Dr.OHKADO's Blog

. 睡眠一考

 もう,午後診の時間が迫っている!早く起きないと患者さんがそろそろ来る時間だ! … そう思いながら,院長室のソファでウトウトしていた私は身体を起こそうとするのですが,なぜかどうしても起き上れない.上半身を30度くらい起こすことは出来るのですが,そこからどうしても起き上がれないのです.私の顔が大きなシーツか何かで被われていて,起き上がろうとしてもそれが邪魔してどうにもこうにもならない,そんな感じでした.
 どうしよう?? …そう思って横をみると,なんとソファの横にうちのスタッフが何人か座っています.看護師のNさんが心配そうに私の身体をさすってくれながら,「先生,大丈夫ですか!?」と言っている.でもどうあがいても起き上がれないのです.なんとかかんとかそのシーツのようなものと格闘し,ついにそれを破って起き上った時,ようやく夢だったのだと気付きました.その時私は,自分が全身汗びっしょりなのに気づきました.

 まだボーっとしながら記憶の糸を辿った私は,すごく忙しかったその日の午前診後,一通りの雑務を終えたら急に眠たくなり,ついソファでうたたねをしてしまっていたことをようやく思い出しました.もちろんソファの横にはスタッフなどいませんでした.その頃は仕事以外にもなんだかんだと忙しく,疲れがたまっていたのかもしれません.

…というわけで先日こんなことがあったわけですが,それでもこうして自分のリズムに合わせて睡眠時間をとれるのは,当たり前のこととはいえ,実は開業するまでそうたやすいことではありませんでした.

 勤務医時代は重症患者やら緊急手術やらで,睡眠のみならず生活自体が本当に不規則でした.おまけに夜中によくたたき起こされました.やはり緊急手術か患者さんの容態の急変です.特に心筋梗塞や大動脈瘤破裂など一刻一秒を争う病気は待ったなしです.前日に一杯飲んでいようが,翌日出かける予定があろうがお構いなし,それに特に年齢がいくと体力的にも辛いのですが,選択の余地はない.まだボーっとしている頭で無理やり冷たい水で顔を洗って眼を覚まし,疲れた身体に鞭打って出かけたものです.今だから言えますが,前日のアルコールがまだ完全に抜けていない状態でハンドルを握ったことも数知れずでした.

 神戸労災病院時代の後半は,心臓血管外科独自のホットラインの当番を医師5人で1週間ずつ順番にまわしていたため,1ヶ月強のうち1週間は拘束されました.近隣の病院から昼夜を問わず電話がかかってきます.夜中の3時ころにある病院からコールがあり,93歳の男性,急性心筋梗塞で気管内挿管してPCPS(経皮的人工心肺装置)を装着,意識なし,今から送ってよいか?というようなコールがあると,患者さんの命を助けたい気持ちは山々でしたが,93歳!もう意識もない!……,もうそのままでエエんとちゃうの…?などと不謹慎な気持ちもよぎってしまい,本当に辛いものでした.そのうち,当番の週はストレスで動悸さえするようになりました.もう医師としての使命感より,こんな状態を続けていたら自分の身体さえもたないと感じ出したことが開業を考えるきっかけの一つになったといっても過言ではありません.
  
 そういうわけで,開業してようやく,夜中に容赦なく起こされざるを得ない状況から解放されたわけです.緊急や重症とは切っても切れない科を専攻していたからこそ,その解放感はなおさらです.
 今は前日にアルコールが入っていても朝までゆっくり眠れます.たまに患者さんから相談の電話が申し訳なさそうに入ったり,在宅でみている患者さんの看取りがあっても,気持ちよく起きられます.
  
