心躍る体験

 早いもので今年も残すところあと1か月半足らず,今日神戸では第1回神戸市民マラソン大会が開かれました.
神戸市初のフルマラソン大会となる今回は,大会を成功させるためにのべ6000人近くものスタッフやボランティアが動員されたとのこと,救護を担当する医療スタッフも募集がありました.
 私も医師会からの要請半分,好奇心半分で,救護所の医師として参加しました.

 大会ではコースに沿って20か所以上の救護所が設けられましたが,私の派遣されたのは中央市場前,33Km地点の救護所で,兵庫区で開業されておられるO先生と私との医師2名,民間の病院からの看護師さんたち4名を中心に,事務,受付,連絡係,記録係,医療補助,搬送,AED隊,さらには手話や通訳の担当!までいる,総勢約20名を超えるチームでした.
 
 スタートの号砲は午前9時に鳴らされ,我々のいる33Km地点にランナーたちが到達してきたのは10時45分すぎくらいでした.先導車に続いてトップを独走していたのは早稲田大学のマークをつけた選手で,その体型,走り方,スピードから並みの選手ではないとは感じました.結局優勝のゴールテープを切ったその選手は,バルセロナオリンピックで4位に入賞したあの中山竹通選手の息子さんだったというのは,あとで知るところとなりました.まさにサラブレッドたるトップアスリートの走りを間近で見られたのは幸運でした.

 最初の数十人はさすがに場数を踏んだアスリート達らしく,体脂肪が一桁と思しき様な鍛えあげられた身体,軽快なそして美しいまでの走り,リズミカルな息づかい… 間近で見ていて感動的でしたし,まだこの時は全く仕事はなく,沿道での応援を楽しめました.
 
 でもそうしたトップクラスのランナーたちが走り去ってからしばらくして,一般の市民ランナーたちが大挙して押し寄せてきたころから救護所はにわかに慌ただしくなりました.気分不快で倒れこむようにして入ってきた高齢の男性,こむらがえりのひどい若い男性,膝が痛くて走れなくなった男性,足の指にまめができた男性,吐き気や腹痛をきたした女性,さらには生理がはじまってしまった女性まで,ひっきりなしに入ってきました.

 治療といっても,薬品は鎮痛剤のロキソニンとこむら返り用の芍薬甘草湯があるくらいで,あとはコールドスプレー,アイシング,テーピング,ベッド上安静くらいが関の山,それ以上の重傷者は近隣の病院に搬送する手筈となってはいましたが,幸運にも私のいた救護所ではそのうようなランナーはなく,用意していたAEDも出番はありませんでした.
 残念ながら落伍者となってしまった方々,完走をめざしてレースに戻っていかれる方々,思いはさまざまでしょうが,彼らがかけてくれた感謝の言葉は我々の励みにもなりました.

 一般ランナーの大半は,この大会自体を楽しんでいるという感じの人がほとんどで,33Km地点ともなると,走るというより,スロージョギング,あるいはウォーキングといった趣のほうが強く,着ぐるみをきたり,今回の大震災の被災者へのエールを書いたウェアを着ていたりして,見ている者の目を楽しませていました.
 
 初めての大会の上,寄せ集めのスタッフ同志なので戸惑うこととも多く,てんやわんやで試行錯誤しつつの救護活動でしたが,たかだか数時間の活動ではあるものの連帯感のようなものも生まれ,楽しく貴重な経験となりました.
 
 私は成人してからはマラソンのような長距離を走ったことはありませんが,中・高校時代は,六甲学院伝統行事である冬の強歩大会がありました.36Kmというフルマラソンに近い距離を中1から高3まで約1000人がいっせいに走るこの行事は近隣でも有名で,今でも続いています.

 毎日の通学では標高200mもの高さまで非常に急峻な坂道を約25分も歩いて通学し,これも名物行事である中間体操で,毎日20分近く校庭を真冬でも上半身裸で走らされました.強歩大会はそうやって鍛えた強靭な足腰と根性を競う行事で,私も最速3時間20分で完走したことがあります.その時子供ながらに感じたのは,やはりマラソンというのは結局自己との闘いだということでした.

