副作用はありますよ

 患者さんに新しい薬を処方しようとすると,しばしば「副作用が心配なので飲みたくありません.」というようなことを言われます.中にはその薬がどうしても治療に必要なことを話しても,副作用の心配が故に拒否される方も少なくありません.

 実は,私は「副作用はありますか?」と尋ねられた時には,必ず「副作用はあります」と答え,そして注意すべき副作用やその程度について説明するようにしています.残念ながら,「副作用のない薬です」などと説明することはしません.

 物事には必ず表と裏があるように,病気の治療手段にも必ずその利点と欠点があります.どんな簡単な手術も100%安全とは言えないのと同じく,どんな薬にも必ず副作用があります.しかしその薬に期待する効果としての主作用が,欠点である副作用の起こる確率よりもはるかに高く,病気の治療に役立つ可能性が高いから使用するわけです.もちろん命を脅かすような重大な副作用が頻繁に起こるようでは困るがゆえに,薬が治療薬として認可されて世に出るのには極めて厳しい臨床試験が課されているわけです.それでも副作用がゼロという薬は決してありません. 

 よってある人にある薬の副作用が出るかどうかは,かなり予想できることもありますが,そうでないことの方がむしろ多いわけで,たとえ「副作用が少ない」といわれる薬であっても,その人に起こるかどうかは確率の問題といえます.それは人間の身体は個人々々異なり,誰一人として同じではないからです.

 例えば高血圧は一見無症状の人が大半です.しかし高血圧を放置すると動脈硬化が確実に進行して近い将来に心疾患や脳梗塞を起こす確率が極めて高いことは,今までの研究の積み重ねではっきりしています.したがって降圧剤のわずかな,そして通常はそれほど重篤ではない副作用の確率と,高血圧を放置することによる悲劇的な合併症の起こる確率とを比較すれば,薬の副作用を心配して服用しないというのは,まさに本末転倒なわけです.

 それに,自分は今まで病気一つしたことないから血圧や血糖値が高くても大丈夫,薬など不要,薬はきらいなどと言っている人に限って,いきなり心筋梗塞や脳梗塞で寝たきりになってしまった事例を私は今まで数え切れないほど見てきました.病気一つしていないのではなく,高血圧や血糖値が高いことはすでに立派な病気だからです.

 インフルエンザの特効薬であるタミフルを服用して,精神症状やそれによる自殺企図が報道された時も,タミフルを治療薬からはずすというような極論まで出ました.しかし,インフルエンザに対するタミフルの恩恵は計り知れず,この症状がこの薬の副作用によるものかどうか明白でないにもかかわらず,もし本当に使用禁止にしたら,どうなるかは誰の目にも明白です.

 もちろん患者さんの中には,以前にある薬を飲んでひどい副作用を起こしたというようなトラウマがある方や,実際に多くの薬剤にアレルギーを起こしてしまうような体質の方もいるので,医療サイドも十分注意しなければなりません.

 ただいずれにせよ,患者さんの自覚と医療サイドの説得力のある説明に裏打ちされた信頼関係が,薬を有効に使用していただくために最も重要なことであるとは思います.


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ゆるぎない信念

 大リーグのイチロー選手が先日とうとう,かつて張本勲氏が達成した日本人の最多安打記録を更新しました.大リーグに移籍して8年,次々と記録を打ち立てる彼には国を越えて賞賛の声が上がっており,同じ日本人としても誇りに思います.

 現状に決して満足せず,奢らず,常に上を目指して黙々と成績を積み重ねていく彼の姿をみて,ある人がテレビで「職人」と称していたのが印象的でした.今や天才打者と呼ばれる彼とて,愛工大名電高卒業後のドラフトでは4位という評価でした.従って彼の偉業は,走攻守そろった抜群の身体能力と野球センスによるもの以上に,人並み外れたたゆまぬ努力と向上心がなしたものだと言われています.「一念岩をも通す」ということばがありますが,まさに彼のような人のためにあるのでしょう.

