真の意味での支援を!

 東北地方を中心に未曾有の大災害を引き起こした東日本大震災の発生からはや3週間が経過,死者は既に1万人を軽く超え,行方不明者もいまだ2万人近くにも及んでいます.それでも日本全国や世界各国からの救援に支えられて,少しずつではありますが復興の足音が聞こえています.

 ただ,むしろ今や世間の目は,この地震によって放射能漏れというあってはならない事故を引き起こしてしまった福島第一原発の行く末に注がれています.
 現場では,東京電力の関係者はもちろん自衛隊や消防なども出動して,連日危険と隣り合わせの作業を行ってなんとか被害の拡大を食い止めようとはしていますが,いまだ事態の収束の目途はたっておらず,半径30Kmもの範囲の住民が避難を余儀なくされ,さらに農産物や土壌,海水等から次々と放射線物質が検出されるにおよび,日本中がかつてない大打撃を受けています.
 
 先日あるスーパーマーケットに買い物に行ったら,ワカメや昆布が商品棚からことごとくなくなっていました.おそらく,今回の原発事故で漏れた放射性ヨウ素が甲状腺に取り込まれると癌を引き起こす可能性があるとの報道により,正常なヨウ素の含まれる食品を摂取するとそれが防止できるという噂が広まったためでしょう.
 また驚くべきことに,水質汚染の心配からか,東京などでは安全な水を求めて水のペットボトルが店先から消えてしまったとか,福島や近隣の野菜が全く売れなくなっているとのことも聞き及びます.

 私は常日頃から,日本人というのは本当に流行やデマに弱い,異様なほどの潔癖感を持つ人種であると感じてきました.正直で勤勉な国民性は今回の地震でも素晴らしい復興のエネルギーとなっていますが,反面,狂牛病しかり,新型インフルエンザしかり,いつもとんでもない風評が出て悪い方悪い方へと過剰な反応をしてしまう.

 テレビの健康番組で何々が身体にいいと聞けば,東奔西走して我先に買い求め,翌日にはスーパーの店頭から一斉に姿を消すほどになるし,逆に少しでも身体に悪いと聞けば,瞬く間に不買運動がおこる.しかし面白いことに,沢山のサプリメントを飲むのには抵抗がないのに,禁煙には全く興味がないとか,放射線が身体に悪いことなど以前から判っているのに,いくら不要だと説明しても極めて被爆線量の高いCT検査を受けることは嫌がらない.
 
 今回の件に関しても,日常茶飯事になった海外旅行で機上で浴びる放射線量の方が遥かに多い.それでも1年に90Kgというあり得ないような大量を食べない限り問題ないといわれるホウレンソウも出荷停止になり,たとえそれらが市場に出たとしても今の時点ではとても売り物にならないでしょう.

 でもこういう風評被害の原因を国民性だけに求めるのは酷かもしれません.

 過去にも大きな事故や災害が起こった時の政府や企業の初期対応がまずかったり,あとになって虚偽や隠ぺいの事実が出てきたりというような例には事欠かず,それゆえ今回も政府や東京電力などの一連の対応には,責任逃れのため,あるいは混乱を避けるために実は何か大事なことを隠蔽しているのではないかというような,疑心暗鬼の気持ちに苛まれてしまっているというのも大きな原因でしょう.それに何と言っても,今までさんざん安全を売り物にして原発普及を行ってきた政府や企業に裏切られた,という不信感が計り知れないほど大きいのも当然です.

 しかしそうではあっても,実際現場でまさに命がけで懸命の作業を続けている人たちに責任はなく,また厳しい生活を強いられている被災者の方々の心情を推し量れば,やはり政府や企業は出来るだけ正確な情報を出来るだけ速やかに,何よりも責任感を持って国民に知らしめること,そして我々庶民はもっと客観的・冷静になり,せめて無意味な買いだめや買い控えを即刻中止することこそが,間接的ではあるけれども被災地への大きな支援になるのではないかと思うのです.
 


