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PPK?NNK?
先日,日本を代表する大俳優の森重久弥さんが96歳で大往生されました.死因は老衰だったとお聞きし,私は何か新鮮な感じを受けました.というのも最近は死亡原因のほとんどが癌や脳卒中,心筋梗塞などであり,老衰死の割合が極めて減少しているからです.
どこかの大学の先生が,理想の人生の終末はPPK(ピンピンコロリ),でも最近は終末の多くはNNK(寝たきり寝たきり殺される)などと言っていました.皮肉たっぷりですが,本当に言い得て妙だと思います.
以前勤務していた病院で,ある朝突然救急外来から呼び出されました.それは93歳の女性で,その日の早朝に起こった激しい呼吸困難と意識混濁で搬送されたとのこと,心臓超音波の所見はなんと心室中隔穿孔でした.急性心筋梗塞により左右の心室間にある壁が壊死して穴があいてしまう病気で,唯一の救命方法は手術ですが,それ自体も非常にリスクが高いことで有名です.
私はすぐに他の医師たちとともにPCPS(経皮的人工心肺装置)を装着し,ICUに運び込みました.PCPSは心臓が非常に弱っていても全身の血液循環を維できる,いわば究極の生命維持装置で,重症な循環器疾患の治療に非常に貢献しています.
さて彼女の全身状態はとりあえず落ち着いていましたが,超高齢である上,意識はまだ回復せず,瞳孔が少しずつ散大傾向にあるのが気がかりでした.ただでさえリスクの高いこの手術は年齢的にも極めて危険な上,何よりも意識が回復しなければ無意味でした.
次々と訪れるご家族や親戚には,非常に厳しい状態と説明して納得していただきましたが,最後にかけつけたのはまだ20歳台とおぼしき3人の女のお孫さんたちでした.彼女たちは患者さんをよほど慕っていたのでしょう,突然のことに非常に動転しており,涙声で必死に「おばあちゃん,おばあちゃん!」と呼び続けていました.私は彼女たちにも同様の説明をしました.
すると彼女たちが私に言うのです.「先生,それなら意識が戻れば手術をしてくださるんですか?」
「それが第一条件です.でもそれで手術をしても助かる可能性は10%ぐらいだと思いますよ」
「わかりました.でもおばあちゃんにはもっともっと長生きしてほしいんです!!」
そしてその後30分ほども「おばあちゃん,おばあちゃん!」は続きましたが,無情にも彼女たちの願いは届かず,ほどなくして死亡宣告となりました.
確かに3人のお孫さんたちには愛する祖母の死は突然の訃報であり,本当にお気の毒でした.まだ若い彼女たちには受け入れがたいことであったとも思います.しかし敢えて批判を恐れず私見を述べさせていただければ,患者さんは93歳という年齢までも長生きされ,それほど苦しまずにあっという間にお亡くなりになった,それはそれで大往生だったのではないか?と思うのです.
一昔前ならば,高度な医療機器もなく,それほど苦しむ間もなく亡くなってしまうことがほとんどで,それはそれで大往生だったでしょう.しかし昨今の医学の進歩はそうはさせてくれなくなりました. PCPSも多くの命を救える画期的な装置ですが,心臓は助かっても結局植物状態になるようなケースも数え切れないほどあるのも事実です.
PCPSを装着することについては,1%でも救命の可能性があればそれを使用することに批判をさしはさむ余地はないのは確かです.しかしたとえそうではあっても,それは結局自然の摂理に逆らっているだけなのではないか,医療を受ける権利は誰にも平等であるとはいえ,はたして90歳近くにもなった人にそれを使う意味があるのか?たとえ100歳でも?…私はそんな疑問を抱いてしまうことも多々ありました.
みな本当はPPKの人生を送りたいと切に願っている,老衰といわずとも心筋梗塞か何かで「じいちゃん,朝起きたら冷たくなっていた」といううような最期を望んでいる,にも拘わらず実際にはその意思が反映されず,挙句の果てにはNNKになってしまうことも多いのではないか?そんな印象を受けます.
私は,森重久弥さんのような理想の終焉を迎えることが,現代の社会においては実はいかに困難なことか,ということをこの頃いつも感じています.
