとんどいないし,職種さえ選ばなければ仕事が全くないということもなく,生活保護制度があるので最低限の生活は何とかなり,ホームレスが餓死するようなことはニュースになるほど珍しい…こんな当たり前のことが,実は日本以外の国では全く当たり前でないのは言わずもがなです.

  さらにこのことは,医療についても当てはまります.離島や僻地など医療過疎の問題はあるにしても,医療の恩恵に全くあずかれないような地域はほぼ皆無で,血液検査やレントゲンや胃カメラのような基本的検査は言わずもがな,CTやMRIなどの高度な検査や大きな手術でさえ,いつでもどこでも,そしてどんな人でもほぼ平等に受けられます.医療レベルは世界屈指で,しかも世界に誇る国民皆保険制度によって,どんなに高度な医療でも少ない自己負担で,しかもフリーアクセスで受けられ,医療を受けられずに命を失うようなこともそう滅多にない.
 
  かつて海外在住邦人医療相談という事業に参加し,3週間ほどケニアやタンザニアなどのアフリカ諸国を訪れ,医療施設も視察したことがありますが,一流といわれる病院でも日本とはソフトハードとも雲泥の差で,まともな医療を受けられるのは金持ちのみ,それでも心臓外科のような大きな手術が必要になれば国外で受けざるを得ないというような事情を聴き,唖然としたのを忘れられません.

  作家の曽野綾子氏は,水道や電気やインターネットや公共交通など,高度に発展した社会インフラと,世界に類をみない治安の良さに恵まれている私たち日本人は,あまりにもそれを当然のこととして慣れてしまい,そのありがたさ,そして自分の身を守るすべや意識を忘れてしまったのではないかと述べています.
 
  私は,医療に関しても同じことで,世界広しといえど,これだけすぐれた医療技術とシステムの恩恵にあずかっている国は日本以外にはないのだということを日本人はいま一度認識すべきだと思います.病院食がまずいとか,待ち時間が長いとか,職員の対応が悪いとか,医療過誤だとか,そういったことばかりがクローズアップされ,バッシングの対象にさえなる今の日本の医療,私はそれらが些細なことだというつもりは毛頭ありませんが,よく言えば医療の質がどんどん上がってサービス業というレベルまで昇華されてきた証であり,悪く言えば,日本人はそれだけ贅沢になってしまったのだと感じています.

  実は今,少子高齢化や医療費の増大で,この国民皆保険制度は崩壊の危機にさらされています.政府は入院期間の短縮,在宅医療の推進,ジェネリック薬品の推奨,薬価の引き下げなど,様々な施策で対処していますが,焼け石に水といったところで,このままでは近い将来,我が国も米国のように民間保険主導にシフトせざるを得なくなり,そうなればまさに受けられる医療を松竹梅で選ばざるを得なくなるかもしれません.

  我々日本人は,「水と安全」のみならず,「医療」も決してタダではなく,先人の血のにじむような努力によって築きあげられてきた貴重な財産であることに思いを馳せ,そしてその財産を守り続けていくためには,そのありがたみをしっかり認識する必要があるのではないでしょうか.



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2019/06/15

「気」を出して健康に!

  私は漢方専門医ではありませんが,開業してから漢方薬の素晴らしさに魅了されてそれなりに独学で学び,日常診療で多用しています.

  気血水の考え方で治療を行う漢方では,心身を巡るエネルギーのようなものを「気」と考えます.これは,元気,勇気などの「気」とほぼ同じことで,元気のない状態,エネルギーが足りないガス欠のような状態のことを「気虚」といいます.
  こういう概念は西洋医学にはなく,例えば倦怠感を訴えて受診しても,血液検査やレントゲンなど様々な検査をしても異常が見つからなければ,原因不明とかストレスとか言われるだけで全く太刀打ち出来ず,挙げ句の果てには心療内科に送られたりするわけです.