 膨張する医療費を抑制することに躍起な厚労省は,2年ごとの診療報酬改定のたびにあの手この手で診療報酬をいじりまわしていますが,昨年の改定では,悪名高き「地域医療加算」なるものが出来ました. 
 これは,24時間いつでも電話連絡に応じる診療所に,診療1回ごとに3点,つまり30円を与えるというものです.いいかえれば,かかりつけの患者さんは,たった!30円で24時間365日いつ電話をしてもかまわないというのです.この,あまりにも人を愚弄したようなふざけた制度,実際の医療現場の厳しい現実を全く知らない役人たちが作った制度の評判は極めて悪く,この加算を算定している医療機関も思惑通りは増えていないのも事実です.

 熟睡中に無理やり起こされて嬉しい人はいません,それは医師も同じです.医師は医師である前に普通の人間であり,それも人の健康を維持する職業である以上,自分が健康でなければなりません.医は仁術であり算術ではないとはいえ,それを犠牲にする対価がたった30円というのは,どういうことでしょうか?

 私は,開業後にようやく人並みに得ることのできた,睡眠という人間の最低限の権利を大事にしたいと思うようになりました.普段の生活に精神的余裕ができ,睡眠もしっかりとれるからこそ,クリニックの患者さんたちがたまに夜間やむなくかけてこられても,気持ちよく応対できます.

 ところで開業してからはよく「空中浮遊」の夢をみます.少し力を抜くと自分の身体全体がホバークラフトやリニアのように浮上し,さらに力を抜くとスーパーマンのように自由に空中を飛びまわっているのです.眼がさめて夢だったことを知って,本気で残念に思ったことも数知れずです(笑)
 空中浮遊の夢は,計画中のことが実現しそうな時とか,逆に何かのしがらみから解放されたい時に見るとのことですが,少なくとも目覚めたときに気分が悪いわけではなく,むしろ楽しい気分なので,やはり開業して睡眠の質もよくなったのかもしれません.

 でもかみさんにいわせると,私は寝言でよく怒っているとのことです.やっぱり睡眠は正直,眠りながら知らない間に自分ではふだん気づかないストレスを発散しているのかもしれません(笑)


 
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. 「先生,なにやってんだよ!」

 苦労は買ってでもしろ,という言葉があります.
 私にとって今までの人生で一番苦労した時代,逆境の時代といえば,何といっても卒後10年も経ってから研修医に戻って東京女子医大に入局した30歳台前半のころでした.

 心臓外科医を目指して卒後に入局した神戸大学の医局は,手術数も少ない上に出張した病院の巡り合わせもあって心臓外科にまともに関わる機会はほとんどありませんでした.結果的に一般外科の手術経験を多く積み,その道で生きる道もありましたが,やはり初心忘れ難く,そのきっかけをつかむべく米国ピッツバーグ大学胸部心臓外科へ研究留学しました.
 そこで東京女子医大の心臓血管外科から留学していたK先生に出会ったことが私の運命を変えました.女子医大は日本の心臓外科のメッカであり,症例数も当時日本最高でした.留学の終わりころ,なんと私は女子医大に移る決心を固めていました.

 2年の留学を終えて帰国した私は女子医大の門を叩きました.全国から一流をめざして猛者が集まるこの医局での研修の厳しさは有名で,さらにそれがよき?伝統なのでしょうか,卒後何年であっても心臓外科医としては新米であるが故,まず研修医として扱われるとのこと,つまり卒後10年の私も「研修医」に逆戻りでした.
 当然,私の同期は私より10年も年下の新卒医師たちでしたし,すぐ上の“先輩”は私より9歳も年下の医師でした.
 これがどれほど過酷なことなのか,最初は想像すらつきませんでしたが,私は,前の医局を辞して自分を背水の陣に追い込み,敢えてこの過酷な環境に身を置く決心をしたのでした.

 年間900例以上もの心臓の手術があり,それまでほとんど見たこともないような手術が日常的に行われているのにはまさに眼から鱗が落ちる思いで,自分の決断は正しかったと思いました.
 しかし心臓外科は手術そのものだけでなく,術後管理が極めて重要かつ大変です.特に全身状態が不安定な重症患者の場合は,一瞬たりとも眼を離せないため,寝ずの晩で管理しなければなりません.

