ああ上野駅

 先日,北国への玄関口である上野駅が開業130周年を迎え,様々なイベントが行われたそうです.
 高度成長時代,東北地方からの集団就職で上京してきた人たちへの応援歌として歌われた,井沢八郎の「ああ上野駅」が電車の発車メロディーでも使われたとのこと.
 昭和39年にこの歌が世に出た当時,私はまだわずか6歳でしたが,幼少時を東京駒込で暮らしていた私は,上野駅を利用することも多く,またこの歌も父がときどき口ずさんでいたこともあり,なぜか懐かしい気持ちになるのです.

 インターネットや携帯電話などもちろんまだ夢の世界で,カラーテレビさえまだ普及し始めたばかりだったあの当時,少なくとも物質的には決して今のように豊かでも便利でもありませんでした.
 
 それでも,私たち庶民はみんな肩寄せ合って助け合って,楽しく明るく,まっすぐに前を向いて生きていたような気がします.

 それは,日本が戦争の廃墟から立ち上がって高度成長期に入り,国民誰しもが明るい未来を夢みて高揚感に浸っていたから,ということもあるでしょう.

 でも,そのことを差し引いても,当時の日本人は今よりももっともっと純粋で優しく,思いやりの心を持ち,道徳を守り,他人を敬い,忠義を尽くし,何事にも正直で誠実だったような気がするのです.
 
 あの時代は,誰もがおせっかいで,誰かが困っていれば,自然に助け合うような社会でした.
 地域には,怖いおばさんやおじさんがいて,私たち子供が悪いことをしたり,弱い者いじめをしたら,こっぴどく怒られましたが,それが自然に地域の子供たちの見守りになっていましたし,それに対して感謝こそすれ,文句をいう親などいませんでした.
 
 地域の催しごとや連絡事項は回覧板や電話網で知らせるのは当たり前でしたし,それを個人情報云々と騒ぐ輩もいなかった.
  
 学校の先生は今よりもずっと威厳があって尊敬され,悪いことをしたら廊下に立たされることもしばしば.
 私などクラス一の悪ガキとけんかして頭を数針も縫う大けがをさせたため,先生にびんたを食らわされた上に1時間くらい正座をさせられたことがあります.
 先生には,悪いことは悪いと身を以て諭されたのです.私を殴った先生もきっと悲しかったでしょう.でも今なら,体罰だなんだとモンスターペアレントや教育委員会やマスコミが,やいやいと騒ぎ立て,先生は辞職に追い込まれるに違いありません.

 いじめもなかったわけではありませんが,クラスのガキ大将的な子が睨みを効かせていましたし,一人を大勢で無視したりして自殺にまで追い込むといったような陰湿なやりかたはあり得ませんでした.
 
 勉強のできる子は一目置かれて学級委員に選ばれたりしましたが,算数や国語がさっぱりできなくてもかけっこだけは誰にも負けない子は,運動会ではクラスの皆のヒーローでしたし,演技のうまい子や楽器のうまい子は学芸会などが活躍の場でした.
 作文で母や父のことを書くときも,片親の子は先生がちゃんと配慮して他の人の作文を書くように指導していました. 
 でもこういったことを,今のように差別だ不公平だと騒ぐような親などいませんでした.

 あの頃のサラリーマンは企業の歯車とか働きバチとか揶揄されるほど滅私奉公して働き,会社帰りに赤ちょうちんで飲むのが小さな幸せでした.でも一生けん命働けば小さいながらもマイホームを持てたし,今のようにうつ病になるような人もいませんでした.いいか悪いかは別として,日本式の年功序列,終身雇用制度がいい意味で機能していたのです.

 翻って,今の世の中はどうか?

 ここ数十年で日本は世界に冠たる経済大国となり,人々は未曾有の豊かさを享受し,平和を謳歌しているように見えます.
 IT技術に代表される文明の利器は驚異的な速さで進歩し,あの当時では想像もつかなかったであろう便利な社会になりました.私たちはまさに今,物質文明の頂点にいるといっても過言ではないでしょう.
 
 しかし,私たちはあの時代とくらべ,本当に豊かに,幸せになったのでしょうか?

 今の世の中に蔓延しているのは,果てしのない物欲,個人主義に名を借りた権利意識や利己主義,平等と公平とのはき違え,義務や責任を果たさないのに自由ばかり声高に叫ぶ愚かな風潮,基本的な倫理感の欠如… そして社会全体を漠然と覆っている殺伐とした空気…
 
 いったいこれはなんなのか?

 あの頃はよかった,などというと,嫌な顔をされるかもしれませんし,懐古主義と嫌味を言われるかもしれません.
 それに今の日本はあの当時のような経済の高度成長は望むべくもなく,少子化,核家族化と超高齢化社会の到来で社会保障制度は死に体,失業者や非正規雇用者の激増で,国民誰しもが自分が生きることだけに必死にならざるを得ない状態で,将来に言いようのない不安こそあれ希望などもてるはずもなく,ましてや他人のことにかまっている余裕などないのかもしれません.