  しかし西洋医学的に原因が見つからなくても病気でないとは言えないわけで,これを東洋医学的に気虚と考え,「気」を充填するような方策を取れば対処できるかもしれません.

  例えば,風邪が長引いてしんどそうにして来院される方はまさに気虚が多く,診察室に入って来る様子でそれがわかります.足取りが重く,目に生気がなく,声がボゾボソして,姿勢も悪くなっている.
  聞けばもう2週間も風邪薬を飲んでいるなどと言われるのですが,こんな時期に,急性期に使うべき解熱鎮痛剤や総合感冒薬をダラダラのんだり,ましてや風邪には効かない抗生物質も飲んでいたり,しかも,体力をつけるためにとか,はたまた月謝がもったいないからとしんどさを堪えてジムに行ったりしている人さえいます.
  でもこれでは治るはずがないのです.

  こういう時は,なによりも「気」,すなわちエネルギーを充填してあげることが大事で,風邪は三日三晩寝ていれば治るといわれる通り,しっかりと栄養のある物を食べてひたすら寝て安静にしていることが効果的なのですが,忙しい現代人にはそれもかなわないため,補気剤といわれる補中益気湯のような漢方を飲んでいただいたりするとかなりの確率で改善し,やはり気虚だったのだということを再認識させられます.

  ところで,長年私がやっている合気道では,この「気」ということを,とことん教え込まれます.
  武道というと,アドレナリンを出しまくって相手をやっつけるというイメージがありますが,合気道は相手の動きに無理に逆らわず無力化するため,無駄な力は極力使いません.むしろ 合気道の技を効かせるためには,常に臍下の一点(臍下丹田ともいいます)に心を鎮めてリラックスし,「気」を出すことが基本です.
「気」の出ている盤石の姿勢をとると,どんな体勢においても相手から多少押されたり引かれたりしてもびくともしませんし,次の動きに素早く移れ,技も容易に効きます.

  実はこれは他の武道あるいはスポーツなどでも通じることで,あの王選手はじめ多くの有名スポーツ選手が「気」の理論を取り入れて成績が劇的に伸びたことは有名です.

  病は気から,というのは言い得て妙で,「気」の出た人や気力の充実している人は病気になりにくく,なっても回復しやすいと感じます.

  もちろんそれだけで全ての病気が予防や治療できるわけではありませんが,いつも「気」が引っ込んでしまっている人,くよくよと不平不満ばかり言う人,ネガティブな人は,治癒も遅く,次から次へと病気を呼び込んでいる印象がぬぐえません.
逆によく明るく笑う人,声のしっかりした人,背筋をまっすぐ伸ばしてまっすぐ前を向いて歩いている人,何事も前向きに捉えてて決してネガティブな言葉を発しない人は,やはり「気」が充実していて,病気の回復も早いと感じます.

  外科医として長年数多くの患者さんの手術に関わってきた経験からしても,病気になってしまったことを悔いてくよくよしたりせず,それを治そうとする強い意欲や社会復帰後の明確な目標を持っている人は,そうでない人と比べて明らかに術後の回復が早いことを身を以て実感していました.やはり「気」の出ている人は,免疫能が高まっているというのは本当なのでしょう.

  不幸にして白血病にみまわれて闘病中の池江璃花子選手も,報道されている彼女の言動が本当ならば「気」がしっかりと充実していると思いますので,きっと驚異的な速さで復帰するのではないかと思います.

  私も,齢六十を超え,若い時と比べ種々の面で衰えを感じます.誰でも加齢には逆らえないので当たり前なのですが,「気」を出す生活を送ることにより少しでも長く心身ともに健康でありたいと思います.


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2019/05/12

癒しのベトナム

  この10連休は真ん中の2日間のみ診療を行い,後半はかみさんとベトナムのダナンに4泊の旅行に行ってきました.

