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2010/02/09

動物愛護?動物エゴ?

  先ごろ,環境保護団体シー・シェパードの抗議船が日本の調査捕鯨船へ妨害活動を繰り返したニュースが世間を騒がせました.動物保護や環境保護といった名目のもとに過激な抗議活動をする彼らはエコテロリストとも呼ばれ,逆に諸国から批判の声さえ上がっています.
 
 動物愛護団体が捕鯨を目の敵にする理由は、「鯨は知能が高い」ということや,数が減って絶滅の危機にあるということですが,わたしは彼らのそういう論理こそがエゴに満ちていると感じざるを得ません.

 日本の捕鯨は古来からわが国に根付いてきた立派な文化であり、これは欧米がウシやブタの肉を食するのと何ら変わりありません.しかも鯨一頭は頭のてっぺんから尻尾の先まで余すことなく解体され,その恵みを食用のみならずあらゆる用途に利用しています.また,絶滅の危機にあるという論理も全く根拠が希薄であるのは周知のとおりです.

 世界中にはウシやブタを食する国もあれば、イスラムのようにブタを不浄なものとして食さない文化もあります.サルの脳みそを食べる国もあれば,他国にとってはゲテモノとしかおもえないようなものを食する国々もあります.しかしそれらはどれも悠久の歴史の中で息づいてきた立派な食文化であり,優劣を述べることは全く意味をなしません.
 以前行われた日韓共同開催のサッカーワールドカップでは,犬の肉を食する韓国の食習慣をある国が野蛮だといって批判し,この習慣を止めないならば大会へのボイコットも辞さないとしました.しかしこれこそ韓国にすれば「いらぬお世話」ということでしょう.

  自分達の食習慣と異なるからといって他国の食習慣が野蛮だというのは、全く見当はずれの勝手な論理そのものでしょう.イヌは可哀そうだがウシやウマは可哀想ではないのか?ということです.家畜は人為的に増やせるから問題ないとか,宗教的に許されるというような考えも,全くの独断と偏見の産物に他なりません.「可哀想」とか「虐待」とかいう言い方をするならば、フォアグラを作るためにガチョウの胃に無理やり餌を詰め込むことや,象牙を得るためだけにゾウを殺したり,毛皮のコートを作るためだけにミンクを殺す行為は,まさに極悪非道の動物虐待ではないでしょうか.広い意味では人間の活動による地球温暖化も,何の罪もない多くの動植物に対する虐待でしょう.

  また私は特に医師として,極端な動物愛護を声高に叫ぶ人々に言いたいことがあります.
疾病との闘いの歴史でもあった人類の歴史の中では,先人のたゆまぬ努力のおかげで多く不治の病が次々と征服されてきました.しかしこの歴史の裏には,人類のエゴのために研究の犠牲になった数え切れないほど多くの実験動物たちがいることを忘れてはなりません.生涯全く薬や医療のお世話にならない人間はまずいない,つまり我々人間は,多くの動物たちの犠牲の下に発展できた医療の恩恵にあずかっているのです.それは動物愛護を声高にまくしたてる輩たちにとっても例外ではないでしょう.

 新薬の開発ひとつをとっても,新しい薬をいきなり人間に投与するわけにはいかないが故に(これも人間のエゴですが)まず動物に投与する.動物の種類もラットやモルモットからサルやヒツジにいたるまで様々ですが,犠牲のなり方もまた様々で,癌などの病気にわざと罹患させられたり,果ては実験の過程で殺されて(これを人間は犠牲死などと呼んでいますが,要するに殺すわけです)臓物を取り出されたりと,彼らにとっては散々です.
 動物実験に対しては倫理面を強調するためか,動物愛護団体を牽制してか,メジャーな医学論文には必ず「実験動物は当大学の動物倫理委員会の条例に従い倫理的な扱いを受け最小限の痛みを伴うようにして犠牲しせしめ…云々」などと書くことが義務付けられています.しかしどう書こうがこれは所詮人間の言い訳にすぎません.いくら人間の基準で「倫理的,愛護的」に扱っても,動物にとっては結局殺されるのです.

 こういった動物実験はもちろん必要最低限にとどめ,動物に愛情と感謝の気持ちを持たなければならないことは当然です.しかしこれをただ「虐待」だの「可哀想」だのという感情的な言葉によって表現して抗議するとすれば,それは全く馬鹿げたことです.また実験には自然死した動物を使うべきだと主張する動物愛護団体もあると聞きますが,それこそ動物実験の本質をあまりにも知らなすぎる愚論といわざるを得ません.

 人類はあらゆる生物の中で唯一文明を発達させ,万物の霊長として地球の支配者になったがゆえに,自らの発展のために食物連鎖のルールからはずれて他の動植物の生存を「操作」できるようになってしまった存在といえるでしょう.
 けれども同時に,自然界の中では数え切れないほど多くの動植物と関わって生かされている生き物のひとつに過ぎないというのも事実です.未曾有の繁栄を謳歌している人類数千年の歴史など,誕生以来150億年といわれるこの大宇宙や数億年もの長きにわたって地球を支配した恐竜たちの歴史に比べれば灰塵のごとくで,天変地異が起こればいつ絶滅してもおかしくはないと言っても過言ではないのではないでしょうか.

 それゆえ,我々人類の繁栄は自分たちの利益のために命を捧げた自然界の恵みの上に立っているのだという事実を謙虚に考え,常に感謝の気持ちを忘れてはならない,つまり本当の意味の動物愛護の心も,そういった気持ちの上に芽生えるものでなくてはならず,文化や宗教の違いや根拠のない感情論のみで騒ぎ立てるのはあまりにも視野の狭い,愚かなことであると思います.


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