新たな気づき

 8月も今日で終わりとなりました.朝夕めっきり涼しくなり秋の訪れをひしひしと感じると同時に,時の流れの速さを実感せずにはおれません.
 先週,当院の比較的近くに開業しておられるT先生のクリニックを訪れる機会がありました.T先生はその地に長年開業されておられましたが,事情があって遠い御実家のほうに帰らなければならなくなり急遽クリニックをたたむことになったとこのこと,大急ぎで数多くの患者さんたちを近隣のクリニックに紹介しだしているとのことでした.有難いことに当院にもその話があり,今後のことの相談などのため訪問させていただいたのでした.
 開業してずいぶん経つそのクリニックは年季が入っているだけあって,決して最新型とは言えない古い診察机や椅子,雑然とおかれた診察用具や書類の数々,使いこんだ手術器具や検査装置などはもちろんですが,壁や天井の色や作り,部屋全体のにおい,光の加減までもが,なぜか昔の「診療所」を髣髴とさせるレトロな雰囲気をかもし出していて,T先生の人懐っこい柔和なお人柄とあいまって,心からほっとする暖かさを感じてしまいました.患者さんの数も相当数に上るとのこと,彼らの多くはこのクリニックの雰囲気と先生のお人柄を慕って集まって来ているのに違いないと確信しました.当院のような開院したてのクリニックは,とかく新しさや最新の設備や技術を売りにしがちです.もちろんそれは大事なことではあるのですが,やはりもっと大事なのはクリニック全体のかもし出す雰囲気や院長を含めたスタッフの心だと思いました.
 T先生には多くの患者さんを託され,身の引き締まる思いでした.また不要になった手術器械まで分けていただき,当分背を向けて眠れそうにありません.


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選手たちへの思い

 先週後半はお盆休みをいただきました.5月のオープン後から右往左往しながらやってきましたが,仕切り直しと,また今年後半に向けての再充電という意味でスタッフ全員にとって良い休暇となりました.私も医師になってそれこそ初めて病院から呼び出しを食らう不安から開放された休みがとれ,祖父母の墓参りをして無事開業できたことを報告してきました.
 さて,今世間は北京オリンピック一色です.私もにご多分にもれず日本人選手の競技結果一喜一憂してしまいますが,見事金メダルをとって君が代が流れる中,真ん中に掲げられる日の丸を見つめて涙する選手の姿を見る時はもちろん,残念ながら僅差でメダルを逃し,競技場を去ってゆく選手の寂しそうな背中を見る時も,何か胸にこみ上げるものを感じます.私は彼らの競技の結果はもちろんですが,そこに至るまでの過程に思いを馳せてしまいます.オリンピックという,スポーツでは世界最高峰の舞台に立つためにどれほどの強い,そして苦しい思いで練習に励んだか…,おそらくあらゆるものを犠牲にして365日ほぼ練習漬けだったのであろう…,特にメダルを期待されるスポーツ選手は周囲からのあまりにも大きすぎる期待による重圧で,それこそ押しつぶされそうにさえなっていたのではないか…,期待に答えられなかった時の苦しさはいかほど大きいか,また無責任な非難や中傷に対する悲しみはいかばかりか…,と.
 オリンピックに出るということは,凡人には到底なし得ない偉業であることを考えると,彼らの頑張りにはたとえ結果がどうであっても心から労ってあげるべきだと思います.メダルを獲ることはどの選手にとっても目標でしょうし,国民にもそれを期待しない人はいないでしょう.しかしマスコミといえば連日のように「メダル,メダル」と馬鹿のひとつ覚えのように騒ぎ,スポーツのルールもわからないような芸能人が物知り顔に評論しているのを見ると,首をかしげざるを得ません.谷亮子選手が3連覇をなし得ず銅メダルであった時も,賞賛する意見もあった反面,やれ全盛期を過ぎたのにとか,選考方法がまずかったとか,違う選手なら金を取れただろうとか,勝手な意見が飛び交っていました.しかし,5回のオリンピックに出場して銀,銀,金,金,銅と全て表彰台に上ったという事実を考える時,そのことが一体どれほど偉大なことなのかを考えれば,非難の余地などあろうはずもありません.彼女はまさに不世出の柔道家と呼んでいいのではないでしょうか?日本人選手のメダルの報奨金は団体によって異なるにしてもせいぜい数百万円程度と聞きましたが,かたや中国やアフリカのいくつかの国などの選手は金メダルを獲れば一生遊んで暮らせるくらい報奨金が貰えるそうです.国家の事情やシステムが違うでしょうから,私はこの金額の多寡を無責任に議論するつもりは毛頭ありませんが,プロ野球選手が億単位の年俸をもらっていることやプロゴルファーが1000万円以上の賞金をもらっていることを考えれば,やはりオリンピックに出るような人は,たとえメダルを獲れなくても,もっともっと報われてもいいのではないかと思うのです.



