一期一会

 9月もいよいよ終わりです.この時期は年度の中間でもあるので,企業は部署の移動や転勤の時期のようです.
 われわれ医師にとって製薬会社や医療器械などの業者さんとの付き合いは,いわば不可避なものです.勤務する先々で多くの人たちと出会い,仕事上の付き合いだけをすることもあれば,仕事を離れて個人的に仲良くなることもありました.私も今までいくつもの医療機関で働き,さまざまな業者さんたちとの出会いがあり,今でも個人的にずっと親しくさせていただいている人もいます.
 今月も何人かの製薬会社のMRさんが,転勤の挨拶に来られました.今日挨拶に訪問された某製薬会社のNさんは,MRになって初めて配属された担当地域が私のクリニックのある中央区だったとのことで,開業以来何かにつけてお世話になりました.若いのに大変素晴らしいお人柄で,医師対業者という利害関係を越えてお付き合いできる方でした.当院に対しても思い入れが強いとのこと,大変残念がっておられました(多少おべんちゃらはあるでしょうが(笑)).
 人生は一期一会とはよく言ったものです.私も今まで50年生きてきて,どれほど多くの人と出会ってきたか,想像すらつきません.
 人と人が出会うというのは,偶然といってしまえばそれまでですが,私はどの出会いにも必ず何らかの意味や必然性があると信じています.全く見も知らぬある人とある人が出会うというのは,口でいえば簡単なことですが,実はとんでもなく確率の低いことではないでしょうか?考えてみれば本当に不思議なことです.
 確かに患者さんとの出会いも,業者さんとの出会いも,その他大勢の人たちとの出会いも,刹那的なものかもしれません.しかしきっと私に意味のある何かを残すために,何か見えない力がそうさせているのだと感じざるを得ないことがしばしばあります.
 クリニックも今秋,開院以来一生懸命に支えてくれたスタッフの一部が旅立つこととなりました.私との一期一会,ここで働いたことが彼女たちにとって人生の良き糧となってくれればそれほど嬉しいことはありません.
 今までも,そしてこれからも続くであろう,全ての出会いを一期一会と思い,大切にしていきたいと思っています.
 


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ムンテラの極意

 我々医療従事者は,よく「ムンテラ」という,一種の隠語を使います.これはドイツ語の「口」=Mund(ムント)と「治療」=Therapie(テラピー)をあわせた合成語の省略語で、直訳すれば「口頭による治療」とでもなるでしょうか,医療側は患者さんに病気やその治療についてのあらゆることを、かつ完全に理解してもらえるまで説明し、患者さんも充分に納得して初めて承諾するということを意味しますが,最近定着した「インフォームドコンセント」という言葉が正式な呼び方でしょう.

 かつて私は、消化器外科に携わっていた時期があります.患者さんの多くは、癌でした.当時は癌の告知はまだまだタブーで,たとえば胃癌の患者さんには「胃潰瘍」などと説明するのが常で,「今のところは癌ではないが放っておくと癌になる」などとまことしやかに言うこともありました.家族も本人には宣告しないで欲しいというのが通常でした.そんなわけで同じ病室の患者さんが誰も彼も「胃潰瘍」で、患者さん同士が「ありゃ、あんたも胃潰瘍で手術でっか?わてもなんですわ.最近は胃潰瘍がはやってまんなあ!」などと話し合っている、笑えないような事態になることさえありました.

 中には本当の病名に気づいていている人も当然いたようですが、通常は真実を知るのが怖くて尋ねてこないし、こちらもそれをよいことに「嘘の病名」で押し通しました.早期発見で再発の可能性が極めて低いならともかく、食欲の低下や腹水の貯留など、種々の進行症状が出てきて明らかに余命幾ばくであっても、なんだかんだといって最後まで宣告しませんでした.宣告は患者さんの一縷の望みを無残に打ち破るものであったからです.

 しかし今はそうはいきません.胃潰瘍はほとんどが薬で治癒するようになりましたし,患者さんたちも様々なメディアにより医学知識が容易に手に入るので、簡単には「だまされ」ません.自分の状態を「知る権利」も強調されており、特に余命幾許という場合は残された余生の過ごし方も決めねばなりません.

 しかし私は、本当に全ての癌患者さんに例外なく洗いざらい「真実」を告げてもいいのか?患者さんには「知る」権利と同時に「知らされない権利」もあってもよいのではないだろうか?という疑問をずっと持ってきました.

 今やヒトのゲノムが全て解明され、近い将来には髪の毛1本の細胞からでもその人の未来が全てわかるようになるとさえ言われています.しかしもし自分が将来確実に不治の病になることを知らされたら…そんな時,誰もが尋常の精神でいられるとは私には思えません.事実、癌患者さんの多くが「事実が知りたい」と言いながらもいざ実際に宣告されると絶望の縁に追いやられることが多いのも事実です.宗教のような精神的支柱がない人は,なおさらでしょう.

