初々しき音色

 早いもので今年ももう師走が目の前です.

 さて今月末の日曜日,クリニックのある神戸芸術センタービルの中にある小ホールで,ある音楽会が開かれました.
京都芸術大学でコントラバスを専攻している私の姪(弟の長女)が今年4月に同級生たち5人で結成した女性弦楽クインテット「Lucie Strings」が,初めてのコンサートを開いたのです.

 全員まだ2年生とあって年齢も20歳そこそこ,将来の日本の音楽会を背負っていくプロの卵とはえ,初めての演奏会とあって,挨拶や自己紹介などは緊張しているのがありありで,見ているこちらがひやひやするほどでしたが,いざ演奏を始めるとさすが,すぐに音楽家のモードに切り替わり,美しい音色で観客を魅了してくれました.

 また,場慣れしたトッププロの演奏家たちとは一味違う初々しさ,そして女性ならではの華やかさに溢れていて,会場全体がとてもなごやかな雰囲気に包まれていました.

 125席ほどの小ホールとはいえ,まだ無名な演奏家たちのクラシックの演奏会にどれだけの客が来てくれるか,姪たちも不安だったようですが,せっかくの機会ですので出来るだけバックアップすべく,クリニックにチラシを置いたりHPに載せたりして少しでも宣伝に勤めた結果,患者さんや業者さんも何人か来てくださいました.
 また,弟家族はもちろん,私のかみさんや父母なども,さくらでもいいから(笑)とあちこちに声をかけたことが奏功したのか,会場は満席に近いほど埋まりました.

 クラシックのコンサートといえば個人的には大編成のオーケストラによる交響曲などの方が好きで,室内楽の演奏会はあまり参加したことがないのですが,演奏者と観客との距離が非常に近いゆえに演奏者の一挙手一投足や息遣いまでが手に取るようにわかるこのような演奏会も,非常に新鮮でした.

 思い起こせば私も学生時代に混声合唱団の一員として活動し,年に1回の定期演奏会を目標に練習に励みました.
 会場として使っていた岐阜市民会館の大ホールは1000人以上も収容できるのですが,会場費はもちろん,チラシやパンフレットに広告を出してくれるスポンサーを集めるために,近所の店舗やOBがいる医療機関をまわったり,集客のために東奔西走したのはよい思い出です.特に私がチーフコンダクターをつとめていた時は,責任も重大で大変でした.
 いよいよ演奏会が始まってゆっくりと緞帳が上がったとき,観客で満席の会場が舞台から見えたときは心から安堵したのを,昨日のことのように覚えています.
 そして演奏会が無事終わったあと,打ち上げコンパで飲んだビールの味,そして皆で肩を組んで歌いながら流した涙は,決して忘れることはできません.皆で苦労を重ねてひとつのものを作り上げ,多くの人々に披露する機会を持てたことは,私にとって何物にも替え難い素晴らしい経験となりました.

 むろん私の経験などアマチュアのクラブ活動の楽しい思い出にすぎませんが,プロの音楽家の卵である彼女たちには,今後ますます活躍の幅を広げて,日本の音楽界を盛り上げていくような素晴らしい人材になってほしいと思います.
mayu1


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余はいかにして医師になりしか

 11月ももう半ば,街は年末商戦まっしぐらという雰囲気です. クリニックも例年のごとく,インフルエンザワクチン接種希望や風邪の患者さんなどが増え,多忙さに拍車がかかってきました.

 さて,私だけではないでしょうが,どうして医師になったのかと尋ねられることがしばしばあります.

 自分や家族が大きな病気をして医師に助けてもらったとか,不知の病で親友や恋人が亡くなった経験がきっかけになったというのはよくある話ですし,ある意味美談にもなるようです.

 でも私の場合は,正直言ってそのような経験があまりありません.

