Dr.OHKADO's Blog

. 奴隷様?乞食様?患者様?

 2月もあと1週間となりました.花粉の飛散予報の通り,今月半ばあたりから鼻汁や流涙を訴える人が増えており,抗ヒスタミン薬や漢方の出番が増えました.

 今日は久しぶりに散髪に行きました.神戸に帰って以来行きつけの店なのですが,ご夫妻と数人の若いスタッフで理容室と美容室を同じフロアでやっており,stylishで明るい店の雰囲気と,ご夫妻の温かいお人柄やスタッフの礼儀正しさがとても気持ちよく,私と次女が常連で通っています.

 ゆったりとした至福の時間を過ごしながら,ご主人とはいつも様々な話をするのですが,理容美容業界も最近は競争が激しくなかなか大変とのこと,接遇やサービスなどにいつも心を砕いているとのことをお聞きし,業種は違うとはいえ大変参考になります.

 今日は隣のかなり年配のお客さんが,どうやら私と同じ開業医のようで,担当の若いスタッフに話しているちょっと威圧的な口ぶりからは,いわゆる昔の開業医先生!という感じでした.ここに来るのは初めてのようでしたが,ご主人もこっそり私に,「昔の先生という感じですよね,最近は医療はサービス業ですものね,ああいう感じで診察されているとしたらちょっと…」と苦笑していました.確かにひと昔前は医師と患者の垣根が高く,患者が何か言おうものなら,「素人のあんたに何がわかるんや,わしの言うことさえ聞いといたら間違いないいんや!」というような「怖い」先生が多かったと思いますが,今では患者さんの方も多くの知識を持つと同時に権利意識が高くなり,いつのころからか「サービス」という言葉が強調されるようになりました.

 私も,医師が医療を病める人々に奉仕(service)の精神を以て供給するというのはごく当たり前のことだと思います.ただそれをどのように表現するかということが重要で,様々な誤解や問題もあるようです.その一つは,いつの頃からか患者さんのことを「患者様」というようになったことです.これは医療サービスの向上という名のもと,厚労省が推し進めた方策(私に言わせれば大いなる愚策ですが…)の一つだそうで,義務ではないものの,病院のスタッフのみならず,製薬会社のMR,マスコミまでもがこの言葉を日常的に使っており,私としては正直辟易しています.

 そもそも患者というのは病気に罹患した弱い立場の人々をさすわけです.しかし弱い立場の人はほかにいくらでもいるわけで,たとえば,奴隷や乞食に奴隷様,乞食様というでしょうか?確かにレストランやホテル等では客を「お客様」と呼びますが,これが患者と決定的に違うのは,彼等は強い立場にいる,つまり自ら望んでお金を支払うことにより奉仕を買う,そしてその奉仕の程度も支払う額に比例する,ということです.しかし患者は決して望んでその立場になったわけではありません.

 それにこの論議の是非はともかくとして,各種アンケート等を見ても,医療従事者はおろか患者さんたち自身でさえ,実はほとんどの人間が,「患者様」と呼ぶことが医療サービスの改善につながっているなどとは感じていないとのことです.私の経験でも,多くの患者さんたちはこう呼ばれることを,何か自分たちが「金づる」みたいに思われているようで気持ち悪いとさえ思っている人が多いようです.
これはさながら,時代劇で「越後屋」などの商人が,悪代官に媚びへつらって上目遣いで手をこすり合わせ「お代官様,お代官様のお陰でわたくしどもも安泰でございます,ヒ,ヒ,ヒ,ヒ…」などとほくそ笑んでいる場面を思い出してしまうのは私だけでしょうか?

 医は仁術という言葉のとおり,医療を金儲けが目的ではなく,より崇高な精神のもとに施されるものであるとするならば,患者のことを「患者様」ということなど何の意味もなさない,むしろその理念に逆行するものであることは明らかです.

 クリニックでは私もスタッフも「患者様」と呼ぶことは決してしません.それよりもクリニックを訪れてくださる患者さんたちに心から優しく明るい言葉で「患者さん」「○○さん」と呼んであげた方が,どれだけ彼らの心を癒してくれるか,と思うからです.
 
