Dr.OHKADO's Blog

. 諸行無常

 今年もとうとう明日が大晦日です。5月にクリニックを開業して以来、戸惑いの連続ながらもがむしゃらに突き進み、今から思えばあっという間の8ヶ月でした。先日クリニックの忘年会を行いスタッフたちと労をねぎらいましたが、勤務医時代とは一味異なる、心からの満足と安堵とを伴った達成感とでもいうような気分に浸ることが出来ました。
 最近は時の流れの速さというものをとみに感じます。一説によると、体感時間は年齢に反比例するとのこと、つまり例えば10代の頃に比べると50代では時間の長さがその5分の1に感じるというのです。確かに小学校の頃、1ヶ月半の夏休みは永遠に続くようにさえ思えました。それが今ではどうでしょう、1年でさえあっという間に過ぎ去るように感じます。世の中がどんどん進歩して、速さや効率の良さが常に求められ、その中にどっぷり浸からざるを得ない私たちは、いつも何か急かされているように感じるからかもしれません。
 それでも、この世の中、貧富、人種、学歴、職業、才能、容姿…とあらゆる意味で“不平等”な中、ただひとつ、時の流れだけは確実に平等です。。これだけには誰も抗うことは出来ず、平家物語の冒頭にあるように「諸行無常」です。
 そして時の流れとともに“老い”はどんな人にも必ず訪れます。アンチエイジングという言葉がかまびすしく言われていますが、それをあざ笑うかのようにです。はるか2000年以上も前に絶大な権力であらゆるものを手に入れた秦の始皇帝が、徐福という部下に不良長寿の薬を求めて世界中を探させたのは有名ですが、その彼とて時の流れだけには逆らえなかったということです。
 先日ある患者さんが、私にこんなことを言いました。「先生、突然こんなことを申し上げるのもなんですが、もし私が今際の際になった時は、とりあえず先生に連絡してもらえばよいでしょうかね。遺言なんかはちゃんとしてありますけどね、なんせ一人暮らしなもんで、他人に迷惑だけはかけないようにしたいんですよ。」
 この患者さんは確か80歳ぐらいですがとてもお元気で血色もよく、今すぐどうなるとも思えません。私はこの方が受診されるたびに、それが私の仕事であるから当然なのですが、通常通りの診察をして、検査をしたり処方箋を出したりしていました。医師ですから一日でも健康に長生きしていただくことだけを考えていました。しかしこの方は、すでにご自身の人生の後始末というものもきちんと考えておられる、そういう意味でこの言葉をお聞きしたとき、私は一種の戸惑いと同時に、何か頭をガツンと殴られたような気にさえなりました。
 今年は私が以前から診させていただいている高齢の患者さんにもご不幸がありました。これからも同じようなことは当然続くでしょう。超高齢化社会になった今、私たち医療従事者に限らず誰もが、「生」のみならず「死」というものに真正面から向きあっていかなければならないと強く感じています。
 時の流れは残酷ですが、悲しみや苦しみを癒してくれるのもまた、時の流れだと思います。今年は世界中が未曽有の大不況に陥るなど、大変な1年でした。しかし来年は皆が希望を持てる、少しでも幸せな年になるように祈るのみです。
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. 言霊

 いよいよ忘年会シーズン,昨日は中央区医師会の忘年会がポートピアホテルで開催され,私も出席しました.私のような新入会員も何人か出席されておられ,色々な先生方と知り会うことも出来,楽しい会でした.
 年末になるとテレビの番組も再編時期を迎えますが,NHKの大河ドラマもそうです.私は地理や歴史が好きなので,大河ドラマもほぼ毎年見ています.今年の「天璋院篤姫」は戦国時代の戦闘のような派手な場面こそなかったものの,主役の宮崎あおいさんの好演も手伝って非常に視聴率も高かったとのこと,私も例年になく楽しんで見ていましたが,今日はとうとう最終回でした.激動の人生を終えたヒロインが安らかに息絶えた時,胸にこみ上げるものさえ感じました.
 それにしても昔の日本人は,その発する言葉や,立ち居振る舞いのひとつひとつが本当に思慮深く,美しく,重みがあったと感じます.座り方や立ち方,お辞儀の仕方などでさえ非常に美しい.それが芸術のレベルにまで昇華されて現在にまで伝わるものが能や歌舞伎,茶道や華道,武道でしょうが,当時の人々にとってはそれは何も特別なことではなかったわけです.
 テレビですからかなり脚色はあるでしょう.しかし豊かな自然や穏やかな気候風土,そして二千年近くも単一民族として(アイヌなどはいますが)外部から干渉されることなく独自の文化をゆっくり醸成してくることが出来たという奇跡ともいうべき幸運によって,日本人は類まれなほど道徳心や礼節を重んじる,そして温厚な人種に育ったのに違いありません.
 振り返って今の世の中をみると,発言や行動が本当に軽率です.政治家しかり,芸能人しかり,責任も何もあったものではない.またそれを周囲がやいのやいのと無責任に面白おかしくあげつらう.まあどっちもどっちです.何かどっしりかまえたところがない.もちろんこれは日本人にかぎったことではないのかもしれませんが,とにかく最近は言った者勝ち,やり込めた者勝ちという感じで節操がありません.
 かつてフランスの外交官のポール・クローデルが日本の敗戦が濃厚となった昭和十八年頃に「日本人は貧しい.しかし高貴だ.世界中でただ一つどうしても残ってほしい民族があるとしたら、それは日本人だ」という言葉を残したことは有名です.これはあくまで彼の極端な私見であり,他の国民が聞いたら怒るかもしれません.しかし彼は,当時の日本人には彼のような西洋人でさえ感銘を受けるような道徳心や礼節がみられたということを言いたかったのでしょう.
 「言霊(ことだま)」という言葉があります.これは言葉というものは人の口から発せられるとき,大きな力が与えられるということだそうです.私は自戒の念もこめて,言葉や行動にはひとつひとつにその重みがあるのだということを肝に銘じたいと思っています.

