たかが日本語,されど日本語

この盆休みに,かみさんと徳島の阿波踊りに行ってきました.日本人ならばその名を知らぬ人はいないぐらい有名ですが,まだ実際に見たことはなく,短い盆休み,遠出の費用も時間もないので,これをいい機会と思って出かけてきました.

 市街地に交通規制を敷いて設けられた演舞場で繰り広げられる踊りには,映像では決して味わえない活気と迫力を肌で感じました.連日の猛暑は徳島でも例外ではなく,桟敷席に陣取った多くの観光客の熱気にも包まれて,見ているだけでも汗だくでしたが,その熱演は見る者を飽きさせず,あっという間の2時間でした.

 数年前に見た青森のねぶた祭りの勇壮さにも感銘を受けましたが,日本にはこのように長い歴史を経て育まれてきた伝統行事や祭が数多くあるのは本当に素晴らしいことだと思います.

 何よりもそれは,我が国が,奇跡的にも建国以来外国に侵略されることもなく,長い年月をかけて独自の文化を醸成できたことが大きな要因であると思います.

 また豊かな自然と四季の変化に富む穏やかな気候風土や,農耕民族としての情緒豊かな感性が,寺社仏閣などの由緒ある建造物,芸術作品,伝統工芸や技術,そして祭りをはじめとする伝統芸能を,そして日本語という美しい言語を育んできたのでしょう.

 米国に住んでいたころにも広大な国土のあちこちに旅行しましたが,ナイアガラやグランドキャニオンなどの大自然は別として,国家としての文化はやはりしょせん200年程度の浅い歴史背景しかなく,改めて日本という国の文化の奥深さ,歴史の重みを知りました.

 さて今や世界はグローバル化が進み,世界共通言語といってもよい英語の必要性は急速に高まっています.わが国でも英語の早期教育が叫ばれ,つい最近小学校からの英語授業が必須となりました.そしてあたかも英語を話せることが国際人としての必須条件とみなされている感があります.

 しかし私はこのような流れに疑問をさしはさまざるを得ません.

 真の国際人を簡単に定義づけることは難しいでしょうが,少なくとも,自国の文化や歴史をよく知り,外国人に説明できたり,自分の意見を発信することができることは最低条件であると思います.日本の文学作品の一つも読んだことがない人間が,いくら英語を流暢にしゃべったところで国際人と言えるでしょうか?

 以前あるテレビで英語の早期教育を討論する番組をやっており,賛成意見を述べていたある東大出身のタレントが,その理由として,幼児期から英語教室に通っている彼女の3歳の娘が,「How are you?」と聞かれれば即座に「I'm fine, thank you」と答えられるようになったというようなことを述べていました.
 しかしそれを聞いていた私は,「それがどないしたんや?」と苦笑せざるを得ませんでした.

 英語を早期から学ぶことは決して悪いことではありませんし,母国語以外に喋れる言語があった方がよいことに疑問をさしはさむ余地はありません.しかしそのために日本語や日本の文化歴史の学習がおろそかにされているのであれば,それはゆゆしき事態であると思います.

 日本人にとって英語は言語体系の全く違う言語であり,また日本人の国民性も影響して,その習得はなかなか難しく,これだけ英会話スクールや教材が氾濫していても,本当に英語を“真の意味で”流暢にしゃべれる人というのは,実はそういないというのが実情です.日本人は言ってみれば英語コンプレックスになっていると言っても過言ではありません.
 しかし英語を喋れないことと,自国の文化も歴史も知らないこととどちらが恥ずかしいことか?
 答えは言うまでもありません.最近ノーベル物理学賞をとった名古屋大学の益川教授は英語が喋れず,授賞式の講演も日本語で行ったとのことですが,それを決して恥ずかしいこととは思わないのは私だけではないでしょう.

 また日本人が英語が下手なもうひとつの理由は,なによりもその必要性が少ないことだと思います.
私が英語をしゃべれるようになったのも,英語が好きだっただけでなく,やはり現地の研究者たちと可能な限り対等に仕事をするという必要性があったからです.
 つまり小学校から中途半端に英語を学んでも必要性がなければ忘れるだけで,どうしても必要な人,海外に出ていきたい,国際的に仕事をしたいと思う人は,やる気さえあればいつから学んでも,決して流暢とは言わずとも,なんとか使える英語は習得できると考えます.