 そしてその兵隊こそが我々研修医でした.自分が手術に入った日は勿論,当番の日は連日連夜ICUにこもって全身管理を行います.仮眠できるのは明け方近くのほんの一瞬だけでした.夜が白んでくると朝のカンファレンスの準備を行い,手術のある日はまた入り,ない日は病棟などでの仕事が山積みです.そして夜間はまた当直…と続き,3連直,4連直などは当たり前,ようやく今日は帰れると思ったらその気持ちをあざ笑うかのように緊急手術が入り,また泊まり込み… こんな生活が果てしなく続きました.実際,当時私が家に帰れたのはおそらく週に1回程度でした.

 しかし特に私の場合は,体力的なもの以上に,精神的にも過酷な世界でした.
何といっても,私より何年も下の“先輩”に「先生,なにやってんだよ!」とぼろかすに叱られるのです.そう,心臓外科医としては私より上とはいえ,医師としては私より遥かに若い彼等に,です.彼等の弁当を買ってくるのも私たちの役割,休憩するのも,食事をするのも彼等が先でした.
 実力のみがものをいう世界,これはスポーツなどの世界では当然ですし,ある意味非常に合理的です.それでも正直本当に辛かった.自ら身を投じたとはいえ,あまりの屈辱にトイレの中で唇を噛んで涙をこらえたこともありました.卒後10年も経って自ら研修医に逆戻りした私を変わり者だと笑ったり,やっかみを言う者もいました.
 
 おまけに給料はとてつもなく安く,基本給はたったの4万5千円,1カ月全部当直してようやく18万という有様でした.もちろん賞与などなく,アルバイトは禁止,そもそも時間的にも無理でした.家計は火の車,1週間の夏休みは全て他の病院で当直のアルバイトをして生活費を稼ぎました.
 蓄えていた貯金も底をつき,かみさんは「赤ペン先生」のバイトをして支えてくれました.幼稚園児の娘たちには,低所得のため市から補助金が出ていました.この手続きに行ったとき市役所の職員が「あんた,ホントにお医者さんですか?」と訝しげな目つきで私を見たのは忘れられません.
 いったいなぜ家族を巻き込んでまでこんな苦労をしているのか,と自問自答をすることもありました.けれども乗りかかった船,ここで投げ出したら何もかも終わりです.そう思いなおし,ひたすら耐えました.

 こんな生活が1年近く続いた後にようやく関連病院への出張が決まり,この地獄のような生活から抜け出した時は,まさに放心状態でした.

 その後の人生も決して平坦とは言えず.嫌なこと,辛いことも多々ありましたが,この時の経験を思い出せば大概の苦労は耐えられ,乗り切ることができました.
 開業医となった今,クリニックも順調に軌道に乗ってきましたが,苦労も多々あります.けれども当時の辛さにはくらぶるべくもなく,またあの経験があったからこそ今の自分があるのだと思えます.

 もちろん私の苦労など.戦争や破産,一家離散,不治の病などを経験した人々に言わせればお笑い草かもしれません.それでも私はあの逆境を乗り越えたことが自分を一回りも二回りも大きくしてくれたと思うのです.

 最近は若い人たちには未曾有の就職難のようですが,せっかく就職しても自分の意に沿わない仕事だったり上司に少し叱られただけで職場を辞めてしまう人も多いようです.また「内向き」志向の若者が多く,たとえば帰国後のことを心配して外国留学する研究者も減少の一途で,科学技術立国としての日本の地位も危ういと聞きます.
 こういった現象には,今の日本社会にその原因があるのは否定できず,今の若い人たちはある意味社会の犠牲者かもしれません.
 それに苦しいこと,嫌なことなど遭遇しなければそれに越したことはないとも言えるかもしれません.
 それでもそんな人生はまずあり得ないでしょう.50年の人生を生きてきて私が学んだことはやはり,長い人生には逆境がつきもの,そして人間,ひいては社会も,それを乗り越えていくことによってこそ強くなるのだということです. 
. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です。
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
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