Dr.OHKADO's Blog

. 静かなる旅立ち

 先日の日曜日の早朝は,突然の携帯電話で目覚めました.
 電話の主は,私がふだん在宅で診ている女性患者Nさんのご家族Sさん夫妻で,Nさんが夜のうちに息を引き取ったとのことでした.

 前日の夕方,訪問看護師のKさんから電話で彼女の状態報告があり,Nさんは少し肩呼吸をしてはいるが意識はまだ明瞭でバイタルサインも安定しているとのこと,ご家族の意見も取り入れてとりあえず様子を見ることにしていた矢先でした.

 朝の7時過ぎ,Nさんの部屋を尋ねた私は,ベッドサイドでSさん夫妻とKさんに迎えられました.
 息を引きとってそれほど時間が経っていないとおぼしき御遺体の皮膚はまだ温かく,表情はいつもと変わらず非常に穏やかでした.私はゆっくりと聴診器を当てて心停止を確認し,瞳孔が散大しきって対光反射が完全に消失しているのをペンライトで確認して,静かに臨終を告げました.齢90歳でした.

 大正生まれのNさんは,10年ほど前に脳出血で倒れられました.生涯独身を貫いたため身寄りがなく,その後は同じマンション内に住む姪のSさんとそのご主人が,訪問看護師やヘルパーの力を借りながら献身的に介護されておられました.
 
 1年半ほど前に縁あって私のクリニックに紹介され,その後当院の看護師とともに毎月のように往診を続けていました.90歳という超高齢に加えて右半身が完全麻痺のため,ほとんど寝たきりでしたが,受け答えはしっかりされておられ,しかもいつも非常に上品でした.

 ただ,最近は食欲低下や褥創が著しく徐々に全身状態が悪化しており,そろそろ最期の時も覚悟せざるを得ない状態でした.今年初めに看護師とともに訪問した時は褥創がさらに悪化しており,帰り際に挨拶をすると,かすかに微笑んでうなずいてくださったのが最期になってしまいました.

 Nさんは80歳過ぎまで三味線の先生として活躍しておられたとのこと,Sさん夫妻が見せてくださったまだお元気なときの写真は,この上なく上品で美しく,凛とした立ち姿でした.病に倒れて自由が利かなくなってからも,車いすの動かし方や自分では動かせない足の位置などを細かく注文するため,ヘルパーさん泣かせだったとのことです.しかし,なんと病に倒れてから覚えたというパソコンで打ち込んだ住所録を,ベッド横の机に鎮座しているNさん愛用だったという少し古めかしいパソコンの画面でSさんから見せられた時は,他人にだけでなく自分にも厳しかったであろうNさんのお人柄が偲ばれました.

 死化粧をしたNさんの表情は,写真で見たお元気なころを彷彿とさせ,また大正,昭和,平成と激動の時代を強く生き抜いた充実感と,やっと最期の時を安らかに迎えられたという安堵感に満ちているようでした.

 訪問看護師のKさんが御遺体の処置をしてくれている傍らで,私はNさんの死亡診断書を書きましたが,死因欄に「老衰」と書くのは,何と医師になって初めてであることに気づき,いまさらながら驚いてしまいました.

 実はNさんの死は,私にとっては開業して以来初めての看取りでした.しかも,実は自宅での看取りは四半世紀の医師生活で初めての経験でした.
 勤務医時代,私は数え切れないほど多くの死を看取りましたが,当然ながらそれは病院のベッドサイドででした.しかも一般外科医時代はほとんどが癌の末期,そして心臓血管外科医時代は心筋梗塞や大動脈瘤破裂など超急性の病気,あるいは残念ながら手術後に併発した心不全や感染症,DICといった重篤な合併症などが死亡の原因で,いずれも言ってみれば壮絶な闘いの結末でした.多くの場合それは,安らかな最期とは縁遠いものでした.

 そういう意味で,ほとんど苦痛もなくご家族に看取られて消え入るように逝ったNさんのような最期は,誰しもが理想とする人生の幕引きなのではないかと感じました.

 私が診させていただいている他の多くの高齢の患者さんたちも,いずれひとり,またひとりと人生の終わりを迎えることになるでしょう.今際の際で,誰もが本当にいい人生だったと思え,Nさんのように心から安らかに最期の時を迎えられるように微力ながらでもお手伝いできれば,それに過ぎたる喜びはないと思います.