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今こそ立ち上がる時

 巨大な大津波があっという間に沿岸に押し寄せ,防波堤を軽々と越えて次々と町や村を飲み込んでいく.建物も橋も,道路も自動車も列車も,そして逃げ惑う人々をも,まるでおもちゃを弄ぶかのように押し流し,あとにのこったのは大量のがれきの山,山… そして数え切れないほどの犠牲者たち…
 テレビ画面に写されたその場面は,決してハリウッド映画の一場面ではありません,眼を疑うようなその信じられない光景はまさに現実に起こった大災害でした.

 3月11日午後に東北地方の太平洋沖で発生したマグニチュード9.0という世界最大級の巨大地震は,高さ7mにも及ぶ大津波を発生し,街や集落の大部分が一瞬にして破壊されるなど,東北から関東にかけての沿岸部を中心としてとてつもない大災害を起こしています.現時点でも死者の数は1800人,行方不明者は10000人を超え,日を追うごとに増えている犠牲者は,最終的には阪神大震災をゆうにしのぐ10000人を超えるのではないかといわれています.

 東北随一の大都会,仙台も,沿岸部が大津波で数百人規模の死者を出すなど,甚大な被害をこうむりました.杜の都仙台といえば,関西に帰ってきた8年前まで,仙台循環器病センターに勤務しながら約4年間を過ごした思い出の街です.今回の地震で壊滅的な被害を受けた石巻も,気仙沼も,そして相馬市も家族や仲間たちと出かけた思い出のある場所でした.また福島県いわき市も,30歳代の半ばころ,やはり勤務医として1年半を過ごした街です.
 
 私はいてもたってもおられず,地震の翌朝に現地に住む何人かの知り合いに携帯電話やメールを送りました.しかし当然予想していたとはいえ,全く不通の状態でした.
 地震翌日の夜間に,突然携帯電話が鳴り響きました.電話の主は,仙台循環器病センターで共に働き,今でも交流がある臨床工学士のH君でした.
 仙台は全てのライフラインが街全体で完全にストップしており,電話やインターネットも不通で,その日の朝に私が送ったメールをようやく受けることが出来,また自家発電をしている病院で携帯電話を充電できたため電話してきたとのことです.
 電気が止まっているため街は真っ暗で,皮肉にも夜空の星がすごく綺麗に見えるとのこと,交通手段もストップし,ライフラインの復旧は全く見通しがたたないとのことでした.ただ幸いにもH君やその家族をはじめ,私の知ってる病院の医師や看護師さんたちなども無事とのことでした.
 とにかくどんなことでもいいから私に出来ることがあれば教えてほしいと言うと,「先生ありがとう,でもその気持ちだけで十分,みんなで頑張ります!」と気丈に話している電話口の声に,思わず涙腺が緩みそうなりました.その後も知り合いの看護師さんなどからメールが届き,無事を確認しましたが,いまだに連絡の取れない知り合いが私にもかみさんや娘たちにもおり,本当に心配です.

 この未曾有の大地震については政府の対応も非常に早く,しかも米国や,つい先日大地震があったニュージーランドをはじめとする世界60カ国以上の国々がすぐに救援を申し込んできたとのこと,本当にありがたい限りです.

 世界中の新聞やニュースもこの地震を連日一面で取り上げています.
アメリカでは,ウォールストリート・ジャーナルが「不屈の日本」と題する社説で,地震大国日本の技術力とそれによる建物の耐震化をしてきたことの「備え」をたたえ、それにより今回の地震でも高いビルが持ちこたられたと分析し,また緊急地震速報を「世界最先端の技術」と紹介しているようです. 
 ニューヨーク・タイムズは阪神大震災当時に東京支局長だったニコラス・クリストフ氏が日本人の精神力の強さをたたえ、阪神大震災の時にも決して略奪や支援物資の奪い合いが生じなかったのは日本人の忍耐力や冷静さや秩序正しさによると説明し,今後もそれらが示されるだろう,と復興に向けてエールを送ったそうです.
 こういった非常事態においてさえも冷静さを失わずマナーを守り,お互いに助けあおうとする日本人の姿勢はアメリカのみならず,ロシヤや中国のメディアでさえも,驚きと賞賛とともに,我が国に学ぶべきものがあると報道しているようです.

 テレビで刻々と報道される被災地の想像を絶する悲惨な状況や,家も家族も失い,空腹と寒さに耐えながら避難所で過ごす人々の不安と苦渋に満ちた表情を見るにつけ,そして今後の長い復興の道のりに思いを馳せるにつけ,同じ日本人として本当に胸が締め付けられるような気持ちになります.