針のくれた宝物
クリニックでは月に数件の下肢静脈瘤の日帰り手術を行っています.この手術は神戸労災病院時代に数百件も経験してテクニックを習得したおかげで,開業してから当院の「売り」となっており,HPを見てはるばる遠方から来て下さる患者さんも多くいます.先日はなんとわざわざ徳島から男の患者さんが手術を受けに来られました.私と同年代のその患者さんは,私との出会いを,「不思議な強い縁が私をここへ呼んだようです」と言われ,私にもとても励みになる言葉でした.
医師になって四半世紀,私は数え切れないほど多くの患者さんと接してきましたが,その中でも特に忘れられない患者さんも数多くいます.
その患者さんは,私がある病院に勤務していた時に極めて重症の心臓病で入院されました.手術自体も大変危険でしたが,ご本人とご家族の強い希望で決行しました.幸い手術は無事終了し,術後経過も非常に良好で,病棟内歩行をされるまでに回復していました.ところがある日,術後定期的に撮影していた胸部レントゲン写真の1枚を見た私は仰天しました.なんと心臓の右側に小さな縫合針が写っていたのです.手術直後ははっきりと写ってはいませんでしたが,術後心臓周囲の欝血が引いてくることにより,徐々に明瞭になってきたものと思われました.これはもちろん完全に,手術創を閉鎖した私のミスでした.非常に小さな針でしたので,放置してもまず問題はないと思われましたが,患者さんに話をしないわけにはいけませんし,その上で可能ならば摘出手術をする方がよいと思われました.しかしそれよりも心配だったのは,このミスに対する患者さんやご家族の心情,そして私の責任問題でした.私は当時の上司にも相談し,患者さんとご家族を前に,緊張した面持ちで洗いざらい正直に話をして謝罪しました.その時は,もうどのような制裁を受けても致し方ないという気持ちでした.
しかし謝罪しながら頭を下げた私に向かって発した患者さんや奥様の言葉は,意外なものでした.
「先生,先生は私の命を助けてくださいました.お医者さんだって人間ですよ,間違うことだってあります.私たちは先生に感謝しこそすれ,こんなことで恨んだり怒ったりするわけはありません.どうぞご心配なさらず,頭をお上げください.」
その言葉を聞いた私が,彼等の心の寛大さ,暖かさに強く心打たれ,万感胸に迫る思いだったのは言うまでもありません.特に当時はいわゆるモンスターペイシャントたちに悩まされ,懸命に仕事をしても裏切られることが多々あったせいで私は心身共に疲弊しきっていましたので,なおさらでした.
自分の部屋に帰った私は,溢れる涙を抑えることはできませんでした.責任問題にならなかったというようなちんけな安堵感では勿論なく,彼等の暖かい情に対する心からの感謝の気持ちが自然とそうさせたのでした.
その後,針の摘出手術は無事終了し,しばらくして患者さんは無事退院して行かれました.その患者さんやご家族とは今でも交流があります.
私はこの出来事を思い出すといつも心が和み,時には涙腺が緩みます.昨今何かにつけて自分の権利ばかりを主張する人間,隙あらば他人のあら探しばかりする人間の多い中,これほど寛大で情深い心の人々に巡り合えたことは,私の一生の宝といっても過言ではありません.私はこの患者さんやご家族が末永く幸せであることを心から願わざるを得ません.
人生への応援歌
今年もとうとう残すところあと2カ月となりました.国内では新型インフルエンザが猛威をふるっており,総患者数は100万人を超えました.医療従事者である私やスタッフは先月末にやっと接種を受けられましたが,重症疾患を抱えた人々への接種は11月から始まると決定されたにも拘わらず,いまだにワクチンの入荷日や供給量がはっきりしない上,1回接種か2回接種かさえ決まっていません.患者さんたちも不安がっており,当方も大変困惑しています.いつもながらのお上の対応の遅さと,この国の危機管理レベルの低さにはあきれてしまいます.
先日,山崎豊子の有名な長編小説が原作となった「沈まぬ太陽」という映画をみました.ベテラン俳優陣が世界中を舞台にしてロケを敢行したこの大作は,上映時間も3時間半にも及び,途中で10分の休憩まで挟まれていました.今世間を騒がせている日本航空(映画では「国民航空」と呼ばれていましたが)の実話を脚色したとのことです.
渡辺謙扮するこの航空会社の一社員である主人公が,巨大組織のどろどろした人間模様と過酷な運命に翻弄されながらも,自分の信念を曲げぬがためにあえて厳しい試練の道を歩んでいくという,壮絶なまでの生き様を描いたこの映画は,本当に見ごたえを感じました.
