祈る思い

 クリニックを訪れる患者さんには,当院をかかりつけ医として下さっている方々も多く,私の専門領域はもちろん,それ以外の病気や健康全般のこと,果ては人生相談まで(笑)いろいろな相談を持ちかけられます.重大な疾患を早期に見つけられた時は,役目を果せてよかったとホッとします.しかし毎月のように診察していても,すべての病気が早期に発見できるわけではありません.
 最近は数人の患者さんが身体の不調を訴えられ,診療所レベルでは手に負えないため入院精査が必要と判断して近隣の病院に紹介しましたが,その中には,残念ながら既に進行ガンであったというような患者さんもおられます.

 女性患者のMさんは,当院に心疾患で毎月通院されておられ,つい2カ月ほど前までは非常に調子がよかったのにここ1カ月で急激な体重減少やしつこい腹痛をきたし,便秘や便の潜血反応がみられたため,大腸の悪性腫瘍を強く疑ってある病院に準緊急で紹介しました.
 はたしてそこで下された病名は,予想どおり大腸がん,しかもすでにかなり進行しており肝臓などへの転移も見られました.
 それを聞いた私はいてもたってもおられず,先日看護師とともに病室を訪れました.このような急激な経過をたどった場合はどうしようもないとはわかっていても,何とか早く発見してあげることができなかったのかと思い,本当に申し訳ない思いでいっぱいでしたが,彼女はそれに対して恨みごとをいうどころか,私たちの訪問に涙を流して喜んでくださいました.私たちが少し落ち込んでいるのを察した彼女は,看護師に「あなた,先生のところで看護師さんの制服着ているより私服のほうがもっと綺麗にみえるわねェ」などと悪戯っぽく笑っていました.

 彼女がいうには,自分の親や兄弟の多くも癌に罹患しており,いずれ自分が同じような病気になることは判っていた,だから驚きもしないとのことです.思わず私は彼女に,Mさんは達観しているんですねえ…と言ってしまいましたが彼女は即座に否定し,私はそんな愚問を投げかけてしまった自分の未熟さに恥ずかしくなりました.
 今はまだ食欲もあるし痛みも大したことはない,でも今後どうなるかを考えると本当は心細くて心細くて不安に違いありません.でもそんなことをおくびにもださず気丈に話されている姿には本当に頭が下がる思いで,私も看護師も思わず涙がこぼれそうになりました.

 ふだん自分が診ている患者さんが不治の病になってしまうというのは,たとえそれが自分の専門外であったり,あるいは自分に落ち度があるわけではないとは判っていても,やはり悲しいものです.
 私にできることは,彼女が治療の途中でくじけそうになった時,悩んだ時,こんな未熟者でもよければ少しでも相談相手になってあげられたらということです.私も看護師も24時間対応ですからネ!と明るく言って携帯電話の番号を教えたところ,本当に喜んでくださり,その上帰ろうとする私たちを病室の外まで出て見送ってくださいました.
 今はただ,彼女が癌に打ち勝ってまた元気な姿を見せてくれること,もしそれが無理でも最期まで少しでも痛みや苦しみがないこと,それを心から祈るのみです.


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医療とはファジーなもの

 ひところファジーという言葉が流行ったことがあります.英語で「曖昧」といった意味があり,動きの画一的な洗濯機などの電化製品にファジーな動きを取り入れて性能を良くするといった試みがなされたました.
 人間の身体はその全ての構造や機能が遺伝子によりきわめて精緻にコントロールされていることはよく知られたところです.遺伝子の世界はつい最近までは人間の入り込むことのできない聖域でしたが,近年のバイオテクノロジーの発展によりついにそのほとんどが解明されてしまいました.遺伝子は4種類の塩基対の数え切れないほどの繰り返しからなり,その配列が少しでも狂うとある特定の病気を発症する可能性が高くなることもわかってきました.つまり病気の診断や治療も細胞レベル,遺伝子レベルで可能な時代となりつつあり,クローン人間などわれわれが子供時代にテレビや漫画でみた物騒なものさえ現実味を帯びてきています.いってみれば遺伝子はコンピューターの中央演算装置のようなものであり,少しでもその機能が狂えば大きな障害を生じるというわけです.こういった意味で人間とは,生物とはいかに精密に,精巧にできているか,と感心してしまいます.
 
