「受容力」の勧め

 少し前,高血圧などで当院に通院しておられる60代後半のある患者さんになんと偶然腎臓がんを発見,私は早急に泌尿器科の専門医に紹介しました.癌は右の腎臓のみならず肺にも転移していることが判明,完治するかどうかさえ怪しい状態でした.

 今月初めに手術を受けて無事退院され,先日クリニックを受診された患者さんは,大変な病気になってさぞや落ち込んでいるだろうと思っていた私の予想を,見事なまでに裏切るほどの元気さでした.柔道で鍛えたという頑健な体格,血色のよい肌ツヤとよく通るその声は,手術の前と全く変わっていませんでした.
 「先生,若いころから身体だけは鍛えてきましたから,これくらいのことは平気ですよ.それにね,私ももう70年近くも生きてきたでしょう,もう何があってもへっちゃらです.万が一これでダメになっても,それはそれまでだったということとちゃいますか?!」と,驚く私を尻目に,ニコニコしながらあっけらかんとした口調で言われるのです.
 それが決してカラ元気でないことは,長らくこの患者さんを診てきた私にはよく判りましたし,彼ならきっとこの病気から完全に立ち直るだろうと感じました.

 私は最近,人生をしたたかに,そして快適に生きるための能力の一つは,どんなことでも素直に,寛容に受け入れることのできる心,一言でいえば「受容力(英語でいうacceptabilityに近いか?)」とでもいいましょうか…,そんな能力ではないかと感じるようになりました.

 このことは,このように日常診療で患者さんと接する中でもよく感じます.

 自分の病気が進行がんでしかも転移まで起こしていることことを知った時,気が動転してしまい,尋常の精神状態ではいられないのが通常でしょう.しかし現実をそのまま受け入れ,まあ,なるようにしかならない,という気持ちで,それほど肩肘張らず,淡々と治療に向き合うという姿勢は,なかなか真似できるものではありません.

 誤解してほしくはないのですが,私は決して,諦めが肝心,と言いたいわけではありません.病気と闘うために頑張るという前向きな気持ちは,病気に打ち勝つために重要であることは当然です.
 でも,だからといって悲壮感や焦りばかり抱いても,病気が早く治るわけではなく,かえって心身ともに疲弊してしまうのではないか,どうせ闘うのならば,ここはどっしり肝を据えて,語弊はあるかもしれませんが,楽しく明るく闘えばよいのではないかと思うのです.
 実際,明るい気持ち,前向きな気持ちを持つ人の方が,免疫能がより活性化され,治癒も早いといわれています.

 もっと卑近な例でいえば,飲んでいただく薬の剤型へのこだわり.中でも多いのが,粉薬や顆粒薬はどうしても飲めないという人.生理的に受け付けないとか,うまく飲み込みにくいとか,理由は様々ですが,これによりせっかくいい薬があっても飲めないわけす.
 たとえば,西洋薬では太刀打ちできないような疾患にこそ効果を発揮する漢方薬は,多くの場合顆粒ですから,これが使えないとなると,せっかくの治療の可能性をみすみす捨ててしまうことになるのです.

 食生活も然り.生魚はだめ,野菜はだめ,と好き嫌いの激しい人がいますが,これは好き嫌いを差し置いて健康にかかわることですから捨て置けません.もちろん食のこだわりを否定するつもりは毛頭ありませんし,それがあるからこ食文化が花開くわけです.でもどんなものでも美味しい,ありがたいと思って食べられるに越したことはないのではないか?

 人間関係でもそうでしょう.たとえば仕事をする上で,あの人はだめだ,この人なら大丈夫,など,とかく自分の価値観の外にある人を避けようとする人がいます.しかし世の中さまざまな人間がいるのが当たり前,そういった人々とも付き合わなければならないことはいくらでもあるでしょう.
 それに,自分とは違う価値観の人々と付き合うと,狭隘になりがちな自分の視野が大きく広がることもあることを考えれば,そういう人々との付き合いを避けてばかりでは,あまりにももったいないのではないかと思うのです.
 
 仕事に対する取り組み方でも同じことだと思います.与えられた仕事に不平不満や好き嫌いばかりを言っている人がいますが,どんなに嫌な仕事,雑用と思われるような仕事,自分の求めていたものとは違う仕事でも,とりあえず一生懸命とりくんでみればよい.その時は何の役にも立たないと思っていたことが,将来の人生の糧になることもあることを,私自身も何度も経験してきました.