オリンピックマーチ

ついに北京オリンピックが開幕しました.今や世界で経済発展が最も著しい中国が国の威信をかけて開催にこぎつけたわけですが,今から44年も前,昭和39年10月には東京オリンピックが大成功を収めたのを機に日本も先進国の仲間入りを果たし,その後目を見張るような発展を遂げたのは衆知の通りです.当時東京に住んでいた私はまだ6歳でしたが,なぜか東京オリンピックの数々の場面を鮮明に覚えています.
 特に父に連れられて巣鴨駅前の白山通り(だったと思います)を駆け抜ける聖火ランナーを見に行ったこと,そして開会式で華やかなマーチに会わせて行われた選手団の入場行進の場面は今でも忘れられません.
 実はこのマーチが,古関裕而という人の作曲したオリンピックマーチという曲であることを知ったのはずっと後になってからですが,私はオリンピックが開催されるたびに東京オリンピックの日本人選手団の入場と,この明るい未来を期待させるような格調高い曲を思い出し,つい感慨にふけってしまいます.同年には東海道新幹線も開通し,まさに高度成長期に入ったわれわれ日本人は前途洋洋たる未来に明るい希望を抱いていました.少し前に西岸良平原作の「三丁目の夕日」という映画を見ましたが,まさに私もあの映画に自分の幼少時を重ね合わせてしまいます.
 今回のオリンピックはチベット問題.テロ,食の安全と数々の問題を山積しながらの開催ではありますが,今の中国の人たちも当時の日本人と同じように自国に大きな誇りを持ち,今後の限りない発展を予感しているのかもしれません.かたや日本はといえば,景気は冷え込み連日のように大きな災害や殺伐とした事件がおき,国全体が沈滞ムードに陥っていますが,オリンピック選手たちの活躍が少しでも我々日本人に誇りと自信とを取り戻すきっかけになればと願うばかりです.


簡単だけどむずかしい?

 8月になり,相変わらず暑い日が続いています.
 先日ある製薬会社の主催する研究会に行ってきました.血圧管理の話題で東大から招かれたある先生の講演でしたが,その中で,マグネシウムが血圧の治療に有効である可能性があることを示唆したところ,それを聞きつけた某テレビ局が,それをある番組で取り上げたいと申し出てきたとの事でした.彼は「残念ながらお断りしました.まだ本当に有効なのかどうか証明されたわけではないですから.ちなみにその番組とは,なんとかあるある大辞典とかいう番組だったことを後で知りました.」と話して会場からの笑いを誘っていました.
 最近はどこもかしこも健康ブーム,雑誌に,テレビに,インターネットにと,ちまたには数え切れないほど多くの健康情報があふれています.健康食品,健康体操,健康器具と,まさに百花繚乱といっても過言ではなく,中にはその効果が「ほんまかいな?」と怪しまれるようなものまで多々あります.
 戦争による荒廃から奇跡的な復興を遂げ,世界第二の経済大国にのし上がって今の平和と繁栄を手にした日本,今やこの国の住民の最大の関心事は,いかにして健康に長生きするかということです.マスコミもそんな国民の心理を利用して健康ブームに火をつけ,そして煽っているということでしょうか,その行き過ぎた結果がまだ記憶に新しい某番組のデータ捏造事件であったわけです.
 私はこの健康ブームを否定する気などさらさらありません.でも私は医師として,健康を維持するためにはそれほど特殊な手段も必要ない,しかしそれなりの努力も必要だ,と思っています.
 たとえば食べ物ひとつにしても,本当に食べてはいけないものもなければ,逆にそれさえ食べれば健康になれるものもありません.いっときワインが抗酸化物質として動脈硬化を予防することが話題になり,ワインが飛ぶように売れた時がありましたが,これとて飲みすぎればアル中になるだけですし,今やコレステロールが悪の権化のように言われていますが,人間はコレステロールなしでは生きれません.上記のマグネシウムにしろ,ただそれだけ沢山摂取すればよいというものではありません.大事なのはそれらのバランスなのです.糖尿病の患者さんの中にはよく,「甘いものを食べ過ぎたから糖尿病になった.だからもう甘いものは一切食べない」という方もおられますが,これはある意味あたってはいますが,病気の本質を考えると全くの誤解です.糖尿病の本態は1型(先天性)のものは除いて不規則な生活や暴飲暴食による膵臓への過度なストレスだからです.現に,甘いものに眼がなくケーキの食べ歩きが趣味の女性が糖尿病になりやすいというようなデータはありません.
 つまり,結局は「規則正しい生活,十分な睡眠,バランスの良い腹八分目の食事,適度な運動」といった,「なんや,とどのつまりはそんなことかいな?」と,聞けばがっかりしてしまうようなことが最も大事なことなのです.
 そういう意味で「特殊な手段は必要ない」ということなのですが,他方,数え切れないほどの文明の利器としのびよる誘惑と複雑なストレスに満ちたこの現代社会において,こういった生活をすることがいかに困難なことかということを考えると「それなりの努力も必要だ」ということになるでしょうか.