Dr.OHKADO's Blog

. 家族の絆

 先週の後半は京都から長女が久しぶりに帰省し,我が家も賑やかでした.性格の違う次女も「うるさいのが帰ってきたなア」などと憎まれ口をききながらも,やはり同世代の姉が帰ってきて嬉しそうです,翌日に一緒に行くらしいショッピングの話で盛り上がっていました.

 夜,かみさんとともに台所に立っていろいろ教えられている長女を見ると,わが娘ながら,なんとなく微笑ましく思いました.
 土曜の晩にそろそろ各自が寝る時間になり,まだ本を読んでいた私に長女が私にいいました.
 「ねえ,お父さん,明日はどうするの?」
 「明日?ああ,朝は9時半頃には用事ででかけるけど.お前は京都に帰るんやろ?」あいにく日曜の午前中に用事のあったわたしは,そう答えました.
 「うん,3時からバイトだから12時くらいに出ればいいと思う.でも,それなら私も早く起きる.じゃあ,おやすみなさい.」
 たったそれだけの会話だったのですが,何となくほのぼのとした気持ちになりました.

 翌日,私が出掛ける前に起きた彼女は,私が出掛けるのをかみさんとともに玄関で見送ってくれました.
 彼女も京都に下宿して1年あまり,それまで親に甘えていた生活から一変して,それなりに苦労しているようです.久しぶりに自宅に帰り,家というものの温かさにほっとしたのでしょう,口には出さなくても親子の絆を感じたのかもしれません.

 私は勤務の関係で結婚して以来,海外も含め6回以上もの引っ越しを行いました.そのたびに彼女たちは転校を余儀なくされ,長女は3つの小学校,しかし次女はさらにすごく,3つの幼稚園,2つの小学校,2つの中学校,と転校の嵐でした.しかし私は敢えて単身赴任することをしませんでしたし,かみさんもそれを望みませんでした.それはやはり,家族が一緒にいることが何よりも大切だと考えたからです.私は決して単身赴任を否定するものではありませんが,それでもどうしてもやむをえない時以外は,家族がみな共に生活する方がいいに違いないと思っています.それが証拠に,これほど引っ越しを繰り返しても,彼女たちは全くぐれもせず,天真爛漫,極楽とんぼとでもいいましょうか,決して良家のお嬢さんという感じではありませんが,本当におおらかに育っています.

 ごく普通の,贅沢もそれほどできない我が家ですが,それなりに娘たちが明るくのびのびと育ったのは,ほかでもない,家族の絆があったからかもしれません.あっ,かみさんの内助の功も,もちろんですね(笑)
 
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. そのコレステロール,どうします?

 今年もいよいよ梅雨のシーズンとなりました.クリニックを受診される患者さんの数も,開業したばかりの昨年の今頃に比べれば4倍以上に増え,本当にうれしい限りです.

 先日は高校時代に仲良くしていた同級生が受診してくれ,それこそ10年以上ぶりの再会でしょうか,診察そっちのけで喜んでしまいました.彼は最近高血圧で悩んでおり受診したとのこと,お互いそんな年齢になったんやなあと思わず納得,でもせっかく私ごときを頼りにしてくれているので精いっぱいのことをさせてもらおうと思いました.
 ところで診察室でのいつもの会話です(関西弁で).
「先生,この前の血液検査の結果はどないでしたか?」
「コレステロールが少し高いですが,あとはすべて正常値でした.よかったですね.」
「えっ,コレステロールが高い…!,高いとどないなるんでしょうか?」予想通りの質問.
「血管の中にこんな塊ができて動脈硬化を引き起こし,心筋梗塞や脳梗塞の原因の一つになると言われています.」と,いつものように血管の模型を見せて説明.
「それはえらい恐いですなア,じゃあ下げたほうがエエんですよね,どないしたらエエんですか?」と焦る患者さん.
「まず食事と運動療法ですね,それでもだめならお薬ということになると思います.」と言っていつものようにいろいろ説明.

 さて,では実際患者さん全員が食事・運動療法をちゃんとやってコレステロールの値が下がるか,答えは残念ながら多くのの場合,Noです.

