在宅医療に一石を…

 早いもので,今年ももうゴールデンウィークです.春を跳び越して初夏の陽気のような日もあり,クリニックでは先日,ついに早くも冷房をいれてしまいました(~_~;) 

 さて,少子高齢化社会への道を邁進している我が国,2030年には65歳以上の人口が30%に達するとさえいわれており,世界一の長寿国として健康寿命も伸びている一方,要介護状態になる高齢者も激増しています.

 そうした中,うなぎ上りの国民医療費を抑制することに奔走している政府は,とにかく医療機関での入院期間を短縮して在宅医療を推進することに躍起になっています.
 今春も2年毎の診療報酬改定がありましたが,やはりその目玉は前回同様,在宅医療関係の点数の大幅な引き上げであり,我々地域医療の担い手もより一層在宅医療に関わるように仕向けられています.
 
 確かに,ひとは人生の最後を病院や施設よりも,できれば住み馴れた我が家で家族と共に過ごしたいと思うのが自然でしょうし,それができれば一番理想的であるのはいうまでもありません.

 しかし現実はどうでしょう.

 親子三代の大家族で暮らしていたような一昔前の時代ならいざしらず,核家族化や少子化が進んだ現在では,多くの高齢者が夫婦だけ,あるいは独居で暮らしており,子供や嫁がいても日中は仕事にでていることも多い.
 だから老々介護など当たり前,さらには夫婦とも認知症で認々介護などという笑えない現実さえあります.

 我が国独自の介護保険制度は,我々のような地域医療の担い手がタッグを組んで少しでもこの現状を改善するべく,平成12年に創設されたというわけです.

 しかし,いくら介護保険制度や地域医療の支援体制が充実しても,結局最後に負担がかかるのは,要介護者の家族であることに変わりはありません.

 クリニックでも数人の在宅介護の患者さんを診ていますが,いつも思うのは,やはり家族の負担たるや,大変なものだということです.

 母の介護のために会社を辞めたり結婚をあきらめざるを得なくなった息子さん,介護の方針を巡って仲たがいしてしまった家族,夫の介護の過労でうつ病などの病気になってしまった奥さん,家を空けられないので旅行はおろか長時間の外出さえままならない家族…
 世間では,介護疲れで要介護者を発作的に殺してしまったり,自殺してしまったりするという悲惨なニュースも後を絶ちません.

 言い換えれば,介護は,短期間であったり周囲のサポートが万全である場合は別として,多くの場合,介護者の生活や人生設計さえ狂わせてしまっていると言っては言いすぎでしょうか?
 
 確かに,家族を最期まで自宅で介護するということは,家族愛の証であり,賞賛されることだと思います.だから人々が肉親や伴侶への思いで進んで介護をすることに異論をさしはさむつもりは毛頭ありません.

 しかし,たとえば万が一私がいつか介護されざるを得ない側になったとき,かみさんや娘たちの負担を考えると,複雑な気持ちになります.

 批判を恐れずに言えば,私は,誰もが家族の介護を心から喜んで行っているわけではない,育ててもらった肉親や長年連れ添った伴侶を最期まで世話することは当然,そうでなければ人の道に外れるのではないか,周囲から批判されるのではないかという,いわば無言のプレッシャーのようなものがあることも否定できないのではないか,と思うのです.

 平均寿命が60歳そこそこだったような一昔前は,認知症のような病気もなかった,というより,それが発症するかしないかという時点で皆亡くなっていたわけですし,癌や脳梗塞のような病気になっても,罹病期間自体が短いので家族の負担も少なかった.
 言いかえれば,医学の発達は皮肉にも,長期間の介護を要する寝たきり老人も増やしてしまったというわけです.
 しかも核家族化や少子化によるマンパワー不足,そこに医療費抑制による在宅医療へのシフトが追い打ちをかけ,介護というのものをますます容易ならざるものとしている…

 在宅医療という言葉は確かにすばらしい,でもそれがために,介護する側の人間の,一度しかない大切な人生まで狂わせてしまうというのはどうか?
 つまり,少なくとも今の日本の現状では,在宅介護は素晴らしいこと!などという単純なヒューマニズムだけでは片付けられないわけで,社会構造が変わってしまったのですから,それに即した考え方にすることも止むなしと思うのです.