 今や日本は空前のマラソンブーム,健康志向はもちろんでしょうが,自分の力だけを頼りにして長い距離を完走することによって得られる達成感,走っている間の苦しいけれども無心になれる,そして充実した時間,このときばかりはストイックな自分に変身できる喜び…,大げさかもしれませんが,殺伐とした現代社会や人間関係の中につかっている我々現代人が渇望しているものを,与えてくれるのかもしれません.

 今日の大会,今回は医療スタッフとして参加,大変貴重な経験をしましたが,いつかはランナーとして走ってみようかな?なんて思っています.でもろくに練習もせずに参加して完走できなくても恥ずかしいので,止めとこうかな(笑)

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着せ替え人形(~_~;)

 二人の女性が談笑している声をカーテン越しに聞きながら,私は畳半畳ほどの狭い空間で,まだ値札のついた真新しいシャツに袖を通そうとしています.
 ようやく着終わって等身大の鏡に映った自分の姿を確認,シャツよりも,見つけた白髪の方が気になって思わずプチッと抜き,おもむろにカーテンを開けると目の前にはかみさんとショップの女性店員さん.
 「うーん,まあまあかな.じゃあ次はこれも着てみて」かみさんに別のシャツを渡されると,カーテンを閉め,またいそいそと着替え.内心は「めんどくさ
 再びカーテンを開けて,ちょっと恥ずかしげに?ポーズをとると,「どちらもとってもよくお似合いですよ!」とまだ二十代とおぼしき,とってもチャーミングな女性店員さん.お世辞半分とは思っても,きれいな女性に誉められると悪い気はしないのが悲しい男の性かな
 かみさんはすかさず「私はこっちの方がいいと思うけど,どっちがいい?」
 店員さんも「そうですね,こちらの方がご主人さんの雰囲気にはあってますね」なんてニコニコしながら同意している.ホンマかいな?
 私,「じゃあ,こっちでいいよ」と,本当は最初の方がよかったかも,なんていう思い(これも特に理由はないのですが)が少し頭をよぎっても,かみさんと店員さんが選んでくれた方を選んで決着!

 そう,実はこれは私が洋服を買うときの,いつものお決まりのパターンです.

 恥を偲んで?いうと,私は服装というものに対するセンスがあるほうではありません.中高と男子校に通っていたせいか,あるいは医師という職業上,1日の大半を白衣や術衣で過ごしてきたせいか… とにかく着るものについては以前からあまり興味がなかった.
 
 対してかみさんは,女性であることを差し置いても,ファッションセンスは私などとは雲泥の差で,私の洋服を選ぶときも,私には決定権がない,というより何が自分に似合っているのかはっきり言って自分でもよく判らないので,結局彼女が決定するはめになります.
 だから洋服を買う時は,私はこんな風に彼女と店員さんとの「着せ替え人形」状態となるわけです.出かける時も,玄関先で「ダメだし」が出ていそいそと着替えることもしばしば…

 ただ自慢ではありませんが,私は背が180cm以上ある上,体型も学生時代からほとんど変わっていない.そんなことも手伝ってか,割と選択肢が広いとのこと,ショップの店員さんには,「お客さん,背が高いしスマートだから,どんなものでも似合いますよ」などと言われると,またまた社交辞令かいな?などと思っても,内心ほくそえんでしまいますし,女性の知り合いにも「おおかどさん,背が高いからなんでも似合うね」なんて言われると,それを本気にしてますます考えることをしない(笑)

 ビジネスマンがネクタイの色やスーツの着こなしに苦労して,それが会社の女性社員たちや得意先の評価対象にまでなっているというような話をきくと,白衣ひとつでいい医師というのは,本当に楽だなあと思いますが,結局それが,ますます服装のセンスを磨く機会を失わせてしまっているのかもしれません.スーツやネクタイにしても,勤務医の時は,年に数回の学会などで着る機会はそこそこありましたが,開業してからはそれもほとんどなくなり,最近ネクタイをしたことといえば,1年くらい前にあった結婚式くらいでしょうか(笑)

 センスということばは,才能と同様,衣食住はいわずもがな,芸術,スポーツ,学問と,どんな分野でも使われます.