 高脂血症のみならず高血圧も糖尿病も,遺伝的な因子もありますが,多くの場合は生活習慣のなせる業です.つまり長年にわたり培われてきた食事や運動の習慣を変えるということは,相当の覚悟とモチベーションがないとできません.逆にいえばそれが最初からある人ならば,高血圧や高脂血症などにはなっていないわけです.
 それに,一人の人間が今まで築き上げてきた生活スタイルを,医師が外来でちょっとぐらい話しただけで変えていただくのは相当困難ですし,今や空前の健康ブーム,食事や運動が大事なことなど実は誰しもとっくに分かっている,でもそれが簡単に出来ないから困っているわけです.

 それでもまだ働き盛りの若い人ならば自分や家族の今後の長い人生を考えて決心を新たにされ,実行に移されている方も少なくありません.

 しかし私の親ぐらいの高齢者の方になるとそういうわけには行きません.多くの方は仕事を引退し,子どもも独立し,自分たちの余生を謳歌する以外に何も失うものはありません.中でも食べることが楽しみの方々に,肉も油ものも控えて精進料理のような食事を強いたり,老化で膝や腰の痛みが出てきて最近は運動をしたこともないのに,毎日歩くようにと言っても,どだい無理な話です.

 確かに,高脂血症や高血圧ののコンロトールが心臓や脳血管疾患の発生率を下げ,平均余命を伸ばすことが多くの研究で証明されています.それをもとに学会で定められているガイドラインでは,治療の第一選択がやはり食事・運動療法であることは言うまでもありません.

 しかし私が最近感じているのは,特に残された余生のそれほど長くない高齢者の方は(120歳くらいまで生きようと思っている方は別として),コレステロールや血圧を下げるためだけに(と言っては怒られますが)せっかくの食の楽しみを捨てて終生我慢を続けるよりは,考え方を変えて,薬を飲みながら少しは美味しいものも食べて余生を楽しまれたらどうかと思うようになりました.以前のブログでも書いたように副作用を心配されて薬を飲むのをためらわれる方も多くおられますが,コレステロールや血圧は怖い,でも生活スタイルをなかなか変えられない,そんな方々には,私は実際最近はそんな風にアドバイスするようになりました.
 言いかえれば,薬というものはQOLを落とさずに生活習慣病の治療をできる強力な武器と考えればよいのではないか,と思うようになったわけです.

 私のような考え方は,去年始まった特定検診による成人病予防(これも実は全くエビデンスはありません),ひいてはそれによる医療費抑制に躍起になっている中央の偉い人々には,「なんちゅうことを言うんや?!」と顰蹙を買いそうですが,テレビでうんちくを述べている大学の教授先生の姿を見ると,どう見てもいかにもあぶらギッシュでお腹が出ててメタボまっしぐら,「あんただけには言われたくないわナ」と思ってしまいます.



. 不老不死なんて

 人類の歴史は病気との闘いの歴史でもあります.医学の驚異的な発達は不治の病も次々と克服し,いずれどんな病気も事故も怖くなくなる日が来るかもしれません.それでも人間の欲求はとどまるところを知りません.それは老化という自然現象に対する挑戦です.

 日本も平均寿命の延長により未曾有の高齢化社会となり、いまや高齢者は社会のマイナー勢力ではありません.中高年をターゲットとした商品の急増もその表れですし,豊かな人生経験に裏打ちされた豊富な知識や深い洞察力、人間としての深みは、年齢を重ねなければ決して得られないでしょう. 
 そうは言っても、心身が健康でなければ豊かな人生を享受することは出来ず、それに誰でもいつまでも若くありたいと思うのは当然です.皺だらけよりも張りのある肌の方が、艶のない白髪よりふさふさとした髪の方が,曲がっているよりしゃんと伸びた腰や膝の方がよいという人が多い、言いかえればいくら年齢を重ねることを肯定的に捉えても、基本的には暦年齢に抗って少しでも若く健康でありたい、というのがほとんどの人の望みであることは否定できません.高齢者を「シニア世代」などと呼ぶようになったり「アンチエイジング」と喧しく言われるようになったのもその表れでしょう.

 さて、このような驚異的な医学の発達の結果、いったい人類はどこへ行き着くのか?不老長寿,そして不老不死なのでしょうか?まさかそんなこと!と批判されるかもしれませんが、そこは哀しいかな人間の煩悩、実現の可否は別としても、ベクトルがそちらへ向いていることは否定し得ないでしょう.