 世の中で一流と言われたり,大事を成し遂げた人々に共通しているのは,一言でいえば「ゆるぎない信念」ということではないでしょうか.

 もちろん「信念」を貫き通すというのは言うは易し,行うは難しです.人はつい安きに流れやすいものですし,モチベーションを保つには大変なエネルギーが必要な上,時には周囲との軋轢も覚悟しなければならないからです.だから結局は自分の保身に走ってしまい,世のため人のためなどという気持もなくなってしまう.たとえば今の政治家や官僚を見ていると,本来の仕事そっちのけで,選挙で当選することと既得権益を守ることに汲々としているばかりに見えます,この大変な時期にこそ信念を持った政治家がいて欲しいのに,本当に日本や世界の将来のことを考えている人がいるのか,甚だ疑問に感じざるを得ません.

 政治などとは全くスケールが違いますが,私も一国一城の主,自分のクリニックの経営を安定させ,自分と家族が,スタッフが,そして訪れる患者さんたちが幸せになるために最も必要なのは,何といっても幸せになりたい,豊かな人生を送りたい,そして地域医療に尽くしたいという「ゆるぎない信念」であると強く感じています.




桜に思う

 神戸ではここ1週間ほど桜の花が満開になりました.クリニックの近隣の桜並木も本当にきれいで,毎日沢山の花見客で賑わっていました.私も先週の日曜日は,合気道の稽古後に仲間たちと須磨の妙法寺川沿いの桜並木の下で花見をしました.天気も大変良く,稽古で汗を流した後にきれいな桜の花々を愛でながら飲むビールは最高でした.

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 それにしても桜を日本の国花と決めたのは誰かは知りませんが,これほど日本,そして日本人にぴったりの花はないのではないでしょうか?花の一輪々々は小さく,色も控えめではかなげですが,それらの花々が一斉に命を与えられたように見事に咲き誇り,かつ散り際も潔いところが,日本人の精神性,魂,感性を見事に象徴しているのでしょう.古くから多くの詩歌,文学作品,芸術作品に数え切れないほど取り上げられているのはもちろん,国学者の本居宣長は,桜が「もののあはれ」を基調とする日本人の精神を具現していると述べていますし,新渡戸稲造の著書「武士道」では「武士道とは日本の象徴たる桜の花のようなもの」と記しています.

 太平洋戦争の時代に流行した軍歌「同期の桜」では,「同じ花なら散るのも同じ,見事散ります国のため」などと歌われ,桜を愛する日本人の心が,国民を扇動するような手段に悪用されてしまったというのは忘れてはならない悲しい事実ですが,言い換えればこの花にそれほどの大きな力があるということなのでしょう.

 また日本人は,世界でもまれに見る水の豊かな国だけあって,「水に流す」という精神も行動規範になっているといわれますが,この精神も桜の花に通じるようなところがあると思います.

 たとえば,日本人は原爆で数十万の人々の命を一瞬にして奪われたという本当に悲しい思い出があるにも関わらず,その投下国である米国に“民族的な恨み”は残さず,同盟関係さえ結んでいるというのは,単なる地政学的,軍事的な理由だけではないと思います.太平洋戦争時代の日本軍の侵略に対する中国や韓国の未だに消えない反日感情とそれとを単純に比較することは危険ですが,やはりその違いは,相手を許す「潔さ」であり,悲しい過去を「水に流す」(もちろん原爆の悲惨さは決して忘れてはなりませんが)精神的土壌の有無なのかもしれません.

 戦後60年以上が経過してすっかり平和ボケしてしまったと揶揄され,中国やインドなどの台頭で世界第二の経済大国としての地位も危うくなり,政治や外交でもあまりぱっとしない日本ですが,先祖より受け継いだこういった精神だけは,日本人のアイデンティティとして誇りに思い,未来に受け継がれて欲しいと思います.