水の都と永遠の都と

 今夏の後半は,毎週のように数十年ぶりの豪雨が日本各地を襲い,広島では土砂崩れで多くの人が犠牲になるなど,全く夏らしくない奇妙な気候でした.さらに熱帯地方の病気であるデング熱が日本でも発生したりと,温暖化の影響でしょうか,今後が思いやられます.

 さて,この夏に,カミさんとともにイタリアはローマとベネチアに旅行してきました.
 私はといえば,またも語学好きが高じて半年ほど前よりイタリア語の勉強をはじめました.英語と同じラテン語系の言語である上,発音が簡単なので,簡単な日常会話は比較的はやく習得でき,今回の旅行では大いに役立ちました.

 いうまでもなく水の都として世界的に有名なベネチアは,小さな島の中心を逆S字型に貫くように走る大運河と,そこから網の目のように張り巡らされた小さな運河,そして迷路のごとく縦横無尽に走った小さな路地をはさんで,中世に建てられたカラフルな石造りの建物が,ひしめき合うように並んでいます.

 狭い路地を歩くと,路地裏の小さなオープンカフェでは人々がくつろぎ,陽気な親父さんがバイオリンを奏でていたり,窓辺にカラフルな洗濯物がさりげなく干してあったり, カンツォーネを聴きながらゴンドラで運河を進むと,頭がぶつかりそうなくらい低い橋の上からは,人々が笑顔で手をふってくれたりと,穏やかな風景に心なごみます.

 建物がまるで水の上に立っているかのような錯覚を覚えることや,自動車がまったく通れないためその姿を見かけないことなど,すべてが非日常的で,まるでおとぎ話にでてくるような幻想的な雰囲気を醸し出しており,心洗われるようでした.

 ローマでは,かつて剣闘士たちがその血を流したコロッセオや,政治の中枢だったフォロ・ロマーノ,パンテオン神殿などの巨大建造物はもちろん,いまだに街中いたるところで発掘されつづけている古代建築の数々が,まだ日本では国家という概念さえなかった2000年以上も前に,人類史上稀有といってもいいほどの繁栄を極めた大帝国へ私をタイムスリップさせ,ロマンを駆り立てるのに十分でした.

  数々の世界遺産を有するこの街は,美しい街並みを損なわないために厳しい建築制限が設けられていて,東京や大阪のような近代的なビルはほとんどなく,人々は古くからの建築物を内装のみを変えて,あるいは基礎部分をそのままにして使っているとのことです.
  これは,建築物が石やコンクリートとアーチ構造の多用により頑強である上,地震が少ないという利点があるからこそ可能なのでしょうが,市内を案内してくれた在住38年もの日本人ガイドさんによると,街並みや遺産を保存すべく,街のあちこちで絶えず補修工事が行われているとのこと…, のんびり屋という印象の強いイタリア人ですが,この点については脱帽させられました.
  かたや木造建築が基本だった日本の建築物は,地震や火災や戦乱で消失してしまうことが多く,遺跡発見のニュースをみても残っているのは柱の跡ばかりで,やむを得ないことなのですが,素人にはあまりインパクトがないというのが正直なところでしょうか(-_-;)
 
  そしてバチカン博物館内のラファエロ作の「アテネの学堂」やシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」など,世界的に有名な絵画の数々もじかに見ることが出来,大変感銘を受けましたが,それのみならず,2都市とも,街のいたるところにある教会や広場には,キリスト教絵画や彫刻などがこれでもかと思うほど展示されており,生活のすみずみにまでキリスト教が浸透しているのを実感しました.これは米国に住んでいた時には実感しなかったことで,やはり歴史の重みのなせるわざだと思いました.

  今回の旅は,私にとっていろいろな意味で知的好奇心をくすぐり,そして心に響く経験となりました.

ベネチア1 ベネチア 1
ベネチア2 ベネチア 2
ローマ1 ローマ.コロッセオ       
ローマ2 ローマ.コロッセオ内部


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ならぬものはならぬ

 いよいよ8月となり,うだるような暑さの日がつづいています.
 ニュースも「猛烈な暑さ」というフレーズが毎日のように出てきて,熱中症患者の数もうなぎ上りとのこと,クリニックでもそれと思しき患者さんがときどき受診されます.
 暑さが苦手な私も,この季節は正直,イヤです.はやく涼しい秋になってほしい…(-_-;)

 さて先日,北海道小樽市の海水浴場で,若い女性4人が仲良く歩いていたところを,半日以上酒を飲み続けて完全に酔っ払い運転だった30代の男がひき逃げし,3人が死亡,1人は頚椎損傷の重症という痛ましい事件が起こりました
 しかも驚いたことに,男は被害者の救助や通報ををしなかったどころか,その後近くの店までタバコを買いに行っていたというから,開いた口が塞がらないとはこのことです.
 死刑の是非については議論が盛んですが,私が被害者の親の立場であったなら,この犯人は,市中引き回しの上,打ち首獄門の刑にでもしてほしいと思います.

