Dr.OHKADO's Blog

. チーム OR

 先日,天皇陛下が東大病院で冠動脈バイパス術を受けられました.執刀医は日本を代表する心臓外科医である順天堂大の天野篤教授で,今回ばかりはさすがの天野先生も緊張されたようですが,手術は無事終わり,術後経過もおおむね順調のようでなによりです.

 天野先生などとは比ぶるべくもありませんが,私も長年,外科医のはしくれとして消化器一般外科,そして心臓血管外科医として多くの手術を経験しました. 
 
 手術室(オペ室,ORともいいます)というのは,どの病院でも一種独特な空気を醸し出す空間だと感じます.広い病院の中でこの隔絶された空間は,一般人にとっては手術でも受けない限りまず一生入ることのない場所ですが,外科医にとっても,術衣に着替えて一歩中へ踏み込めば,単なる仕事場というより,病棟や外来にいる時とは違う自分になる,いわば異次元空間のようなものなのです.
 
 手術室の入り口で心配そうに見守るご家族に見送られて患者さんがこの「聖域」に運び込まれると,麻酔医や看護師さんたちを中心に手術前の準備がいそいそと始められます.そして麻酔をかけられた患者さんが深い眠りにつき,点滴やモニター類などの装着が終わるころになると,外科医はいざ出陣,いよいよ手洗いにかかります.

 手洗い場のシンクの正面の鏡にうつったマスク姿の自分を目の前にして,ブラシと消毒液で両手や腕を入念に洗う,この10分ほどの静かな時間はいつも,これから始まる手術の手順を頭の中でシミュレーションしたり,緊張している心を落ち着かせる,一種の瞑想の時間でした.特に難しい手術のとき,緊急手術のとき,自分が術者の時は,より大事なひと時でした.
 看護師さんに手渡してもらった術衣に腕を通し,手伝ってもらいながら着終わると,いつもなんとも言えない胸の高まり,使命感のようなものを感じたものでした.

 手術では,よく外科医の腕ばかりが話題になりますが,外科医がよい手術を行えるのも,それを支える他のスタッフたちの能力,そして彼らとの良好なチームワークがあってのことです.優秀な器械出しの看護師さん(手洗いをするのでスクラブナース(scrub nurse)といいます)は,外科医の考えていること,これからやろうとすることをまるで長年連れ添った奥さんのようによく判っている.だからいちいち「メス」とか「ペアン」とか言わなくても,適切なタイミングで適切な器械をすっと出してくる.しかもそれが,外科医が差し出した掌の中に心地よく収まるように渡されるのです.熟練の外科医と熟練の看護師との全く無駄のない動きは,まさに芸術的とさえいえます.

 下世話な話になりますが,マスクをした美人スクラブナースが綺麗で優しい瞳に笑みをたたえながらテキパキと介助してくれたりすると,手術する我々も本当に楽しくなります(笑)

 麻酔医は,ただ患者を眠らせているだけではありません.外科医が手術に専念できるのも,手術が可能な限り順調かつスピーディーに進むように呼吸や循環動態を安定させてくれる彼等のサポートあってのことです.麻酔医の腕の良し悪しが術後経過さえ左右するともいえます.
 
 人工心肺をまわす,臨床工学士と言われる技師はまさに心臓手術の要といっても過言ではありません.彼らは,心臓を止めている間の生命線を握っているわけですから,その技術の良し悪しは手術の成否を大きく左右します.ベテランの臨床工学士は,経験の浅い外科医以上に心臓手術のことを判っていて,モニターに映る心臓の状態や心電図波形をみて,外科医にアドバイスしてくれることさえあります.

 外回りの看護師も重要です.出血量のカウントに輸血や点滴の準備,器械台への物品の補充など,非常に多くの仕事があり,英語でランニングナース(running nurse)と言われるのも,さもありなんと思います.

 よくドラマや映画では,手術の緊迫した場面ばかりがかっこよく描かれますが,実際はそんなににずっと緊張してばかりでは根気が続きません.
 どんな手術でも肝とでもいうべき重要な部分と,そうでない(というと語弊がありますが)部分を含め,緩急のリズムというべきものがあるのです.
 
 たとえば心臓の手術の場合は,最も精神を集中するのは,人工心肺をまわして,心臓を止めてからでしょう.
 心臓を安全に停止させておける時間はどんなに長くても180分くらいが限界ですので,その間に重要な部分の操作をすべて終えなければならず,しかもこの時間は短ければ短いほど心臓へのダメージが少ない.ですからある意味時間との勝負で,この時こそまさにチームワークが試されるといってもいいでしょう.
 
 さて重要な部分が終わり,心臓を止めるために大動脈を遮断していた鉗子を外して心臓に血液が再び流れ,蒸気機関車の大きな動輪がおもむろにまわり出す時のように,ゆっくりと拍動を再開したときは,何回手術を経験しても心から安堵し,この時ばかりは手術室全体に張りつめていた空気がいっぺんに和みます.

 そして心臓のリズミカルな拍動が完全に復活し,血圧や心電図波形も安定して人工心肺から離脱できれば,あとはいつものように胸を閉じるだけ,ここで外回りの看護師さんがご機嫌なBGMをかけてくれたりして,みなリラックスしながら最後の仕上げにかかるわけです.時には楽しく雑談もしながら…でも手はしっかりと動かしていますからご心配なく(笑).