 しかし,われわれ臨床医が日常おこなっている医療はきわめてファジーだと感じます.たとえば,ある病気に対して薬を投与する場合がいい例でしょう.こんなことをいうと非難されるかもしれませんが,投与する薬の量や,それどころか時にはその種類さえも,状況によってはかなり試行錯誤的,悪くいえば“適当”です.
 
 もちろんミクロのレベルでは,薬剤の分子が細胞や遺伝子のどの部位にどのように働いているのかといった,製薬会社や大学などの研究に基づいて決められる推奨された適切な種類や量があることはあります.しかしだからといって,たとえば息苦しいとか胸が痛いなどといった症状や,白血球数が増えたといった検査結果などマクロのレベルだけでは,その薬がその患者さん個人の症状にぴったり合うのか,それどころか絶対に効くのかどうかさえ誰もわかりません.率直に言えばそれは確率の問題であり,薬がたまたま(というとお叱りを受けるかもしれませんが)合って症状が軽くなれば名医といわれ,その反対ならば藪医者といわれるわけです.
 
 きわめて精巧な細胞や遺伝子のことを考えると,きわめて適切で,きわめて正確な量の薬をきわめて慎重に投与すれば病気はきっちり治るのではないか,逆にそうしなければ大変なことになるのではないか,と考えてしまいそうです.しかし日常の医療でその人の遺伝子や細胞のことをいちいち考えて薬を処方することなど,少なくとも今はできません.病気の症状の現れ方から薬の効果まで個人々々によって顔や指紋と同じくらいに千差万別ではありますが,実際に治療を行うときはもっとアバウトであって,そこまで細かい心遣いは不可能,そして不要というわけです.つまり,はっきり言って臨床医療とはそんなものと言ってしまえばそんなものなのです.
 
 けれども人間の身体は別の意味でうまくできていて,きわめて精巧にできている反面,きわめていい加減なところもあるのが救いです.ミクロではきわめて精巧ではあっても,マクロでは外からのさまざまな影響に対しとても寛容であるようにできているといってもよいでしょう.たとえば大量の出血で血圧が下がりショックになると,手足が蒼白になり冷たくなるので皆が慌てふためきます.けれどもそれは,脳など重要な臓器への血流が不足しないように他の血管が収縮して血液をそちらへ押しやろうとしている身体の防御反応なのです.
 
 薬の量にしても,あまりにも大量であったり少量であったりする場合はともかくとして,たいていは身体のほうが吸収力を調節して適切な効果が現れるようになっています.だから,たとえば高血圧の患者さんに血圧を下げる薬を与えるとき,その薬の効果についてある程度判っていれば,血圧が下がりすぎて命に関わることにならないだろうか?などと余計な心配をしなくてもすむわけです.これは,少なくともおおむね健康な人は食事をするときにいちいちカロリーや塩分や栄養素の量をそれほど細かく計算しながら食べる必要はなく,身体が勝手に必要な分だけ吸収してくれるのと同じです.つまり人体とはファジーさを許容するという点でも極めて精巧にできているとでもいったところでしょうか.
 
 それに対して驚異的な進歩を続けるコンピューターなどはどうでしょう?実は,これなどはファジーという面からいうとこれほど融通の利かないものもないかもしれません.それこそ遺伝子と同じで,プログラミングの段階でももちろんのこと,コンピューターの内部構造など全然知らないわれわれのようなユーザーがキーボードを叩くときでも,入力ミスが一箇所あっただけでまったく違う結果になったりします.自分が打ち間違っているのにそれを棚に上げて,あほかこいつは,融通が利かんやつやなあ,などと怒ってしまうこともありますが,悲しいかな,それこそファジーな人間の性なのかもしれません.でも私個人としては,こんな人間のファジーさこそが人間らしさの原点なのかもしれないと思います.