 ところで今,学校教育における道徳を「特別な教科」に引き上げてはどうかという案が俎上に上がっています.
 これについては,成績評価はどうやって行うのかとか,国が個人の思想の自由を蹂躙することになるのではないかとか,予想通り懸念の声が高まっているようです.
  
 私は,このことの是非はともかくとして,上記のような事件が起こるたび,やはり,人間は幼少時から基本的な道徳や倫理といったものを,もっともっときちんと教えられるべきなのではないかと思います。

 かつては,家族や地域社会が,日常生活の中でごく自然にこどもたちに基本的な道徳を教える役割を担っていました.
 しかし,核家族化や共働き世代の増加に加え,隣家の住人の顔さえみたこともないような生身のコミュニケーションの希薄な地域社会になってしまった昨今,それを求めても無理です.
 つまり,家族や地域社会にその能力がないのであれば,学校できちんと教えるしかないのではないかと思うわけです.

 道徳観念の欠如は,大人も然りです.
 いい年をした大人の中にも,いったい道徳や倫理という言葉を知っているのか?と首をかしげざるを得ないような輩が多いのは誰しも否定しないでしょう.

 最近何よりも顕著なのは,過剰なまでの権利意識の蔓延です.

 自由や平等は,何をおいても尊重されなければならないのは言うまでもありません.
 しかし,いったい日本人は,いつからこんなに身勝手になったのか?自由とか平等といったものには,同時に必ず責任とか義務というものが伴うということを知らない人間が多すぎるのではないか?と思うことが多々あります.

 親や他人に叱られたことがないから,少し注意されただけで仕事を辞めたりうつになったり,ちょっとしたことでさえパワハラだセクハラだ体罰だと,なんでもかんでも被害者意識ばかりを声高に叫ぶ風潮.
 もちろん行き過ぎた指導や注意が許されないのは当然とはいえ,そもそも叱られたり注意されたのはなぜなのかということを考えようとさえしない.

 自分の思い通りにならないとすぐに逆切れしたり,他人のせいにしたり,大騒ぎする風潮.
 社会は自分ひとりで生きているのではない,誰しもが周りの人々に助けられて生きているのだということを完全に忘れている.

 学校や会社にまで電話をかけて,自分たちの子息の行動を棚に上げて文句を言ったり謝罪をさせたり,挙句の果てには訴訟まで起こそうとするモンスターペアレント.
 以前聞いた話なのですが,ある学校で教師が給食の時間に,食事をする前に「いただきます」と言うことを生徒に指導したところ,「給食費を払っているのだから,そんなことは言う必要がない」とクレームを付けた親がいたとのこと,そのバカ親の顔が見てみたいものです.
 
 そういえば,高級外車を所有するくらいの収入があるのに,「義務教育だから支払う必要がない」との身勝手な理屈で給食費を払わない親が多々いると話題になったこともありました.
  
 飲酒運転,ひき逃げ,脱法ハーブ,オレオレ詐欺,児童虐待,ネット詐欺… 最近ニュースを騒がせている話題を見聞きするにつけ,大河ドラマ「八重の桜」の舞台,かの会津藩で子供たちに叩き込まれた「什の掟(じゅうのおきて)」のように,人間として守らなければならない基本的な倫理や道徳を,きちんと教え込まなければならない,とつくづく思います.
 そう,「ならぬものはならぬ」のです.

 もちろん世界をみわたせば,日本人の礼儀正しさ,正直さ,謙虚さなどは,まだまだ世界に誇るべき精神性ですし,世界一治安のよい国と言われているのもその所以でしょう.
 先ごろブラジルで行われたワールドカップでは,試合の勝ち負けにかかわらず,日本人サポーターたちが,自分たちの席のゴミを綺麗に片付けて帰ったことが大変な話題になりました.
 この話をきいて,日本人もまだまだ捨てたもんじゃあないと思ったのは私だけではないでしょう.
 
 それでも最近の風潮を見るにつれ,教育現場が一丸となってでも若い人たちの人間教育をしていかなければ,そんな日本人の評価も遅かれ早かれ地に落ちてしまうに違いありません.