情けない3K

 まだ5月だというのに,気温がぐんぐん上昇し,初夏のような日々が続いています.神戸の街は,抜けるような青空に街路樹や六甲の山並みの緑が映えて,美しい季節です.

 さて,薪を背負って歩きながら本を読んでいる姿でおなじみの二宮金次郎(尊徳)像は,昔から多くの小学校などに建立されていますが,各地で軒並み撤去,あるいは撤去を検討されているとのことです.
 表向きは老朽化のためということのようですが,実は「本を読みながら歩くのは危ない」とか「こどもが働く姿を勧めることはできない」という意見が保護者などから数多く出ているためとのことです.

 この,あまりにもいびつな考え方に,あきれてものが言えないと思ったのは私だけではないようです.
 この像の意味するところは言うまでもなく,極貧の境遇にあっても働く時間さえも惜しんで勉学に励んでいる金次郎の立派な姿をみて,その精神に学びましょうということであることは,言うまでもありません.

 それから,これも驚くべきことですが,近々大改修を迎える広島の平和記念資料館で,被爆者の姿を再現したジオラマ模型を撤去することになったそうです.
 その理由が,このようなジオラマはあまりにも残酷で子供に見せられないからだとの理由とのこと,あいた口が塞がらないとはこのことです.

 どうも最近のこの国には,子育てや教育に関する3つの“K”がはびこっているようです.

 まずひとつは「危険」.何をするにも安全第一で,危険なものは親の仇のように避ける.公園の遊具で遊んでいた誰かが怪我をしたとなれば,それがたちまち撤去されるし,お菓子を誤ってのどに詰まらせたとなれば,その製品がたちまち製造中止になる.その遊具で安全に遊ばせるにはどうしたらよいのか,そのお菓子はどのように食べさせるべきなのかということを教えるという発想がない.

 次に「汚い」.日本人はもともと清潔好きの民族ですが,これが最近輪をかけてエスカレートしている.とにかく,なによりも清潔一番.汚いもの,汚れたものにはできるだけ近づかない.そしてなんでもかんでも抗菌ばやり.しかしこのことが却って子供のの抵抗力や免疫力の低下をきたし,食物アレルギーや花粉症などのアレルギー疾患を激増させてしまっているのは周知の事実です.
 そしてこういった考え方は「汚いものイコール悪」というような短絡思考につながっているのではないか,世の中には白と黒,善と悪のように単純には分けられないこともあるのだということを教えるべきなのではないか,と思うのです.

 そして最後に「可哀そう」.常に他人や友人と比較しては,少しでも劣っていると可哀そう,運動会の徒競走でビリだと可哀そう,学芸会で脇役にしかなれないと可哀そう,教師に叱られたら可哀そう,いじめられたら可哀そう,残酷なものを見せると可哀そう,… なんでもかんでも可哀そうというわけです.

 私とて,年頃の娘を持つ親として,上記のような気持ちを理解できないわけではありません.
 娘たちには,できることなら要らぬ苦労をすることなく,病気や事故にあわず,平和で幸せな人生を生きていってほしいと心から願うのは,当然です.
 それにここ数十年の間に急激に少子化や核家族が進んだこと,地域社会のつながりが疎遠になったこと,共働き夫婦が増えたことなどを考慮すると.子育てや教育をかつての時代と同一の次元で考えるのには無理があるかもしれません.

 けれども,いつの時代にあっても,人生というものは苦労や困難に満ち溢れています.苦労することや,悔しい思いや悲しい思いもする必要も,努力の必要もなく,全く順風満帆に一生を全うできる人など,果たしているでしょうか?
 そんな人生はまずありえないでしょう,

 そうであるからこそ,たとえどんな困難がたちはだかっても,それを力強く逞しく乗り超えていく能力を身に着けることこそが重要なのであり,その過程でこそ,弱者に対する思いやりとか優しさとか,平和を愛する心を身につけられるのではないでしょうか.
 そしてそれこそがまさに,家庭や学校で行うべき本当の教育なのではないかと思うのです.

 にもかかわらず,まるで籠の中の小鳥のように,安全に,清潔に,そして可哀そうな目に合わないように大事に大事に育てた子供たちが大人になったとき,艱難辛苦に満ちた人生を,いったい自分で切り開いていけるでしょうか?
 私ははなはだ心配です.

 二宮金次郎の像から勤勉さや努力することの大切さを学び,広島の原爆のジオラマから戦争の悲惨さと平和の大切さを学ぶべきなのに,一部の大人のくだらない考えのためにそれらを撤去することが,次世代を担う若い人たちのためになるとはどう考えても思えませんし,世も末としか言いようがありません.
 
 これからの日本の将来を背負う人材を本気で育てていくならば,もういい加減にこの「危険,汚い,可哀そう」の3Kから脱却してはどうかと思うのですが,いかがでしょうか?