 もちろん手術はいつも順調にいくわけではありません.出血が止まらなくて止血に難渋したり,予想外に視野が悪くて非常に時間がかかったり,全身状態が極めて悪く手術室で帰らぬ人となったり,大動脈瘤破裂のような超緊急の手術で深夜に呼び出され,眠気と疲労と酔いと(?)闘いながら朝までヒイヒイいいながら手術をしたり…,大変なことも本当に多々経験しました.
 
 でもどんなに大変な手術でも,うまくいって患者さんやご家族から感謝のことばを頂ければ,達成感と充実感を感じ,疲れもふっとんだものでした.外科医というのは単純なもので,そんな喜びがあるからこそモチベーションを保てるのだといえるでしょう.
 
 開業医となった私はもうこんな大きな手術からはすっかり足を洗い,手術といえば下肢静脈瘤の日帰り手術や皮下腫瘤の摘出手術くらいしか行わなくなりました.それでも私の行う手術を優秀で綺麗な当院の看護師さんたちが手際よく介助してくれてテキパキと進むと,小さな手術ながらもやっぱり楽しく,充実感があります.

 そしてそんな小さな手術でも患者さんたちにとっては身体にメスを入れられるという経験には違いなく,手術がうまくいって症状が軽くなり喜びの言葉をいただければ,やっぱり本当に嬉しいものです.
  
*ブログのトップページのプロフィール写真は,心臓手術を行う私のかつての雄姿?です.
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. 食こそ幸せ

 医療技術の一つに胃瘻(いろう)というものがあります.

 これは,病気や加齢により自力で口から食事を全く摂れなくなったとき,腹壁から胃に人工的に瘻孔(通路)を作り,栄養剤を直接流し込む方法です.点滴と異なり一般の人でも管理ができるので,在宅医療にも欠かせない治療方法となっています.しかも内視鏡の進歩で入院なしでも簡単に作れる方法が確立してからは爆発的に普及,私も消化器内科医に頼んで多くの患者さんに胃瘻を作ってもらった経験があります.

 しかし昨今,安易に胃瘻を作る風潮に対して,人間の尊厳という観点から疑問が投げかけられるようになりました.

 胃瘻は本人の食欲や咀嚼(そしゃく)・嚥下(えんげ)の能力に無関係に必要な栄養を全て入れることが出来るので,理論的には食事を一切摂らなくても一生を全うすることが出来ます.
 しかし,胃瘻を通じて与える食事(というには語弊がありますが)は,舌に触れることはおろかのども通らないので,味覚やのどごしといったものはもちろんわかる由もなく,単なる栄養補給,言葉は悪いですがエサとしか言えない.つまり一時的な措置として作る場合はともかく,経口摂取が永久にできないような状態の人に胃瘻を作るという選択は,まさに単なる延命措置そのものではないかというわけです.

 確かに口から食べるのと胃瘻から入れるのとでは,栄養学的には何も変わらないはずです.
 しかし,正確な統計があるかどうかは不明ですが,いつまでも自力で口から食べられている人は本当にいつまでも元気だという印象を受けるのは私だけではないでしょう.

 自力で口から食べられるということは,もともとそれだけ元気だからではないか,と言われればその通りかもしれません.
 しかし食べ物を自分の口で食べて,歯で噛んで,舌で味わうことは,咀嚼運動が脳を刺激し,美味しさを感じる喜びが脳内でエンドルフィンを出し,結果として心身の状態の改善につながるということは周知の事実です.

 そもそも人間に限らずすべての生き物は,自分の力で食べてこそ,真の意味で生きているといえる,つまり本来ならば,それが出来なくなることこそが死を意味していたわけで,それが自然の摂理だったわけです.

 ところが,胃瘻に限らず医学の驚異的な進歩は,皮肉にもわれわれが当然と思っていたそんな自然の摂理を冒涜することになってしまったということです.
  
 私は人生の折り返し点を過ぎた頃から,いったい人間にとって本当の幸せとは何かということをよく考えるようになりました.
 
 お金持ちになって裕福な生活をする,愛する人とずっと一緒にいる,好きな趣味を続けることができる,仕事で大出世する,有名になる,人々の役に立つことをして感謝される…など,幸せの中身は人それぞれでしょう.
 
 でもそのためにはやはり,自分が心身ともに健康で,衣食足りているということが最低条件だということは否定できません.
 つまり,民族や貧富や社会的地位にかかわらず,最低限の生活が保障されて,食べることに不自由しないということこそが,どんな人にとっても間違いなく最も基本的な権利,かつ幸せの条件ではないでしょうか.

 今よりずっと若くて体力もあり,三度の飯もそこそこに馬車馬のように仕事に打ち込んでいた時は,そんなことに思いを馳せることはあまりありませんでした.

 もちろん医師ですから,患者さんの命を助けられたとき,そして感謝の言葉を頂いたときなどは,至上の幸せを感じるのは当然です.

 でも,自分で立ち上げた開業という事業もようやく安定し,今後の自分の生き様を思い描くにつれ,健康であること,そして食べることに不自由しないこと,そんな単純なことが,幸せな人生を送れるために最も基本的なことなのかもしれないと思うようになりました.
 
 美味しいものをゆったりとした気分で食べているとき,心の底からリラックスし,楽しい気分になります.特にこれまたおいしいお酒が飲めて素敵な女性(一応?かみさんも含めて(笑))が横にいるときなどはもう最高で,このまま時間が止まってほしい!などとさえ思います(笑)

 そうした時間を持ててこそ,日々の仕事に対する活力や情熱を持ち,幸せを感じることができるのだと感じる今日この頃です.
 
. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です。
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
ご意見下さい.

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