 私は中学卒業頃までは特に医師を目指していたわけではなく,親戚にも誰一人として医療関係者はいませんでした.
 でも親や幼馴染に言わせると,私は幼少時から,考えることや計算すること,知的なことにすごく興味がある子供だったようです.
 確かに私は,小学生のころから,人体とか生き物とか,地球とか宇宙とか,科学的なことにすごく興味がありました.誕生日などのプレゼントには,いつも学研の図鑑シリーズを買ってもらい,本棚に並んだその本の数々は私にとっての宝物でした. 逆に普通の小学生がほしがるようなおもちゃやグローブ(持ってはいましたが)なんかにはあまり興味がなく,授業も体育より社会や理科のほうが好きだった,そういう意味では,ちょっと変わった子供だったと思います(笑)

 そのころの友人によれば,理科の授業でやった貝やカエルの解剖では,眼がランランと輝いていた,こいつは将来必ずや医師,特に外科医になると確信していたそうですから,彼の先見の明には脱帽です(笑).

 ですから,叱責を恐れずにいうと,医学というものが,人の命を助けたいとか,世の中の役に立ちたいというような崇高な理念を実現するものというより,自分の知的興味を満たしてくれる学問だと考えた,というのが医師をめざすようになった正直なきっかけかもしれません.
 もちろん当時から医学部への入学は難関中の難関でしたから,つらい猛勉強に耐えるというモチベーションも自然に高まったともいえます.

 そうは言ってもまだ弱冠18歳,漠然とした気持ちで飛び込んだ医学の道でしたが,医学部の6年間で様々な経験を積むにつれ,医師という職業を生涯の仕事にすることの本当の意味を実感するようになったのです.

 専門課程での最初の関門である解剖実習は衝撃的でした.私のいた大学では,4人ずつのグループごとに献体されたご遺体2体を数か月かけて解剖していきましたが,まだ成人式を迎えたばかりの年齢で,自分の親よりも長い人生を生き抜いた物言わぬ遺体にメスを入れるということに,心底畏れをいだき,胸襟を正す気持ちになったことは忘れられません.

 5年生になると臨床実習が始まりましたが,整形外科をローテーションした時のこと,ある小さな男の子が入院していました.指導医が私たちにその子の右脚のレントゲン写真をみせて,「この子の病気はなんだと思う?」と尋ねました.それは整形外科の講義でスライドで見た,ある病気の写真にそっくりでした.私が恐る恐る「骨肉腫…でしょうか?」と答えると,彼は少し悲しげな顔をしてうなずきました.
 数週間の実習が終わって他の科に移っていた私は,どうしてもその子のことが気になり,ある日整形外科病棟を尋ねましたが,はたしてその子の右脚は,太ももの真ん中から切断されていました.
 こうなることは理屈では分かっていたとはいえ,私は本当に衝撃を受けました.

 そのほかにも,初めて手術の見学をしたとき,初めてベッドサイドで患者さんに聴診器を当てたとき,初めて夏休みを利用して外の病院に実習に行ったときなど,様々な機会を経て,医学というのは心を持った人間が相手であるという意味で他の自然科学とは一線を画していること,そしてこの仕事がいかに大変で,けれども達成感のある仕事かということを体感していったのです.

 ここ最近の不景気や,伝統的な終身雇用や年功序列制度の崩壊,不安定な雇用情勢などで,医学部志望者はますます増えていると聞き及びます.資格さえあれば食いはぐれることはなく,高い社会的地位や安定した収入が得られる(これも最近は怪しいのですが…(笑))という理由でしょう.
 しかし,それだけの動機で医師になっても,協調性,倫理観,使命感,忍耐力などがないと職務を全うすることはできませんし,適性を欠く医師は今後淘汰されていくに違いありません.

  私とて,前述したとおり決して人に自慢できるような気持ちで医学の道を志したわけではなく,あまり偉そうなことは言えませんが,長くこの仕事をやってきて感じるのは,日進月歩の医学の進歩についていくためはもちろん,病気だけでなく人を診るという能力を磨くためにも,謙虚な気持ちを忘れず,一生勉強に励まなければならないということです.

 他の仕事の経験はないものの,30年を超える医師人生を経て,自分としてはこの仕事が向いていると感じますし,今となってはこの仕事を選んでよかったと思います.
 ついでに付け加えると,「お前はサラリーマンは無理だから,医者になれ」と背中を押してくれた親にも感謝です.