 20XX年,究極の不老不死の医療技術を獲得した人類は、好みの年齢に身体を若返らせ、それ以上は全く老いない,たとえ事故や病気で身体の一部を失っても、自分の細胞から作ったパーツや精巧な代替品でそれを取り替える,そして受精前診断であらゆる病気は予見でき、その発生すら未然に防げるでしょう.発達した美容医学は、もちろん美容上も好みに応じた完璧な容姿を作り出す.誰もが永遠に若々しい身体を誇る美男美女の世界,まさにこれは究極の素晴らしい世界!本当でしょうか? 

 人生とは何か?人は何のために生まれ、生きるのか?死後どうなるのか…?こういった根源的な疑問は古今東西、様々な哲学者や賢人たちがその答えを探してきましたが,誰も答えは見つけておらず、まして私のような凡人に判る由もありません.ただはっきりしていることは、本来、命には限りがあるという事実です.万物は流転しいずれ消滅する,人間を含めあらゆる動植物も、さらには気の遠くなるほど長い時間をかけて出来た星々やこの大宇宙でさえも、免れることの出来ない真理でしょう.  だからこそ人間はこの世に生を受けた限りは一生懸命生き,そこに様々なドラマが生まれ豊かに成長する,生きることはいずれそれが終焉を迎える運命にあるから素晴らしい,ここに一種の美学があるのかもしれません.

 さて私はあらゆる生き物の中で、人間ほど愚かなものはないのではないかと思っています.人間はその誕生以来、万物の霊長として君臨している“つもり”になっています.しかし、こと自分たちの浅はかさについては、はっきり言って何も学んでいないのではないでしょうか?彼らはいつまでたっても過去の過ちを反省することもなくずっと愚かな争い、殺し合いを繰り返しています.それでも、我々が幸いにも今まで滅亡を免れたのは、どんな人間にもいずれは必ず死が訪れる、どんな辛い時にも必ず終わりがあるから,どん底の人間でも希望を持てるのはいつかは時間が解決してくれることを知っているからです.そんな人類が永遠の生という欲望をかなえた時、そこに起こることは,言わずもがなです.

 私は人間が長生きしたい、若返りたいという気持ちを否定するものではありません.たとえ来世を信じていたとしても、なかなか現世での生を捨てきれる由もなく、全く悔いのない人生を送れる人も稀でしょう.また人間はどこまで生に執着することが許され、どこからは許されないという境界線を引くことは出来ないからです.
 しかしそれでも私は,この世のあらゆるものは,永遠に続くことなど許されない,始まりがあるから必ず終わりもある,この単純な摂理を理解してこそ人生は意味があるのだと思います.「元気に生きてぽっくり」というような生き方は人間の一生として万人の望む理想的なところですが、「不老不死」だけは決して求めるべきではないと信じています.

 医学が発達するにつれ、私たちはいかにして長生きさせるかという「生」の面ばかりに執着し、いかに人生の最期を迎えさせるかという「死」の面には目を背けてきました.その結果今や、「ぽっくり逝く」ことなど少なくとも日本のような医療先進国では困難になっています.最新の医療は人を簡単には死なせてはくれず,三途の川を渡りかけている人をこの世に引き戻すことさえ出来ます.大変ありがたいことですが、それが故に人は自分の意思に関係なくただ「生かされ」,「病院のベッドで沢山のチューブにつながれ…」などということになり、尊厳のある「死」はどんどん先延ばしにされるわけです.人生は結局いつか終止符を打たれるべきという摂理に抗った結果でしょう.

 人生は一種のドラマです.本当に限られた人生を充実して過ごして燃え尽きた人たちは、最後に思い残すことなく人生の幕を引くことにためらいはないのではないでしょうか?われわれ医療従事者は、「生」というドラマを演じ切った人たちに、いかに「死」というその幕引きの演出を助けられるかということにも心を砕かなければならないと思います.

. もっと大局的な視野を

 数年前に始まったばかりの新しい臨床研修制度が,医師の偏在や地方病院の医師不足を起こしているという理由で,国によって早くも見直しされようとしています.その骨子は必修研修期間が半分の1年に短縮されるというとんでもない案で,現場からは猛反発が出ています.