ところでなぜ日本人は時代劇が好きなのでしょうか?水戸黄門にしろ遠山の金さんにしろ,結末は必ずお決まりのワンパターンなのに,なぜか引き込まれてみてしまう.助さん角さんが見せた印籠に悪代官たちが「ははーっ」とひれ伏した時,そして二の腕に彫られたあの桜吹雪の入れ墨を見せられた悪党たちが仰天する時,視聴者たちはえもいえぬ快感に浸り,一日の疲れも吹っ飛ぶほど満ち足りた気分になれるのです.
日本人はもともと仁義礼智忠信孝悌という言葉に形容される精神性を持ちあわせた民族です.だから正しいこと,正義であることこそ報われてほしい,しかし現実はそうはいかず,無力な個人ではどうにもならないこともある…そんな欲求不満を,時代劇の見事なまでに単純化された勧善懲悪の場面が,すっきりと晴らしてくれるのでしょう.
まじめに組織のためを思って働いた人間がなぜこれほど理不尽なまでの悲惨な目に逢わなければならないのか,未曾有の不景気でリストラや派遣切りが横行している昨今だけに,この映画を見た人たちは,ちっぽけな一人ひとりの人間にはどうしようもない会社という大きな組織に対して怒りと無力感とを覚えたに違いありません.それでも映画がラストに近づく頃ついに巨悪にメスが及んだ時,時代劇ではありませんが,少しは心の安堵を味わったのは私だけではないでしょう.誰かがこの映画を評して,人生への「応援歌」と書いてありましたが,言い得て妙でした.
結局映画の主人公は,会社という組織ににいることに嫌気がさし,かつての左遷先であったアフリカの大地に自ら戻っていくところで映画が終わるのですが,人生とは何か,信念を突き通すとはどういうことなのか…,何か考えさせられるものがありました.
この世の中,ややもすると時代の波に乗った者,上司や周囲にこびへつらう者,要領のいい者ばかりが成功し,正直者がばかを見ることがあまりにも多いと感じざるを得ません.所詮世の中とはそういうものだと言われればそれまでですが,そうはいっても,やはり努力した者,正直な者こそが最後には報われるような世の中であってほしいと思うのは私だけではないでしょう.
癒しの時代へ
先日の休みの日には久しぶりに行きつけの理容室にいきました.以前のブログにも書いたとおり,大変お人柄の良いご夫婦が何人かのスタッフを遣って美容室と理容室を同じフロアでやっておられますが,ここ1ヶ月ほど休業にして大改装をするのでぜひ楽しみにしておいてほしいとのことでした.
今までもとても垢ぬけたお洒落な雰囲気でしたが,今回は理容室と美容室を一体にして内装にもchicな雰囲気を加え,椅子もタカラベルモント製の飛行機のファーストクラス並みのものに代えられていました.さらに驚いたのは,「ヘッドスパ」を始めたとのこと,初回割引もあり私も試させてもらいました.専用スペースの内部は間接照明の薄暗い部屋で,relaxation musicが心地よく身体を包み,座り心地のよいイスに座ったあとは,女性スタッフによる頭のスキンマッサージ,トリートメントなど,なされるがままで,あまりの気持ちよさにいつの間にかうとうとしてしまいました.ここしばらく種々の雑事で本当に多忙だっただけに,短時間ではありましたが心からくつろげました.何か病みつきになってしまいそうです.
昨今,やたらと「癒し」とか「リラクゼーション」とかという言葉が流行っています.
マッサージ,アロマセラピー,ハーブ,岩盤浴,エステ…と,健康産業の隆盛と相まって次から次へといろいろな種類のものが現れ,「癒し産業」とまで言われています.
いつの時代でも疲労困憊したり心身衰弱したりすることはあったはず,それでも高度成長期であった十数年前まではそんな言葉はあまり聞いたことがありませんでした.おそらく誰もが前へ前へと突き進み,疲れを感じるような余裕も必要もなかったからかもしれません.
それに戦後60年も経ち,ローマ帝国が平和を満喫していた時代「パックスロマーナ」に文字って「パックスジャポニカ」とでもいいましょうか,多くの社会問題をかかえているものの今の日本はとりあえず平和です.戦中戦後の激動の時代を生き抜かれた方々にすれば,「なにが癒しや,わしらの時代は今日食うおマンマもなく,明日をも知れぬ命やったんやで!」と叱られそうです.