 猫も杓子もやれ英語早期教育だ,やれ国際化だとかまびすしい昨今ですが,経済も科学技術も中国やインドに追随されて国民全体が自信喪失に陥りそうな今だからこそ,まず日本語と日本の文化歴史を若いうちからしっかりと学んで自国を愛する心をはぐくみ(これを愛国心などという人もいますが,自分の国が好きになることは何も悪いこととは思いません),その上で,世界でも活躍したいと思う人こそが高いモチベーションを持って英語を勉強すればよいのだと思います.


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心の清涼剤

 夏真っ盛り,連日記録的な猛暑が続いています.異常な暑さに体調を壊しそうで,すぐにエアコンのリモコンに手が伸びてしまいます.最近は熱中症による死亡者が増えているということや,私が子供のころはエアコンなどなくとも誰もが平気だったことを考えると,やはり温暖化の進行を信じざるを得ません.

 それでも私は気候の変化よりもっと深刻な変化をきたしているものがあると思っています.それは,ほかでもない,我々人間の「心」です.
 先日から,実の親が幼い子供に信じられないような暴力を振るったりベランダに閉じ込めたり,育児が嫌になったというだけの理由で鍵をかけたマンションに放置して死に至らせたというような,本当にやりきれないような事件が多発しています.
 
 先日,ある医療関係の新聞を読んでいたら,以下のようなエッセイがありました.

林覚乗老師のお話を聴く機会があった.刑務所や警察,看護学校で講和をされ,命の電話にもかかわられ,全国で年間250回以上講演をされている老師のお話は多岐にわたり,面白かった.中でも涙が出そうになったのが,少年と若い女教師の物語.
 小学校5年で担任した少年は服装も汚く勉強に身が入らない.たまりかねた女教師は少年の過去の担任記録を調べてみた.小学1年の記録で優しくて思いやりがあり,勉強もよくでき将来が楽しみ.2年では母親が病気で看病している.3年では母親の病気が重く構ってもらえない.4年では母親が亡くなり父親に暴力をふるわれている.これを読んだ女教師は,職員室で自分が放課後仕事をしている横で少年に予習復習を毎日させた.
 そんな日が続いたクリスマス,少年が小さい箱を胸に押し付けて帰って行った.開けてみると小さな香水瓶.少年の母親のだと直感した女教師は1,2滴つけて少年の家へ.荒れ果てた部屋で留守番をしていた少年が,お母さんの匂いがすると胸に飛び込んできて泣いた.6年では担任を離れたが少年は毎年欠かさずカードを送ってくれ,奨学金を得て母のような人々を助けたいと医師になった.今年送られてきたカードには,「結婚します.母の席に座ってください」とあった.

 「生まれてきてくれてありがとう」と言って育てれば「育ててくれてありがとう」という大人になり,少年非行はおこらないのでは,との御意見だった.                          兵庫保険医新聞より 
 おそらくわたしだけではないでしょうが,この実話は涙なしには読めませんでした.

 解決するべき問題が山積しているとはいえ,戦後の奇跡的な復興により世界第2位の経済大国に発展した今の日本は,未曾有の平和と繁栄を謳歌しています.しかしそれは同時に,人々から,家族のぬくもりとか人間同士の信頼関係とか,基本的な礼節や倫理感とか,人間にとってかけがえのないもの,決してお金では買うことのできない大事なものを奪いとってしまったのではないかと感じます.

 昨今頻発している殺伐とした事件は,もちろん身勝手な個人の犯行によるものであり,決して許されるものではありません.けれども私が子供のころにはこんな事件は想像すらできなかったことを考えると,何かやはり社会の大きな歪がまともな人間性までも奪ってしまっているのではないかと感じざるを得ません.
 どんな境遇にあっても,心に一抹の光をともしてくれるようなぬくもりや出会いやあれば,本当の意味での幸せを得ることができるのだということをこの話は教えているのだと思います.