  ベトナム中部にある人口約120万人の大きな港町ダナンは,近代的なビルが立ち並ぶ中,道々には多くのバイクが所狭しと走り回り,少し路地を入れば数多の露店が歩道を埋めつくしたりして,アジアの雑踏を身近に感じられます.他のアジアの発展途上国と同様若い人たちが多く,街全体が大きな活力に満ちているのを肌で感じられました.
  また南シナ海沿いは一大リゾート地として,今回宿泊したナマンリトリート(Naman Retreat )始め多くのリゾートホテルが並んでいます.

  ダナンから少し南に位置する古くからの港町ホイアンは,エキゾチックな街並みが世界遺産に登録されており,特に日没になると数え切れないほどの色とりどりのランタンが街中に灯って幻想的な雰囲気を醸し出しており,その美しさは多くの観光客を楽しませていました.

  また少し足を伸ばして,古都フエへのツアーにも参加,これまた世界遺産となっているグエン王朝時代の壮麗な王宮や寺院の数々を見学,19世紀初めから約150年続いたこの王朝の栄華に思いを馳せました.

  ホテルも申し分なく,広大な敷地にコテッジタイプ,プライベートプール付きの広々とした部屋,ベトナム料理はもちろん様々な美味しい料理を堪能できるレストラン,身も心も癒されるスパ,南シナ海を見渡せる大きなインフィニティプール,と普段味わえない贅沢な時間を過ごすことができました.

  ベトナム人の小柄な体型,優しい雰囲気,少しはにかんだような人懐っこい笑顔は我々日本人にも親しみやすく,勤勉で忍耐力の強い国民性は,フランスや日本による植民地化,戦後の東西陣営による分割,そしてあの忌まわしきベトナム戦争と,苦難の道をくぐり抜たことにより育まれたのかもしれません.
こういった点はどこか我々日本人にも通じるところがあり,この国が親日的と言われるのも頷けます.

  ベトナム人といえば,米国ピッツバーグに留学していた時の研究室の同僚の生化学者,Cao(カオ)さんのことを思い出します.
  そのころ,イラクによるクエート侵攻が起こり,米国を中心とした多国籍軍がイラク攻撃に踏み切って湾岸戦争が勃発しました.
アメリカ人の同僚だったEricは,米国は世界の警察の役割を果たしていると主張してこの攻撃を正当化していましたが,Caoさんだけは,「どの国も何もするべきではない」と主張,私はあまりにも身勝手に思えた彼の言葉に驚きました.
  けれども当時の世界情勢を考えるとこれは単純な勧善懲悪の問題で片付けられるような問題ではなかったですし,Caoさんの発言も,大国の勝手な思惑による代理戦争の場として翻弄されてきた自国の歴史を思い出しての発言だったのでしょう.私は今となっては思慮の浅さに恥じ入る気分ですし,現にこの戦争が結局は現代の混沌とした中東情勢を産み出してしまったことはその後の歴史が証明しています.

  ほんの数日間の滞在でしたが,苦難の過去を抱えながらも,若い世代を中心に,明るい未来を信じて成長していこうとするこの国の人々の熱いエネルギーを感じることができました.

  異国への旅は,ただ観光やホテルステイを楽しむだけでなく,日本にいるだけではついつい狭隘になりがちな視野を広げてくれ,我が国そして日本人を客観的に見るいいきっかけになります.

  さて,今月からいよいよ新元号,令和の時代となりました.国内はもちろん世界を見渡しても相変わらず毎日のように不安を掻き立てるようなニュースばかり耳にしますが,少しでもいい方向に向かい,誰もがあちこち自由に旅行ができる平和な時代であってほしいと思います.

↓いずれもクリックで拡大

ナマン
ホテルのレストランからプール,その向こうに海を臨む
ホイアン昼
ホイアン(昼)
ホイアン夜
ホイアン(夜)
フエ
フエ(王宮)


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2019/04/06

令和の幕開けを前に

  4月になり,神戸は桜が満開です.クリニック横の生田川公園は花見の宴で大賑わいですし,自宅近くの神社の境内の夜桜も見 事でした.毎年ながら,見事に咲き誇り,そしてあっという間に散ってゆくさまを見ると,やはり桜ほど見事に日本人の美意識や精神性を表しているものはないと感じさせられます.