 
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. その後いかがですか(~_~;)

 いつぞや道を歩いていると,ある老婦人から声をかけられました.「先生,お久しぶりです!(^^)」
 私がきょとんとしていると,「半年くらい前に診ていただいた○○です.あの時は本当にどうもありがとうございました.」と言われるのです.

 私はどうしても彼女が思い出せません.でもせっかくご機嫌よく声をかけて下さったので,忘れたというのも申し訳ない,とにかく無難な話をしながら思い出すきっかけを作ろうと思い,こう言いました.
「ああ,○○さんですね.思い出しました,その後いかがですか?お元気になられましたか?」
「ええ,とっても.先生のおかげで本当に元気になりました.でもね,最近は,前立腺っていうんですか,少し腫れているとかでおしっこの出が悪くて泌尿器科のA先生のところにも通っているんです.」
 ここで私は思わず「エッ」と叫びそうになりました.「この人はどう見ても女性だよなあ… いったいどういうことやねん??」 私の心の中は焦りでいっぱいになりながらも,涼しい顔をして「そうですか,でも心配いりませんよ,A先生ならちゃんと治してくれますから安心して下さいね.」と,当たり障りのないことを言いました.
 そうすると彼女は「ありがとうございます.主人がまた近々先生の所にご挨拶に伺うと申しておりましたので,その時はまたどうぞよろしくお願いいたします.ではお元気で!(^^)」と言い残して機嫌よく?去って行かれました.
ここで初めて,彼女は私が半年前に診たという患者さんの奥さんだとわかったのです.しかし結局その患者さんが誰なのかはその後も思い出せず,奥様には本当に申し訳ないことをしました.

 医師を長いことやっていると,こういうことは結構あります.軽症だったり入院や通院期間が短くて印象の薄い患者さんや,ましてやそのご家族は顔を忘れてしまうことも多く,また学会報告にするほど非常に珍しいケースでも,検査や手術の所見を覚えているのに顔は全く覚えていないということもあります.

開業してからは電子カルテを使っているため記載スペースがほぼ無限にあるので,診察中の何気ない会話で知った相手の情報を,病気に関することだけではなく趣味やスポーツ,仕事や家族のことなどでもできるだけ書いておくようになりました.PCは悪筆の私には本当に助かります.すると最初は思い出せなくてもそれを見ながら会話をしていくうちに,思い出せるようになりました. 

 そういう意味では,半年前に一度しか行っていない飲み屋のママさんなどは,イケメン(あるいはその逆?)でもない私の顔と名前をしっかり覚えてくれていたりして,商売とはいえその心意気は本当に大したものだと感心させられることが多々あります.
 医師にとって患者さんやその家族はone of themではあっても,彼等にとってのその医師はひとりなわけです.開業医も飲み屋のママさんをある意味接客のプロとして見習う必要があるでしょう.

 

. 便利さの陰で

 今年は暖冬とのこと,立春も過ぎ,このままどんどん春めていくような感じさえします.クリニックもあれよあれよという間に開院10ヶ月目を迎えましたが,最近感じていることは,とにかく日々一人ひとりの患者さんを大切にしてコツコツをやるしかない,それがいずれクリニックの成功につながるのであろうということです.

 6年前に神戸に帰って来て以来,私の頼りになる相棒として酷使に耐えてきたNECのノートパソコンもとうとう満身創痍となり,昨日の診療後に新しいパソコンに乗り換える作業を行いました.私のパソコン歴は長く,作業には慣れているつもりでもやはり毎回大変です.特にOSがXpからVistaに代わったため何かと面倒なことが多く,結局なんだかんだで終わったのは夜9時過ぎでした.

 ここ十数年でのパソコンや携帯電話の普及はわれわれの生活を一変させました.特に,誰でもどこでもあらゆる情報に一瞬にしてアクセスできるということを可能たらしめたインターネットの普及は,産業革命以来の出来事と言われています.私もその例外ではなく,自宅でもクリニックでもパソコンを使用しない日はないといっても過言ではありません.