しかし時代は移り,日本もいろいろな意味で過渡期あるいは停滞期とでもいう時代に入ってから,がむしゃらに進むのを止めた人々がふと自分たちの姿を振り返ると,堰を切ったように出てきた様々な社会の歪みによって,心身ともに押しつぶされそうになっている自分たちの姿をそこに見ることになったのかもしれません.
たとえ見かけは平和で経済的にもそこそこ豊かではあっても,人々は自分たちの日々の生活や国の行く末に漠然とした不安を抱き,何か心のよりどころを失っていまい,心身ともに疲れてしまっている…うつ病患者や自殺者の激増はまさにその証拠でしょう..
結局,癒し産業は,まさに現代日本に必要不可欠なものとして現れるべくして現れたのに違いありません.言い換えれば,こんな商売にお金をつぎ込まなくてもいつも心身ともに安らかであることができれば,それが一番理想的だと思います.
でも,若い女の子ならともかく,なんかエエ年こいたおっさんが「癒されたいです…」なんて言うのを聞くと,ちょっと引いてしまいますけどネ(笑).
理想の境地
10月も半ば,すっかり秋本番となりました.はやいものでクリニックももうすぐ開業後1年半ですが,新型インフルエンザをめぐるゴタゴタや,スタッフの一部の入退職のため,なんだかんだと大変です.
先日オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞しました.就任後まだ9か月で具体的な成果をまだ出していない時点での受賞に,本人はもちろん周囲も驚いているようです.平和賞の基準にはあいまいな要素もあると訊きますが,前政権の一国独裁主義から勇気ある脱却をし,核兵器の廃絶や環境問題への積極的な取り組みに対して,今後への期待も込めて与えたとのことです.しかしこの受賞に対しては賞賛の声と同時に,特に共和党サイドから,受賞を辞退するべきだとか,まだ成果も出していないのに受賞の権利はないといった批判の声も多いようです.
私には彼が本当に受賞に値するかどうかは判断できません.しかし結局周囲の批判の声というのは,自分にはなし得ないことに対するねたみやそねみ(jealousy)以外の何物でもないと思います.彼が受賞したことに対して誰も迷惑を被ったわけではありません.素直に喜んであげればいいのに,と思うのは浅はかでしょうか?
古今東西,人間社会においてねたみやそねみは不可避なものである,大げさに言えば,人類の歴史の変遷は,残念ながら多くの場合こういった単純な感情がきっかけになってきたといっても過言ではありません.
さてクリニックには,80歳を超えた高齢者の方も多く訪れます.私は彼等と話をしていると,見事なまでに無駄なものがそぎ落とされ,すべてを達観した,泰然自若とした姿に,むしろこちらが癒されることがあります.
ある高齢の男性は,縁あって私が心臓の手術をさせていただき,今も月1回きちんと通院されています.診察室に入ると私ににこやかに挨拶されて,サッと上半身裸になり,お願いしますとまたお辞儀をして椅子に座られます.口癖のように「先生のお陰で元気になりました.今はこうして元気に暮らせているだけで感謝しています」とおっしゃり,聴診ひとつ,検査ひとつ,説明ひとつにも笑顔で感謝の言葉を出され,帰り際には「ありがとうございました」と,深々と頭を下げて出て行かれます.たったそれだけのことなのですが,医師とはいえ,自分の息子より若い私のような若輩者に対するこの姿勢に,私の方が頭が下がってしまいます.
人間,ねたみやそねみのような感情がなくなるためには,老境に達するしかないのでしょうか?しかし年をとっても争い事や人間性を疑うようなことが好きな人々も多いのを見ていると,それだけでもなさそうです.
私も今まで様々なねたみやそねみを受けましたし,他人に対してそれを抱いたことも多々あります.また,クリニックを開業して人を使う立場になると,なおさらです.こういった感情からいっさい解き放たれ,泰然自若として自分のなすべきことだけを粛々とこなし,どんなことにでも感謝できような心境になれば,どれだけ気持ちが楽でしょうか?
そういった境地に達するにはまだまだ修行が足りませんが,少しでも近づきたいと思うこの頃です.