 今の新しい臨床研修システムは,私が神戸労災病院在職中に始まりました.以前は,ほとんどの研修医が,医学部卒業後ただちに大学の医局に入局したため,専門領域の偏った知識・技術しか習得できないという状態でした.たとえば最初から眼科・皮膚科などの科を専門としてしまうと,救急蘇生などを経験する機会がほとんどありません.ある大学病院の眼科の病棟で患者が急に心停止を起こしたとのこと,かけつけた医局員たちが「早く医者を呼べ!!」と大騒ぎとなったという笑えない話もあったようです.

 このような弊害をなくすため欧米に倣って導入されたこの制度では,研修医は医局に縛られることなく自分の希望する病院で,内科・外科・救急など複数の科を2年間かけてローテーションし,医師として最低限必要な幅広い知識と技術を身につけることができるようになったのです.私はこの制度ができた時,自分の研修医時代を振り返り,本当にうらやましく思いました.

 神戸労災病院では心臓血管外科もローテーションの選択科目に入っており,一人あたりの研修期間はたった2か月ほどでしたが,指導であった私は,フレッシュマンたちを教える機会を与えられました.心臓血管外科は一見特殊な科に見えますが,治療の過程がダイナミックである上,重症患者が非常に多く,周術期の患者さんの全身管理を通じて循環,呼吸,栄養,外科処置といった,将来どの科に進んでも役立つような技術・知識を得ることが出来,彼等も非常に喜んでくれました.

 私も,自分が教えたことをスポンジのように吸収してくれる意欲的な彼等の姿を見て本当にうれしく思いました.研修制度2期目の最初に教えた研修医は女医さんで,まだあどけない顔の彼女に初めて接した時は,「こんなお嬢ちゃん,ほんまに大丈夫かいな?」と正直思いました.しかし非常に好奇心旺盛で頑張り屋の彼女は,循環器医療に非常に興味をもったらしく,数年後の今,三度の飯より心臓カテーテルが好きというバリバリの循環器内科医として活躍しています.

 2年のローテーションを終えた彼等は後期研修医としていよいよ専門科目を絞りますが,いろいろな意味で頼れる,病院にとってなくてはならない若い戦力に育っていました.

 しかし周知のとおりこの制度により,大学医局の入局者が減少して関連病院の人事がまわらなくなったり,地方の病院や症例数の少ない病院が敬遠されるようになり,医師の偏在化や地域医療の崩壊の危険性が叫ばれるようになり,慌てた厚労省や文科省が,拙速にも研修期間を1年に縮めるというような短絡的な案を出したというわけです.

 しかし,この制度がそういった副産物を生むであろうことは,最初から誰にでも容易に予想できたのではないでしょうか.そもそもこの制度はもとはと言えば,旧来の制度により専門バカの医師ばかりがが量産される弊害を改善するために始まったはずです.また教育熱心な病院,特色ある病院を新人が選ぶのは当然のことであり,だからこそ受け入れる側も刺激を受けて襟を正すようになるわけです.それに多くの新人が入ってくることは病院にとっても活性化,質の向上につながると思います.

 にもかかわらず,現場の医師の頭数だけをただ増やすためだけに,当初の崇高な理念を全く捨ててまず研修期間を減らすというのは,あまりにも安易な考え方と言わざるを得ません.他に方法はいくらでもあるはずです.

 それにしても,なぜ国や役所はいつも近視眼的なものの見方ばかりして,日本の将来の医療のために何が本当に必要なのかを考えないのか?医療崩壊が叫ばれて久しい日本,問題は山積しているのに,出てくる案はことごとく現場の実情を無視した愚策ばかりです.

 それは,中央の人間たちが実際の医療現場を見ず,机の上でしかものを考えていないからです.
 以前,過重労働に耐えかねて勤務医たちがどんどん開業していくのを防止するべく,また地方の医師不足を解消するべく,開業するためには一定期間地方での研修を義務付けたらどうか,という案が本気で出されました.しかし私は,むしろ霞が関の冷暖房の利いた建物の中でふんぞり返って愚策を繰り出してばかりいる官僚たち全員に,一定期間医療現場で働くことでも義務付けてはどうかと思うのですが,どうでしょうか.
. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です。
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
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