 さらにそれらは日々どんどん進化し,数年前のものなどもう化石といわれるほど古くなっている,それに便乗してソフトや周辺機器もどんどん新しくなり,人々は否応なく新しいものに買い換えざるを得ません.
 それと共に日常生活のあらゆる面において,すべての物事はスピードや便利さ,新しさばかりが重要視され,正直,何か毎日追い立てられるように生活しているようだと感じているのは私だけではないでしょう.

 私の子供のころは,まさに映画の「三丁目の夕日」の時代でした.小学校2年生くらいの頃,家に電話が来ただけでびっくりしましたし,テレビは白黒でしたがそれが当たり前でした.よく手紙を書き,ポストをのぞいて返事が来ていると喜んだものでした.本屋で悪友とエッチな本(といっても当時は大したことはありませんでしたが)をこっそり見ていると,店主の怖い親爺さんに怒られました.母は夕餉の支度中に醤油が切れると隣の奥さんに借りに行き,私たち子供は日が暮れるまで皆で外で遊びました.小学生でも携帯電話を持っている今の時代では考えられないでしょうが,女の子から電話がかかってくると家族に受話器を取られるのが心配でドキドキしました.近所づきあいなど人と人との直接の触れ合いも多く,ゆっくりとした時の流れの中で皆が肩を寄せ合ってほのぼのと生活していました

 もちろん,当時はパソコンや携帯電話などの便利なものを誰も知らなかったのだからそれが当たり前だったのだ,と言われればそれまでです.

 しかし,何より確かなことは,文明の発達と人間の幸福とは全く比例していないことを歴史が証明していることです.つまり便利さイコール幸福ではないということですが,いったん便利さを知ってしまうと後戻りはできないというのが,ある意味人間の愚かさなのかもしれません.

  私たち人類は,便利さ,速さを追求した結果,素晴らしい時代を作り上げました.でも同時に,何か本当に大事なものを捨ててしまったのかもしれません.最近スローライフといった言葉が流行っていますが,しゃにむに前へ前へと突き進んできた人類が,今一度立ち止まって自分たちの行く末を考える時期に来ているということなのでしょう.

. 名医の条件

 「あの医者は名医だ」といった言葉をよく聞きますが、「名選手」「名指揮者」「名シェフ」など「名」のつく職業はなじみ深いものが他にもいくらでもあります.また最近は「カリスマ美容師」に代表されるように「名」のさらに上を行くものとして「カリスマ」なる言葉も流行っていて、「カリスマ主婦」などと、なんやそれ?と思うほど節操なく使われているようです.
 「名…」と呼ぶ基準については、例えば野球の「名選手」ならば、ホームラン数や防御率などの優れた選手を呼ぶようですし,「名指揮者」「名シェフ」などは客観的な指標がないとはいえ、演奏のすばらしさや料理の美味しさなど、大多数の人間に認められる何かがあるのでしょう.

 では「名医」とは、どんな医者を意味するのでしょうか.すぐ思い出すのは、例えば外科医ならば手塚治虫の漫画「ブラックジャック」のように,卓越した手術の腕前を持った医師でしょう.週刊誌などにはよく「日本の名医100人」といった記事が特集されていますが,こういった記事の多くは手術数などが基準になっているようです.外科手術や最近流行りのカテーテル治療などは,多分に医師の「腕」が結果を左右するので,優秀な医師を選ぶ基準として経験手術数や成績が重視されるのはある意味当然かもしれません.

 ところで一昔前の医学は経験や勘といった要素がかなりの部分を占めていましたが,昨今の著しい進歩により,多くの病気には理論的な治療法が開発されました.「胃潰瘍」という診断がいったんつけば、私のような平凡な医師でも、大学病院の教授先生でも治療方針にたいした違いはありません.また病気の診断も、聴診器しかなかった昔とは違い、あらゆる高度な診断機器がそろった現代では、通常の病気はどんな医師が診断してもほぼ同じような診断結果が得られます.