 私個人の意見であり,理想論と批判されるかもしれませんが,現状では経済的に恵まれた人しか入居できない介護付き有料老人ホームのような施設を,もっともっと敷居を低くして誰でも入れるようにするのが一番いいのではないか,そして入居者が家族に遠慮することなく余生を快適に自由に過ごし,しかも最期まで必要最低限の医療や看護を受けられるようにすれば,双方が不幸な道をたどらなくてよいのではないか?と考えます.

 もちろん介護する側もされる側も,自宅での介護を希望し,しかもそれが幸せだと思うのであれば,それを否定するものではないことを付け加えておきます.
  

  


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新しき挑戦

 4月に入り,すっかり春の陽気となりました.クリニックの入っている神戸芸術センタービルの横を流れる生田川沿いの桜の花々も見事に咲き誇っており,目を楽しませてくれます.
 街を見渡すと,真新しい制服に身を包んだ学生や,まだスーツをうまく着こなせていない新入社員たちをあちこちでみかけます.我が家の次女も今月から新社会人として会社勤めを始めました.

 そして光陰矢のごとし,クリニックもまもなく丸4周年を迎えようとしています.
 開業当初は何から何まで大変で,寝ても起きてもクリニックのことが頭から離れませんでしたが,スタッフ一丸となって頑張ってきた甲斐あって諸事余裕がでてきた昨今は,精神的にもずいぶん楽になりました.

 そんなわけで,実は半年ほど前から,かみさんと共にサックスを習い始めました.
かみさんも私もピアノやエレクトーン,合唱,クラシックなど音楽には慣れ親しんできましたが,そろそろ老後?の楽しみに(笑)何かもうひとつ楽器ができたら…と思い,昨秋,三宮にある某ミュージックサロンをのぞき,サックスの体験クラスに参加したのが運のつき,その場の勢いでそのままレッスンを続けることとなってしまいました.

 今は月に3回ほどそのサロンに赴き,私たち二人を含めて数名のクラスでレッスンを受けています.先生はまだ20代後半のチャーミングな感じの女性ですが,音大出身のプロのサックスプレイヤーです.

 音楽の経験があるので楽譜を読むのは朝飯前,リズムや曲想のとらえ方などのセンスも素人よりはずっとましと自負,しかも鍵盤楽器とちがい単音楽器なので,指使いさえ覚えてしまえばすぐ吹けるようになるだろう,なんてタカをくくっていたのですが,ところがどっこい,音一つ出すのもなかなかむずかしい.

 当たり前のことかもしれませんが,ただ吹けばすぐにいい音が出るなんていう代物ではないことを,身を以て思い知らされました.息の入れ方やマウスピースにあたる歯や唇の位置で音がエラく違ってくる.みんなで同じ音を吹いていても,あっちでピー!とかこっちでプー!とか変な音が聞こえ,先生を苦笑させること数知れず…
 同じように吹いていても先生が吹くとどうしてこんなに綺麗な,かっこいい音が出るのか??

 まあ先生はサックスを生業としているバリバリのプロなのですから,上手いなんて評価するのも失礼ですが,楽器が身体の一部になっているとでもいうか,やっぱり吹いているサマが絵になっていて,思わず聞き入って,というより見入ってしまいます.

 それでも継続は力なり,最近は少しずつそれなりに上達し,もちろんまだ人に聞かせられるようなレベルでは到底ありませんが,簡単な曲ならとりあえずは吹けるようになりました.

 先回のレッスンでは,7月に大阪で発表会があるので参加しましょうとの先生からの突然のお達し…! 驚く私たたちを前にして,初心者から上級者までレベルに合わせてグループで演奏するので大丈夫ですよ,なんてニコニコしながらおだてられ,まあ子供のころにオルガンを習い始めたころの経験の再来かな,なんて思いつつ,無謀にも??参加することとなりそうです.
 
 新しいことを始めるというのは,何歳になっても刺激に満ち溢れ,楽しいものです.
クリニックに通院されている患者さんたちをみていても,いろいろなことにいつもチャレンジしたり,絵や音楽などの芸術やスポーツに打ち込んでいる人たちは本当に若々しい. 
 
 まあ,クリニックのBGMでかけているあの名サックスプレイヤー,Kenny Gのように吹けるようになるのは無理としても,少しでも人に聞かせられるようなレベルにするべく楽しんで練習し,それが心身両面でアンチエイジングにつながればそれほど嬉しいことはありません.