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大きな節目を迎えて

 今年のゴールデンウィークも,いよいよ今日で終わりです. 
 さて,平成20年に開業したクリニックは,今月1日でとうとう開業5年を迎えました.業者さんたちからは,祝電や綺麗なランの鉢植えを頂き,感謝の極みです.

 今思えばこの5年間は,まさにがむしゃらに突っ走ってきたという感がぴったりです.

 医師という仕事自体が変わったわけではありませんが,小さいながらも組織の経営者という立場になり,それこそ試行錯誤しながら,それまでの半世紀の人生に匹敵するほどの多くのことを学んだような気がします.
 成功するも失敗するも全ては自分の実力次第という,全く甘えの許されない環境で仕事をするということはもちろん初めてで,言い知れぬ恐怖感のようなものさえ感じましたが,同時に心地よい刺激と達成感を感じさせるものでもありました.

 まだ知名度も低く来院患者数が1日たった数人でも,家賃や人件費など固定費は容赦なく引き落とされていく当初の数か月間は,当然毎月の収支が大赤字で,開業資金として用意していた資金が底をつきそうになるにつけ,不安で眠れない日さえありました.  
 
 しかし,必ず立ち上がれると信じて様々な戦略を練りながら踏ん張ったことが功を奏し,2年目くらいからは損益分岐点を超えて軌道に乗りはじめ.ようやく安堵したのは忘れられません.

 ここまでこれたのは,スタッフの尽力やかみさんの支えあってのことはもちろんですが,何よりも開業当初からずっと当院を贔屓にしてくださっている患者さんやそのご家族,損得勘定抜きにして何かにつけて応援してくださっている業者さんその他多くの人々の支援の賜物に他ならず,本当に頭が下がります.

 医師という職業の人生には様々なパターンがあります.専門分野をつきつめ,大学教授や,神の手といわれるようなスーパードクターになる者,地道に研究をつづけ世界的な業績を挙げる者.勤務医として安定した生活を全うする者,私のように開業医として地域医療に身を投じる者……,

 今までのブログでもあちこちに書きましたが,私もかつては心臓外科の道を極めようとした時期もありますし,アメリカで研究に身を投じた時期もあります.少なくとも30代前半くらいまでは,あらゆる可能性を夢見ていました.
 でも人には努力だけではどうにもならないこともある,誰もが天野先生のようなスーパードクターになれるわけでもなく,だれもが山中先生のようにノーベル賞級の研究をできるわけでもなく,かつその必要もない.
 それぞれ適材適所というものがあり,その道を天職と思って頑張ればいいのだと思います.私が紆余曲折の末,開業医となったのは,きっかけはどうであれ,神様から与えられた天職なのだと思います.

 医師の中には,開業医というのを医師のおちこぼれのように自虐的に語る人もいます.
 しかし私はそうは思いません.開業医こそが,地域の人々が医療機関にかかるときのゲートキーパーであり,また全人的医療を担える医療集団であると思うからです.

 今,医師の開業事情は非常に厳しくなっています.ひと昔前のように開業すれば高収入が保障され,フェラーリのような高級外車に乗ったりロータリークラブに入ったり,福利厚生でスタッフ全員で海外旅行をするようなことは,少なくとも真面目に保険診療だけを行っている医療機関では夢のまた夢になってしまいました.
 特に都会は医療機関の数が激増し,何も努力しなくても患者さんがどんどん増えるなどということはあり得ません.

 ですから,過当競争に生き残るために,あの手この手で集患対策に奔走せざるを得なくなっており,まさに他業種と同様,経営の手腕が問われる時代になっています.

 しかし,最近特に思うのですが,いかに小手先の手段を使っても,相手は血の通った人間です.広告や宣伝や技術や設備や内装の素晴らしさも必要には違いありませんが,つまる所,何よりも重要なことは,いかに患者さんやその家族に信頼されるか,ということにつきるのではないか?ということです.
 
 医療者である前に,人間として正直であること,真摯であること,約束を守ること,心から寄り添うこと…こういった,実はごく当たり前のことが,最も必要なのだと思うようになりました.

 「私はずっと先生のファンですから」とか,「先生に死ぬまで面倒を見てもらおうと思っているんだから,先生,いつまでも元気でいてくださいよ」などと励まされると,嬉しいものですし,あるお年寄りの女性は,いつも帰り際に必ず私の手をしっかり握り,「先生からパワーももらったから,またしばらく元気でおれそうです」と柔和な笑顔になります.そんな時は,開業してよかったと心から感じます.
 私が元気がないときなどは,「先生がそんな顔してちゃだめですよ」などと逆に叱咤激励されることもありますが,それも深く信頼してくれているからこそで,ありがたいものです.

 クリニックは今月から新たな5年をスタートすることになります.改善するべきこと,チャレンジできることはまだまだいくらでもあり,楽しみでもあります.
 私も今秋にいよいよ55歳を迎えます.私にとっての50台後半は,クリニックが10年目を迎えるまでの新たな5年間です.さらなる高みを目指して,楽しみながら発展させていきたいと思っています.