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Dr.OHKADO's Blog

. 食こそ幸せ

 医療技術の一つに胃瘻(いろう)というものがあります.

 これは,病気や加齢により自力で口から食事を全く摂れなくなったとき,腹壁から胃に人工的に瘻孔(通路)を作り,栄養剤を直接流し込む方法です.点滴と異なり一般の人でも管理ができるので,在宅医療にも欠かせない治療方法となっています.しかも内視鏡の進歩で入院なしでも簡単に作れる方法が確立してからは爆発的に普及,私も消化器内科医に頼んで多くの患者さんに胃瘻を作ってもらった経験があります.

 しかし昨今,安易に胃瘻を作る風潮に対して,人間の尊厳という観点から疑問が投げかけられるようになりました.

 胃瘻は本人の食欲や咀嚼(そしゃく)・嚥下(えんげ)の能力に無関係に必要な栄養を全て入れることが出来るので,理論的には食事を一切摂らなくても一生を全うすることが出来ます.
 しかし,胃瘻を通じて与える食事(というには語弊がありますが)は,舌に触れることはおろかのども通らないので,味覚やのどごしといったものはもちろんわかる由もなく,単なる栄養補給,言葉は悪いですがエサとしか言えない.つまり一時的な措置として作る場合はともかく,経口摂取が永久にできないような状態の人に胃瘻を作るという選択は,まさに単なる延命措置そのものではないかというわけです.

 確かに口から食べるのと胃瘻から入れるのとでは,栄養学的には何も変わらないはずです.
 しかし,正確な統計があるかどうかは不明ですが,いつまでも自力で口から食べられている人は本当にいつまでも元気だという印象を受けるのは私だけではないでしょう.

 自力で口から食べられるということは,もともとそれだけ元気だからではないか,と言われればその通りかもしれません.
 しかし食べ物を自分の口で食べて,歯で噛んで,舌で味わうことは,咀嚼運動が脳を刺激し,美味しさを感じる喜びが脳内でエンドルフィンを出し,結果として心身の状態の改善につながるということは周知の事実です.

 そもそも人間に限らずすべての生き物は,自分の力で食べてこそ,真の意味で生きているといえる,つまり本来ならば,それが出来なくなることこそが死を意味していたわけで,それが自然の摂理だったわけです.

 ところが,胃瘻に限らず医学の驚異的な進歩は,皮肉にもわれわれが当然と思っていたそんな自然の摂理を冒涜することになってしまったということです.
  
 私は人生の折り返し点を過ぎた頃から,いったい人間にとって本当の幸せとは何かということをよく考えるようになりました.
 
 お金持ちになって裕福な生活をする,愛する人とずっと一緒にいる,好きな趣味を続けることができる,仕事で大出世する,有名になる,人々の役に立つことをして感謝される…など,幸せの中身は人それぞれでしょう.
 
 でもそのためにはやはり,自分が心身ともに健康で,衣食足りているということが最低条件だということは否定できません.
 つまり,民族や貧富や社会的地位にかかわらず,最低限の生活が保障されて,食べることに不自由しないということこそが,どんな人にとっても間違いなく最も基本的な権利,かつ幸せの条件ではないでしょうか.

 今よりずっと若くて体力もあり,三度の飯もそこそこに馬車馬のように仕事に打ち込んでいた時は,そんなことに思いを馳せることはあまりありませんでした.

 もちろん医師ですから,患者さんの命を助けられたとき,そして感謝の言葉を頂いたときなどは,至上の幸せを感じるのは当然です.

 でも,自分で立ち上げた開業という事業もようやく安定し,今後の自分の生き様を思い描くにつれ,健康であること,そして食べることに不自由しないこと,そんな単純なことが,幸せな人生を送れるために最も基本的なことなのかもしれないと思うようになりました.
 
 美味しいものをゆったりとした気分で食べているとき,心の底からリラックスし,楽しい気分になります.特にこれまたおいしいお酒が飲めて素敵な女性(一応?かみさんも含めて(笑))が横にいるときなどはもう最高で,このまま時間が止まってほしい!などとさえ思います(笑)

 そうした時間を持ててこそ,日々の仕事に対する活力や情熱を持ち,幸せを感じることができるのだと感じる今日この頃です.
 
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. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です.
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
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