 またかつては、たとえば心臓の手術にしても、無事手術室から帰ってくるか否かさえ分からないというレベルでした.しかし今は,手術手技はもちろん麻酔や全身管理などの進歩により、非常に重症なケースは別としても、大半の手術はある一定レベル以上の外科医が行えば成功するようになりました.つまり、多少の巧拙の差はあるにしろ、手術は適切なトレーニングを受けた医師であれば誰でもほぼ問題なく施行できるようになったといえます.むしろ本来、誰もが平等に医療の恩恵に預かるためには、特殊な能力を持った人間だけが施す魔術や手品のようなものであってはならないはずです.マスコミは腕の立つ(これもある意味で語弊がありますが)と言われる外科医を「天才外科医」「ゴッドハンド」などと話題にしますが、「天才」でないと出来ないような手術では困りますし、実際そんな手術も滅多にあるものではありません.

 そう考えてくると、いったい名医とは何なのでしょうか?少なくとも人間を相手にする臨床医にとって、医療側やマスコミ側ではなく,患者側から「名医」だと認められる条件は、確かな知識や技術もさることながら、多くの人生経験とそれを自分の糧とする能力、そしてそれを彼らのために還元できる能力ではないかと私は思います.つまり、名選手がそのプレーを、名指揮者がその音楽を通じて人々を感動させるように、名医とは医療を通じて病める人々を感動させられる医師なのだと思います.

 患者さんが病気の治療を求めて医師にかかるとき、医師とは病気以外の様々な側面でも接点を持ちます.彼らは普段他人には見せない肉体のみならず、他人には言えないような弱い面、恥ずかしい面もさらけ出さなければならないこともあるからです.問診にしても、患者さん自身の訴えだけで簡単に診断をつけられることもありますが、より正確な診断のためには、その人の過去や、必要ならば親や子供のことについてさえ,さながら警察の取調べのように細々と聞き出さなくてはならないこともあります.

 当然ですがこんなことを可能たらしめているのは、両者の間に医師と患者という関係が成り立っているからです.しかもそれは医師がたとえほやほやの研修医であっても、何十年もやってきたベテランの医師であっても同じなのです.考えてみればこれは恐ろしいことで、「最近陰部にかゆみを感じることはありませんか?」なとどいった際どい質問を,普通の人がすれば「何でそないなこと、あんたに教えんとあきまへんのや?」とでもいわれそうですが、医師という肩書きだけで、「はあ、そういえば時々かゆくなりまんなあ」などと比較的ためらわずに答えてくれるのです

 それでも一般的にあまりに若い医師に対しては患者さんが不安を隠せないことが多いのは、知識や技術もさることながら、彼らに対して安心感,信頼感や癒しを与えられる能力がまだ足りないからなのかもしれません.
 そういった意味では医師も様々な人生経験を積み、艱難辛苦をなめたような人の方がよいわけです.恋愛経験のひとつもない医師や,勉強ばかりでエリート街道まっしぐら、何の苦労もしたことのない医師に病人の苦しみや痛みがわかるでしょうか?

 私は勤務医時代,いつも研修医に「この患者さんが君の親だと思って治療をしなさい」と教えました.自分の親が病気になった時、いったいどんな医師に診てもらいたいかを考えればわかります.やはり、患者さんの病気を頑張って治療しようという一生懸命さ、真面目さなどが彼らや家族の心を打つのではないでしょうか.ある意味あまりにスマートな医師よりも、不器用(といっても程度がありますが)でも真摯な態度の医師のほうが安心感があるでしょう.そうであれば、万が一不幸にして治療がうまくいかず望まない結末になっても、家族は「ここまで一生懸命やってくれたのだから言うことはない.本当に良い先生に出会った」と言ってくれるかもしれません.

 私とてまだ医師になりたての頃は、プライドばかりが常に頭をもたげて,いかにして患者さんに馬鹿にされないかと思いがちでした.彼らの前で薬の名前が分からなくても、その場で本を見ることなどできなませんでした.けれどもある程度の人生経験を積み、身をもって分かったことは、医師は決して天才なんかでなくても良い、その前に正直であり、真摯であれということです.だから患者さんに薬を処方するとき、使用法がわからなければ遠慮なくその場で本を調べてもよいし,そんなことは何ら医師の評価を落とすものでもないと思っています.

 私は自分がマスコミの言う「名医」などになれるとはこれっぽっちも思っていません.しかし患者さんやその家族の人たちが「本当に先生に診てもらって良かった」と感じてくれるような医師になれれば医師冥利に尽きるというものです.

. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です。
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
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