 パソコンやインターネットは苦手という人も多い.それに,今でこそ少なくなりましたが,携帯電話をかたくなに拒否する人もいる.
 もちろん,なくても何とかなるといえばそれまでですが,時代は否応なくデジタル時代まっしぐら,拒否反応ばかり示していても仕方がないわけで,真っ白な心で取り組んでみても損はない.こんなに便利で楽しいものだったのか,と感動するのではないかと思うのです.
 もちろん昔のもの,アナログなものにもいいところはいくらでもあるのは事実です.でもアナログだろうがデジタルだろうが,物は使いようで,要は両刀使いになればいいわけです.

 こんなことをいうと,人間それぞれ好みや個性があるのだから好き嫌いがあるのは当然だ,と反論する人もいるでしょうし,性格や姿勢だけでは片付けられない場合があるのも否定できません.

 でも,私は50余年という人生を生きてきて,そして数えきれない人々と接してきて,やっぱりこの「受容力」こそが人生をたくましく,強く,そして楽しく生きるのに必須の能力ではないか,そしてある意味,よく言われる「ポジティブ思考」とか,作家の渡辺淳一氏が述べていた「鈍感力」にも相通じるものがあるのではないか,と思うのです.



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驚きの返書

 早いもので,今年もあと1か月半を残すのみ,街中を歩いていると,既にクリスマスとお正月商戦真っ盛りです.

 先日,冠攣縮性狭心症という病気で当院に通院されておられた患者さんが東京に転勤することになり,どこでもいいから東京都内の循環器科の医師に紹介状を書いてほしいと希望されました.
 患者さんから医療機関の指定がない場合は,診療情報提供書,いわゆる「紹介状」の宛先に医療機関の名前は記載せず,「循環器内科担当医先生」のように書き,どこへ受診してもいいようにしたためておくのが通例で,この方もこの方法で記載して,手渡しました.

 それから約1か月ほど経過した昨日,私の書いた紹介状を持ってその患者さんが受診された医療機関から返書が送られて来ましたが,それをみた私は仰天しました.
 なんとその返書の記載者は,私がかつて約4年間にわたり仙台の病院で働いていた時,同じ病院で共に仕事をしていた循環器内科のH先生だったからです.
 H先生が仙台から東京の病院に転勤になったことは風の便りで知っていましたが,数多の病院のある大都市東京で,私の患者さんが自分で選んで受診した病院の循環器科に彼が勤務していて,しかも患者さんが初めて診てもらったのが彼だったというのは,驚くべき偶然というより,神様のしくんだいたずらではないかとさえ思いました.
 文面には,H先生も大変驚いたことが書いてあり,図らずも患者さんを通じてお互いの消息を久しぶりに知るところとなり,本当に懐かしく,嬉しい思いでした.
 また,H先生なら信頼して患者さんをお任せできると想い,大変安堵したのも事実です.

 医療という仕事では,医療関係者同士のネットワークが欠かせません.特に零細企業である開業医は,手におえない患者さんを受けてくれる後方支援病院や,専門外の疾患を見てくれる同業者との連携は必須です.そしてどんな職業でもそうでしょうが,やはりお互い顔見知りであればこれほど心強いことはありません.
 
 もちろん,自分があまり知らない医療機関に患者さんを紹介したとしても,医師の紹介状というのは一種の印籠といってもよく,これさえあればどこへ行ってもきちんと診てはくれますし,それがマナーというものです.
 それでも,その良しあしは別として,やはりお互いが以前共に働いていたとか,同じ学校や医局の出身であるとか,なんらかのつながりがある方が,紹介しやすい,されやすいというのが自然な心情でしょう.悪い意味で使われることが多い言葉である「コネ」というものが,こういう場面ではいい意味で役立つわけです.

 開業してからは勤務医時代以上にいろいろな先生と患者さんの紹介をしあっていますが,やはり,以前から人柄や腕前をよく知っている医師や,医師会や研究会などを通じて顔見知りになった医師の方が紹介しやすく,また紹介されることも圧倒的に多いのが事実です.

 私も幸か不幸か,今まで様々な地域の多くの医療機関で働く機会を得,多くの医師やコメディカルたちと知り合いになりました.今日のような出来事は極めてまれにしても,長年の医師生活で培ってきた人脈は私にとって一種の宝物と言ってもよく,それが診療に役立ち,結果として患者さんたちに喜ばれるのであれば,それに過ぎたる喜びはありません.