 日本はこれまでも太平洋戦争,阪神大震災など幾多の悲劇に見舞われてきましたが,世界に誇るべき勤勉さとまじめな国民性により,そのたびにたくましく乗り越え,世界に冠たる経済大国になりました.
 古来未曾有の甚大な被害を引き起こした今回の地震からの復興も,筆舌に尽くしがたい苦労を伴うに違いありません.それでも私は,我々日本人は今回もこの大きな試練を必ず乗り越えられると信じています.
 
 このたびの大地震で大変な被害を受けられた方々に心からのお悔やみと,そして大きなエールを送ります.
 



心癒す再会

 今年初めのある夜,スタッフたちとの新年会の帰り路,もうバスも走っていないので流しのタクシーを拾って乗り込んだ時の話です.私が行き先を告げると,なんとその運転手さんが,「先生!」と声をかけるではありませんか.

 神戸労災病院時代,帰宅が深夜近くになりバスもなくなったとき,守衛さんに頼んでタクシーを呼んでもらうのが常でした.時間帯などの関係でしょうか,Hさんという中年の運転手さんが運転するタクシーに乗ることがしばしばありました.
 自宅までのほんの10分ほどでしたが,お互いの仕事のことなどの話に花が咲いたものでした.開業のため退職が近くなったころにそのことを打ち明けると,「先生,頑張ってくださいね,応援していますよ.またどこかでお会いできるといいですね!」と温かい励ましの言葉をかけてくださったのが忘れられません.

 そして今回声をかけた運転手さんは,なんとそのHさんでした.こういうことはあり得ないことではないとはいえ,やはり3年近くの歳月を経て偶然出会ったのですから驚きでした.今回もまた自宅までのほんの15分ほどの短い時間でしたが,懐かしい話に花が咲きました.

 Hさんは相変わらずお元気そうでしたが,実はいろいろ苦労してとうとう離婚もしてしまったとのことでした.不況でタクシー運転手も楽ではないけれども,一人身になってしまったから却って気は楽かな?などと明るくふるまっていたHさんの笑顔には一抹の哀愁も感じてしまいましたが,またの再会とお互いの幸せを祈りあって下車しました.

 話変わって2月の終わりころ,兵庫県医師会の主催する懇親会が三宮駅前のある中華レストランで開かれました.その会に参加すべくそのレストランに入ろうとしていた私は,突然背後から「先生!」という女性の声に呼び止められました.人懐っこい笑顔の小柄なその彼女は,なんと私が神戸労災病院時代に右室流出路狭窄という心臓の病気で手術をさせていただいたフィリピン出身のJさんでした.

 彼女はこのレストランの厨房で働いており,休憩時間にたまたま裏口から出てきたところで私に出会ったとのことでした.
 彼女は私が開業してからも1年に1回ほど術後の経過観察のために受診してくださっていますが,病気がちの夫にかわって家計を支えるべく,昼と夜と掛け持ちでパートの仕事をしているということは以前より聞いていました.ただまさかこの店の厨房で働いているとは知らず,私は不思議なものを感じました.その時感じた温かい気持は,その後の懇親会をいっそう楽しいものにしてくれました.

 その数日後のある日,今度はクリニックに突然懐かしい方々の訪問がありました.神戸労災病院時代に私がいた病棟で師長をつとめていたHさん、そして師長補佐として働いていたYさんでした.私と同い年のHさんは私が開業したのと同時に他の病院に移って活躍しており、非常に優秀だったYさんも関東方面の病院でさらに上を目指して頑張っています.
 二人ともたまたま神戸に用事で帰ってきており、私のクリニックに寄ってくれたとのことです.診療中の束の間の再会でしたが、同じ職場で苦楽をともにした仲間がこうして訪ねてくれて、感謝の思いで一杯でした.

 人生には様々な偶然の再会があります.自分の力ではどうにもならないことも多く,何か神様のいたずらのように感じることも少なくありません.しかも今年になってから立て続けに3回もそんな再会を経験し,なにか不思議な力を感じます.
 今年は何かとても素晴らしいことが起こる前兆かもしれない,などとひとりで想像してほくそ笑んでいます(笑)