. 心身一如

 時の流れとは無常なもので,今年中にまだまだ片付けなければならないことが山積していて慌てふためいている私を尻目に,今年も着々と終わりを迎えようとしています.
 医師を長年やっていると,人間観察力とでもいうべきものが鍛えられます.特に外来では,診察室に入って来る様子や身なり,話し方などで,その人の人となりや年齢,職業などがなんとなく判ることも少なくありません.しかし時には実年齢を知った時に非常に驚かされることも多々あります.
 超高齢社会になりつつある今,高齢者になってもまだまだ現役で働いている人は少なくありません.このような方々,特にホワイトカラーの方々や,仕事でなくても趣味やスポーツに打ち込み毎日のように出歩いている人は,実年齢より非常に若く見えます.まさにこれこそが心身一如ということばの真髄をあらわしているといわざるを得ません.
 私は以前東京女子医大病院に勤務していましたが,周知のごとくこの病院は多くの政治家や有名人も利用することで有名です.
 十津川警部補シリーズとして名声を博した俳優の故三橋達也さんも狭心症を患って冠動脈バイパス手術を受けられるために入院されました.ちょうど私のいた診療グループが主治医チームで,教授執刀の手術には私も助手として入り,その後病棟でお世話をさせていただきました.本名を隠すために病室のネームプレートが「十津川」となっていたのが懐かしく思い出されます.回診に行く時に会う三橋さんはやはり大俳優たるオーラを持っていました.しかし変に思われるかも知れませんが(^_^;),妙に印象に残っていることは,彼の足のかかとや爪が非常に良く手入れされていて,年齢を全く感じさせないことでした.普通のご老人ならば,普段もそうですがましてや入院などしてしまうと,足の裏はがさがさになり,爪など伸び放題で半分は水虫に冒されているようなことが多いことを考えると,これは驚きでした.人に観てもらう職業なのだから当たり前と言ってしまえばそれまでですが,やはり大俳優ともなると,こういった普段人に見られないような部分にまで,そして入院中でさえも気を遣っているのか,と妙に感心したものです.
 もちろん,ぼろは着てても心は錦,などともいいますが,たとえ衣服が高価なものでなく「ぼろ」であっても,常に前向きな気持ち,若い気持ち,そして身だしなみもそれなりにきちんと保とうというい気持ちがあれば心は「錦」色なのだ,という意味なのだと思います.
 私も実年齢は齢50歳を迎えてしまいましたが,若々しいお年寄り達を診させていただくたびに,自分もこうありたいものだと感じています.

. 初めて判るその気持ち

 今日からとうとう12月です.私にとってはもちろん開業以来はじめての年末であり,今までにないほど慌しいひと月になると覚悟しています.
 昨日の午後にかみさんとでかけた街のショッピングモールは,もうクリスマス一色でした.フロアの真ん中に飾られた大きなクリスマスツリーのひとつには,オーナメントの代わりに沢山の丸い紙のようなものがぶら下がっており,よく見ると一つ一つに七夕の短冊さながらに一般市民からの願いごとが書いてありました.「家族みんなが楽しく平和に暮らせますように…」といった,ほのぼのとした,小さな幸せを願うものがほとんどでした.でも,通り魔殺人やリストラなどが激増し,当たり前だと思っていた生活さえ脅かされることが多くなった昨今,何か身につまされるものがありました.
 夜にかみさんと共に京都に1人暮らししている長女に送るための‘救援物資’をダンボールに詰め込みました.スペースが少しでも余っていると勿体ないので,あれこれと役に立ちそうなものを探しては出来るだけ詰め込んでいる自分たちの姿をみて,もう30年も前の大学時代に岐阜に下宿していた頃,私の父母が時々私にダンボール一杯の荷物を送ってきてくれたことを思い出しました.あの頃の父母も同じような気持ちだったに違いありません.頑張り屋ですが自己主張の強い長女なので,久しぶりに帰ってくるとつい口げんかになってしまうようなこともあります.でもこうして離れてみると,やっぱり愛娘の安否を心から心配している自分がいることに気づきました.おそらく長女はそんなことは知らないでしょうし,私も自分の大学生活をエンジョイしていたその時代,正直言って親の気持ちをそれほど察することはありませんでした.でも今になり,あの時の父母の気持ちが痛いほど良く判り,感謝の気持ちで一杯です.「親孝行,したいときには親はなし」とはまさに金言だと思います(まだ私の父母はピンピンしていますが(^_^;)).
 クリニックも同じです.自分が使われる身であった今までは,私だけではないとは思いますが,上に対する批判や勝手なことばかり言える立場でした.しかし開業して小さい組織ながらも自分がトップになってからは,上に立つ者の立場や苦労というものを初めて理解できることも多々あります.  
 しかし結局人間とはみなそういうものなのかもしれません.自分が経験したことのないことは頭の中ではわかっていても実際のところは判っていない,結局自分がその立場に立ってはじめて判る,そして一生かけて成長していくのでしょう.
 トップに立つということは大変なのだということを身に沁みて感じていますが,それでもそういったプレッシャーを逆に楽しめるぐらいになりたいと思っている今日この頃です.
. プロフィール

Dr.Ohkado

Author:Dr.Ohkado
神戸市中央区新神戸駅ちかく,神戸芸術センタービル内医療モールにある循環器科を主とする開業医です。
徒然なるままに,日々考えていることをエッセイとして書き綴っていきます.
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