  さて先日の午後,医師会の会合の帰りに地下鉄に乗ろうとしたら,幼稚園か保育園の遠足でしょうか,ホームは沢山の小さな子供達で溢れかえっていました.引率する保育士さんたちも大変そうでしたが,カラフルな服装,元気いっぱいの可愛い声に,思わず気持ちが和みました.

  少子高齢化が急激な勢いで進む我が国は,出産や子育ての環境整備に様々な施策が打ち出されてはいますが,いまだ出生率の回復には程遠い状態です.

  しかし,最近の風潮を見るに,国の少子化対策の賛否を問う以前に,残念ながら我々大人たちの側にも大いに恥ずべきこと,猛省すべきことがあるようです.

  たとえば,幼稚園を建設しようとすると,園児の声がうるさいからといった理由で開園を断念せざるを得ないようなケースが増えているとのこと.
  また,小学校の運動会で,子供達にとってかけがえのない楽しい場を盛り上げてくれるはずの音楽がうるさいと近隣の住民からクレームがきたため,全く音楽なしで開催せざるを得なかったり,驚くべきことに,定時のチャイムを鳴らすことさえ遠慮せざるを得なくなった学校まであるとのことです.
   さきごろ,東京港区青山に,区が児童相談所の建設を計画したところ,ブランドイメージが落ちるという信じがたい理由で少なからぬ住民たちから反対運動が起こり,建設が暗礁に乗り上げていると言うニュースもありました.

  これらが本当であれば,まさに異常としか言いようがありません.

  私はこのようにクレームを平気で言える人たちに言いたい,あなた方は生まれた時から物静かな大人だったとでもいうのでしょうか?自分たちとて純粋無垢な子供だったのではないのでしょうか?大人たちに暖かい眼差しで見守られながら育ったからこそ今があるのではないでしょうか?と.

  児童相談所の件など,まさにエゴイズム以外の何者でもありません.あなたたちが守ろうとしているブランドとやらは,そんな冷酷な人間ばかりが住む土地なのですか?むしろそういった恵まれない子供達を迎えてあげる度量こそがブランド価値を上げるのではないのでしょうか?ということです.

  いったいこの国は,どうしてこんなにまで他人に対する寛容さを失ってしまったのか?子供たちの元気な声も聞こえない,活力のない国にしたいのでしょうか?
  トランプ大統領の振る舞いが自国第一主義,自分ファーストなどと批判されていますが,規模こそ違えど彼らの身勝手さとはこれとなんら大差がないではないかとさえ思います.

  今や我が国は出生率が1.5人を割り込み,国力を支えるべき生産人口がどんどん縮小しています.子供達の健やかな成長,若い人たちの活力なくして,この国にどうして明るい未来が描けるでしょうか?

  私が子供だった高度成長期の頃,決して今ほど豊かではありませんでしたが,そこら中に子供たちの声が溢れかえっていて,大人たちはそれを暖かく見守っていました.
  一昨年フィリピンに住む娘のところを訪れた時に感じたのは,当時の日本にあった活気のようなものでした.その理由を考えるに,やはり何よりも本当に子供達を含めて若い人たちが多いことも大きな理由だと確信しました.

  いよいよ来月,我が国は元号が「令和」に改まり,新しい時代を迎えます.この元号は「人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです.
  私たち日本人は,国民誰もが心から幸せを感じられる国になるよう,狭隘な心を捨てて寛容の精神を取り戻せるかどうか,いま一度胸に手をあてて考える時期にきているのではないかと考えます.

さくら
↑神戸芸術センタービル正面の桜


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2019/03/16

あなどれぬオノマトペ

 今年も3月なかば,三寒四温の日々で,春ももうそこまで来ているようです.