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. 新たな年に

 新しい年が明けました.「石の上にも三年」という戒め通り,私も開業後まず3年は何が何でも死に物狂いで頑張ろうと心に誓ってきましたが,早いものでその3年はもう間近に迫っています.

 さて,年末から正月にかけての日々は,欧米のクリスマスと同様,我々日本人が日本人であることを最も意識させる時期のひとつでしょう.
 アメリカでは,ハロウィンが終わった頃からクリスマスの足音が少しずつ聞こえ,11月末の感謝祭が終わるや否や街中がクリスマス一色になります.クリスマスそのものは勿論ですが,むしろそこに至るまでの日々こそが,かけがえのない,そして楽しい日々なのだということを,留学していたころ強く感じました.

 日本でも宗教的意味合いはさておき,11月初旬にもなると街中がどんどんクリスマスの雰囲に包まれていきますが,後半になると,ここがアメリカと違うところで,今度は街中が正月一色に一変します.ただ年が変わるだけといってしまえばそれだけなのですが,日本人はそこに大きな意味を与えるわけです.
 年末に大掃除をしたり,忘年会をしたりするのは,「水に流す」という日本人特有の気質と無関係ではないと思います.年が改まることは,心身ともに清められ,リセットされるよい機会なのでしょう.
 私個人としても,師走という言葉通り,年末の慌ただしい日々は何か追われるようで大変ではありますが,年の変わり目こそいろいろな意味で自分自身を見直し,再出発できる絶好の機会でもあり,嫌いではありません.

 ただ最近は,伝統的な日本の正月の姿がどんどん失われてしまっていると感じざるを得ず,時代の流れとはいえ,寂しさも感じます.
 今や門松を立てている家など探すほうがむずかしいし,昔のようにコマ回しやたこあげをするような子供など滅多に見ない.お節料理もコンビニやデパ地下で売っているし,核家族化も手伝って,手間暇かけて作る人もどんどん減っている.そのお節料理とてそもそも保存食であるからこそ意味があるのに,最近では1月2日どころか,元旦から既にオープンしている店さえ沢山ある.だから三が日に街を歩いていても,一見普段と何も変わらない…
 
 テレビをつければどこもかしこも似たようなお笑い番組ばかりで,人気芸人たちがあちこちで掛け持ちで出ている.出演者の羽織袴や晴れ着姿,お決まりの筝曲「春の海」は正月の雰囲気を醸し出してくれるのですが,昨年中に録画されたとおぼしきものも多く,何か興ざめしてしまう.
 でも,街中で正月の雰囲気がなくなってしまっているからこそ,テレビによってとりあえずは正月の雰囲気に浸れるというのも皮肉なものです.いってみればテレビの画面は「バーチャル正月」といったところでしょうか.

 それでも初詣でで多くの参拝客に混じって厳粛な気持ちで手を合わせたり,ポストに届いた年賀状の束を見ると,やはり新年の始まりを実感し,そして日本人であることを思い出させてくれます.

 今年も我が家には多くの年賀状が届きました.
 毎年文面だけでやり取りしていた旧友たちが久しぶりに家族写真を送ってくれ,すっかりいいオジサンやオバサンになっていたりするのを見ると,年月の経つのを実感したり懐かしい思い出が走馬灯のように脳裡を駆け巡ったりして,ひとときのタイムトラベルに身を委ねられます.
 海外で活躍している人,教授になった人,会社の要職に就いた人,転職した人,幸せな結婚をして子宝に恵まれた人… 逆に,病気になった人,肉親が亡くなった人,不幸が続いた人… 実に様々ですが,人の数だけ人生があるといわれる通り,皆それぞれの人生を一生懸命生きていることを1枚1枚のはがきが物語っていて,感慨にふけってしまいます.

 昨年の我が国は政治も経済も外交も筆舌に尽くしがたいほど低迷し,国民全体が自信喪失と虚無感にさいなまれてしまった1年でした.今年は少しでもそれらが好転し,日本人が少しでも自信と誇りを取り戻せる1年であってほしいと願わざるを得ません.
 私も自分のクリニックを4年目,5年目に向けてさらに発展させ,自分や家族,スタッフがいっそう幸せに,そしていっそう地域医療に貢献できるようになれば,これほど嬉しいことはありません.

 この1年が良い年であるように心から祈ります.


. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です。
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
ご意見下さい.

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