 無数にあるワインの味を識別できるというソムリエの才能やセンスは,私などにとっては尊敬というような単純なものではなく,全く信じがたい超人的なものにさえ思われ,数万本ワインを飲んだとしても自分には絶対に無理だろうな,というような世界だと感じます.
 ワインを飲むこと自体は好きな方で,自分でも買ってきて飲んだりはしますし,ワインの種類や産地,ラベルの読み方ぐらいはわかった方が面白いと思って自分なりに勉強し,けっこう薀蓄を垂れることはできるようになりました.けれども,肝腎の味そのものについては「男性的だがそれほどしつこくはない」とか「フルーティだが牧歌的な香りもする」などと言われても,なんじゃそれ?って感じです.
  
 私が唯一他人よりは少しセンスがあるかな?と思うのは音楽や語学力くらいでしょうか.
 別に両親が音楽家だったわけではありませんが,幼少時から当時はまだ珍しかったエレクトーンを習わされました.私には他にも習い事をいくつかさせようとしたようですが,どういうわけかそれだけは楽しくて自分ら進んで続け,途中中断はあるものの,結局大学まで習い続けました.
 そのおかげで音楽的センスが自然と身につき,楽譜は難なく読めるのはもちろん,絶対音感とまではいきませんが,曲や歌を聞けば,音が外れているかどうか,和音があっているかどうか,何分の何拍子か,曲想はどうかなどは直観的にわかりますし,耳コピーすることもできます
 そのおかげもあって大学時代は混声合唱団に誘われ,パートリーダー,指揮者と小さな世界ではありますがエリートコース?を進めました(笑)ただカラオケなどで他人が歌っているときに,音がちょっとでもはずれていたりすると気になって仕方がないのはこの弊害かもしれませんが…(笑)
 いずれにせよ,音楽に対する知識やセンスは,もちろん一流の音楽家にはかなうべくもないものの,好きこそ上手なれという言葉の通り,経験によってごく自然に磨かれてきたものだと思います.

 医療の世界でもセンスは大変重要だと感じています.
確かに医学という学問自体は純然たる科学であり,厳格で普遍的な理論に裏打ちされているものです.だからそこにセンスや感性といった要素が入る余地はないように見えますし,その知識や技術は,真面目に勉強し,経験を積めば,誰でも平均的なレベルには達します.
 しかし実際の臨床では,医師や看護師の能力はそれだけでは説明できない部分がある.痛くない注射の仕方,処置の時のガーゼやテープの貼り方,病気を診断したり治療方針を決める時の手順,手術における糸の裁き方や視野の展開の仕方など,技術的な点はもちろんです.しかし何よりも,極めて複雑で,しかも誰ひとりとして同じではない“心”というものを持った生身の人間との人間関係の構築,これこそある意味高度なセンスが必要といってもいいかもしれません. 

 才能と同様,センスの良し悪しは,生まれながらの天性がかなり左右するというのは否定できないでしょう.一流スポーツ選手や芸術家の子息たちが親と同じ道で功を成すことが多いのは,環境もさながら,やはり優れた遺伝子を受け継いでいるからだと思います.
 それでも,一流とまでは行かなくても.左脳だけでなく右脳をフルに使い,五感を研ぎ澄ます努力をし,可能な限り経験を積めば,天性のものがなくとも限りなく磨けるものであることも事実だと思います.そして何よりも重要なことは,まずその分野に興味を抱くことであることは間違いありません.

 私も人生の後半は,本業の医療はもちろんのこと,服装や味覚など,自分があまり得意でない分野についても右脳と五感をフルに働かせて感性を研ぎ澄まし,少しでもセンスを磨いていこうと思いますし,それがアンチエイジングにもつながるキーワードの一つではないか?と思っています.
 
 今度は自分で洋服を選んでみようかな(笑)