 さて,我々臨床医は,まず患者さんの訴えを聞き,診察をし,必要な検査を行い,そもそもそれが病気なのかどうか,病気ならばどんな病気なのかを絞り込んで行き,最終的に診断がついた,つまり病名がわかった段階で初めて治療を行うのが通常です.

 もちろん実際にはすぐに診断がつくとは限らず,さらなる精査を要したり,あるいは経過観察という選択肢しかない場合や,病名ははっきりしないけれども見切り発車的に治療を始めてしまうような場合も多々あるのですが,いずれにせよ,おおよそでもいいので病名がつけば,多くの場合標準的な治療方法は自ずから決まってきます.

 プライマリーケアを担う開業医の場合は,大病院のように高度な検査機器が揃っていない中で,それが緊急を要するもの,入院を要するものなのかをまず判断しなければなりませんし,ある意味そこが腕の見せ所というわけです.

 私が外科医だった頃は手術治療がメインですから,ほとんどの場合は内科の方できちんとした診断名がついた後でしたので,このようなプロセスはほとんどなく,簡単に言ってしまえば「切り屋」だったのです.

 だから,開業してからは,患者さんの訴えや限られた検査手段で病名を推測していくのは,ある意味クイズを解くようで新鮮な面白さがあり,非常に勉強にもなります.

 しかし訴えというのは千差万別で,我々医師の問診の能力はもちろんですが,失礼ながら患者さん自身のインテリジェンスや表現力にも左右されます.
 とくに病歴の長い場合やご高齢の方など,紙に書いてきてくれたり理路整然と説明してくれる場合はいいのですが,そうでない場合も多い.そうすると,さながら警察のようにあれこれ聞き出してこちら側でまとめるわけですが,患者さんの記憶が曖昧だったり,症状をうまく表現出来なかったりする場合も多く,結構時間のかかることが多い.

 また,「めまい」とか「しびれ」とか「動悸」などはかなりありふれた訴えですが,その言葉で意味するところは患者さんによって千差万別です.
 「脚がしびれる」と訴える患者さんに「ジンジンするんですか?」と訊くと,「いやいや,ジリジリです」「チリチリっていう感じですね」なんて答えがかえってくる.えっ?どう違うねん?という感じですが,その患者さんにとっては違うようなのです.
 この場合,私は「正座を長くしたときに脚が変な感じになりますよね,あんな感じですか?」と訊くことがありますが,「そうそう,それです!」と言ってくれる場合はともかく,「私は正座はしないので」なんてのたまわれると,トホホ…( ;∀;)という感じですが,また別の聞き方で質問するしかありません.

 また外国人の場合は,日本語に多用される,同じ音節を重ねた擬態語(onomatopoeia オノマトペ)がないので,より大変です.
 例えば 上述の「ジンジンした」という表現については,外国人の患者さんはよく「tingling〜」 というような表現をされますが,これは「tingle (ヒリヒリする)」という動詞の進行形です.ただ厳密に日本語と同じかというと,多少ニュアンスに違いはあるかもしれませんし,もちろん上述の「ジンジン」や「ジリジリ」や「チリチリ」を区別する単語はないでしょう.つまり日本語はオノマトペの多い分,表現の仕方も多言語に比べて遥かに豊かだということです.

 診断というのはアリゴリズムの典型で,問診や検査データを駆使して沢山の選択肢の中から論理的に絞り込んでいく過程ゆえ,まさに驚異的な進歩を遂げつつあるAIの最も得意とする分野といえます.
既に医療の世界ではAIがどんどん導入されており,画像診断などでは人間の見落としを見抜くくらいのレベルにまで達しているようです.

 ただ,こういう微妙で曖昧な,個人個人でニュアンスの異なる表現については,まだまだ臨床医の勘や経験,問診の能力が必要とされる部分ではないかと思いますし,我々もよりいっそう「感性」を磨く必要があると感じます.