 幸いにも、日本でも遅ればせながら終末期医療についての議論が高まり、我々医療関係者も人間の「生」のみならず、人間の「死」というものに対しても正面から向き合うようになりました.少なくとも患者さんが希望すれば「知る権利」を尊重するという土壌は出来つつあるということでしょう.
 ただ、そうではあっても、癌の宣告のような二者選択のような事柄はともかくとして、患者さんに検査や治療における様々な情報を漏れなく、極めて判りやすく,誤解を生じないように話すという作業は、実際は並大抵のことではありません.これは何も医療に限ったことではなく、たとえば物理学者が相対性理論や宇宙論をわれわれ素人に百万回しても、完全には理解させられないのと同じです.

 またナーバスな患者さんには,詳細な説明が却って恐怖感を募らせ、収拾がつかなくなることさえあります.心臓の手術の死亡率は約2%といわれますが、これを「たった2%」と捉えるか、「2%も!」と捉えるかは患者さんによって受け取り方が全然違います.捉え方ひとつで手術を受けるかどうか、つまりその人の運命さえもが変わってしまうのです.

 私は何も情報を隠すことをよしとしているわけではありません.可能な限りあらゆる情報を伝え、最終的には患者さん自身に検査や治療の必要性、そして危険性をも十分理解してもらった上で決断していただく、という手順を踏むことが必要なことは論を待ちません.

 ただ医療というものは結局、最終的には医療側と患者さんとの信頼関係で成り立つものです.いくら詳しくインフォームドコンセントを行ったところで、人間関係が築けていなければ全く無意味でしょう.あらゆることについて完全に理解できるように説明することなど不可能ですし、最終的には、説明したとか、しなかったとかいうことが問題なのではなく、病院や医師の真摯な態度に対して患者さんやその家族が「この病院になら、この医師になら私の身体を預けてもいい.たとえ万が一不足の事態があっても不満はない」と思えることが大事なのだと思います.

 実は「ムンテラ」という言葉には元来、インフォームドコンセント、とか情報公開、といった意味とは別に、このように患者さんや家族の信頼を勝ち得る,という意味合いがあるのかもしれません.


あっぱれ国民皆保険制度

 8月もあっという間に終わり,朝夕すっかり過ごしやすくなりました.クリニックのポストには,気の早いことに“年賀はがきの申し込みはお早めに”などという郵便局からのDMが来ており,思わず苦笑せざるを得ませんでした.

 さて,先日米国ではオバマ大統領が,公約に掲げていた国民皆保険制度の導入の検討を始めたところ,多くの議員や国民,特に富裕層から,増税につながるとして猛反対の声が上がり,支持率も低下しているとのことです.米国では日本とちがい個人が民間保険に入らざるを得ず,貧富の差によって受けられる医療に相当な格差があるのはもちろんのこと,保険そのものに入れないためまともな医療さえ受けられない国民も多いことは周知の通りで,世界一の経済大国ではあっても平均寿命は決して高くないことの一因ともなっています.

 翻って我が国はどうでしょうか?私は国民皆保険制度を導入して久しい日本の医療ほど国民にとってありがたい,素晴らしい医療制度はないといつも感じています.一定の保険料さえ支払えば(しかも状況によっては免除されます),いつでもどこでも,貧富や出自に関係なく,誰もがあまねく平等に最高の医療を受けられます.MRIやCTのような高度な検査はもちろん,心臓や脳の手術のような高度な医療もたいていどこでも受けられ,しかも何よりも医療費が安い.心臓手術の場合,たとえば心筋梗塞で冠動脈バイパス手術を受けて3週間入院すると,全額自費で払えば3-4百万円はかかります.もちろんこれでも米国と比較すればはるかに安いのですが,なんと日本では健康保険制度に加えて高額医療制度があるため,どんな人でも結局最終的な自己負担はたったの10万円ほどで済むというわけです.

 私は神戸労災病院にいた3年前,海外在住邦人健康相談という事業のメンバーに選ばれ,アフリカ諸国(ケニア,タンザニア,エチオピア,エジプト)を3週間にわたって巡るという貴重な経験をしました.タンザニアではいくつかの病院を見学する機会を得ましたが,正直言ってハードもソフトもそのレベルは日本のそれとは雲泥の差でした.何しろまともな医療機器や技術がない上,優秀な人材がいても欧米に出て行ってしまう.だから心臓手術はおろか虫垂炎のような単純な手術さえ危ない.それでも富裕層は比較的まともな医療を受けられるものの,大部分の庶民は病気になっても貧困ゆえに病院にかかることさえ出来ないとのことでした.私はこの旅で発展途上国の医療レベルの低さに愕然としたと同時に,日本ほど恵まれている国はないのではないかと実感しました.

 確かに日本も医療崩壊の危機が騒がれて久しいことは事実です.しかし日本人の医療に対する不満のレベルはアフリカのそれとは次元が違うのです.もちろん,小児科・産婦人科医や外科系医師の不足とか,医療施設の偏在とか,高齢者福祉の問題など解決すべき大きな問題は山積しています.しかし待ち時間が長いとか,病院食がまずいとかというレベルの問題は(私はこれが決して小さな問題であるというつもりは毛頭ありませんが),それだけ国民がいい意味でも悪い意味でも贅沢になったと言うことの表れなのかもしれません.

 世界に比類なき日本の医療制度の素晴らしさを享受できている幸せ,これを日本人は再認識してもよいのではないでしょうか.そしてこの素晴らしい医療制度が今後ともずっと引き継がれていくように祈るばかりです.