 それでもやはり,何かおかしいと思うのは私だけでしょうか?

 なんでも他人のせい,社会や政治のせいにするのは簡単です.でもこういう世の中にしてきたのは結局国民ひとりひとり,つまり私たち自身なのです.
 つまり,私たちは自分たちで今のような便利で豊かな社会を作り上げた代わりに,とんでもなく大事なもの,日本人として,いや,人として大事なものを犠牲にしてしまったのです.

 かつて栄華を極めたローマ帝国は,平和ボケしていしまった国民の堕落によって滅亡しました.
 
 日本がローマ帝国と同じ轍を踏むのかどうか,いままさに,試されているのではないかと感じるこの頃です.


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音楽な日々

 7月7日は,学生時代に所属していた学生合唱団(Menuto(メヌート)混声合唱団)の同窓会が岐阜で開かれました.先回の同窓会の様子は昨年6月28日のブログ「蘇ったハーモニー」でも書きましたが,今年は私が幹事団に加わるように仰せつかり,準備を進めてきました.連絡網を駆使して消息の分からなかった人たちにも連絡が取れたり,遠方からの参加者のためにホテルの手配をしたりしたことが奏功して,今年は昨年を大幅に上回る45人近くのメンバーにが参加することが出来ました. 
 卒後30年経っても,歌を愛する気持ちだけは皆ちっとも変わっておらず,若く楽しかったあの頃にもどって,思い出話は尽きることなく,昨年と同様,得意の持ち歌の数々で盛り上がりました.定期演奏会のオープニングの時に必ず歌ったシベリウス作曲の「我が祖国」を熱唱した時は,熱いものがこみあげるのを抑えることはできませんでした.

 その後なだれこんだ二次会にもほとんどのメンバーが参加してくれたのは,うれしい誤算でした.

 そして翌日は,かみさんや次女,父母,弟家族などとともに,京都で開かれたあるクラシックの演奏会に行ってきました.
 実は,姪(私の弟の長女)が今春,憧れだった京都芸術大学音楽学部にめでたく入学し,1年生ながら,大学オーケストラのコントラバス奏者の独りとして演奏会に出演したのでした.
 
 幼少時から音楽好きで吹奏楽などに親しんでいた彼女は,高校も音楽科がある学校に進学し,縁あってコントラバスを専攻,音楽を一生の仕事にしたいとの信念で,見事この大学に入学したのでした.

 演奏会は全3曲で構成されていましたが,特に1曲目のにワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の前奏曲は,私の最も大好きな曲の一つで,まさに鳥肌ものでした.この曲では途中でコントラバスやチューバによる低音部が旋律を奏でる部分があり,まさに姪の活躍する場面でした.
 また,3曲目の有名なブラームスの交響曲第1番も素晴らしく,有名な第4楽章も圧巻でした.

 演奏会終了後に楽屋を尋ね,黒のドレスに身を包んですっかり大人っぽくなった姪の晴れやかな笑顔に接した私は,彼女の活躍を我がことのように嬉しく思い,彼女がおおかど家出身の初の音楽家として将来活躍できるように少しでも応援したいと思いました.

 そして7月14日は,大阪ビジネスパーク円形ホールで,サックスの演奏会に出演してきました.私とかみさんが続けているミキミュージックサロンの主催する年1回の発表会で,出演は昨年につづき2回目でした.
 私のいるクラスの5人の生徒での合同演奏で,曲は「On the sunnyside of the street(明るい表通りで)」というスタンダードナンバーで,なかなか上達しない我々を先生(プロのサックスプレーヤー前田直子先生)が辛抱強く(笑)教えて下さり,前日も全員そろって合同練習を行い,なんとか本番にこぎつけました.

 先生の笑顔に送られて,まあどうにでもなれ,とばかりに舞台に登場!学会などで大勢の前に立つのは場馴れしているつもりでも,演奏は子供の頃のエレクトーンの発表会以来…,やっぱり緊張していたのか?時々とちりましたがそれもご愛嬌(笑),あっという間の3分ほどの演奏でした.
 私たちとは比較にならないほど上手な他のグループや講師の模範演奏も聴けて,大いに刺激を受けたひとときでした.

 そんなわけで,7月前半は,「音楽な日々」でした.
 美しい音楽を聴いたり奏でたりするのは,本当に楽しく,感動し,心が洗われます.クリニックでもBGMには私の独断と偏見で?できる限り来院患者さん達の心が落ち着き,少しでも癒してくれるような曲を選んでいます.
 
 人が健康に生きるには,身体の健康も必要ですが,心の健康もそれ以上に必要です.好きな音楽,美しい音楽に接することは,そういう意味で極めて重要であり,有効であると日々実感しています.