人生の選択 

 先日の土曜日,母校である岐阜大学医学部の,毎年恒例の関西同期会が行われました.今年も西宮の某病院で内科医として活躍しているA先生の音頭のもと,私を含めて関西在住の同期7人ほどが集まり,尼崎にあるてっちり料理の店で,楽しいひとときを過ごしました.
 月日の経つのは早く我々も既に卒後35年,普通のサラリーマンであればもう定年間近ですが,皆元気に医療の第一線で活躍しており,大変刺激を受けました.

 思えば私が,それまで縁もゆかりもなかった岐阜の地に6年間も住むことになったのは,全くの運命のいたずらでした.

 当時の国立大学の入試は,大学によって試験の時期が一期校(前期),二期校(後期)に分かれていました.
一期校には,東大,京大,阪大といった旧帝国大学系の大学が軒を並べ,後期には,主に岐阜大学,信州大学,愛媛大学といった地方大学が含まれていました.
 今となっては言い訳にしかなりませんが,当時私が受けた地元の一期校の医学部は,高校の合格判定でもAに○が2つもつくくらいで,落ちるはずはないと思っていました.岐阜大学には申し訳ないのですが,とりあえず関西に近い二期校として滑り止めに志願しただけで,どんな大学かも知らず行く気などさらさらありませんでした.

 しかしここが人生の面白いところ,一点のミスが命取りになる狭き門,よもやの些細なミスで見事にふられてしまい,二期校であった岐阜大学医学部の入試を受ける運びになったのです.
 初めて訪れた岐阜の地,ホテルでは他の受験生たち3人と相部屋でしたが,うち2人は二浪,三浪とまさに強者ぞろいで,ベテランのオーラに圧倒されそうでした.
 京大や東大を落ちたような受験生も多い上,競争率は23倍というとんでもない高さで偏差値もむしろ一期校より高く(ちなみに今年は100倍だそうです!),とても受かる自信などあろうはずもなく,既に浪人 覚悟でした.

 ところがここがまた人生の面白いところで,火事場の馬鹿力とでも言いましょうか,合格してしまったのです.
すでに予備校の入学試験にも合格し,一浪してリベンジするつもりでいましたが,同じ医師になるならどこの大学でも同じであるし一年でも早く医師になりたいと考え直し,岐阜の地で大学生活を送ることを決心したのです.

 その後の生活は今までブログで書いてきたとおりです.中京圏の学生が多いのはもちろんですが,それでも当時は関西を中心に全国から集まってきた色々な仲間に刺激を受けて,楽しく充実した学生生活でした.
 もしも一期校に合格していたら,高校の続きのような感じで相変わらず親元から規則正しく通学していたでしょうから,岐阜へ行くことは早く独立しなさいという神様からのメッセージだったのでしょうし,私にとって人生最初の大きな決断ではありましたが,今となっては本当によかったと思います.

 その後も,卒後7年で米国に留学して世界中の人たちと出会ったこと,帰国後は前の医局に嫌味を言われながらも思い切って東京女子医大に移籍し最先端の心臓血管外科の世界に浸ったこと,そして50歳を前に意を決して開業したことと,すべて背水の陣で決断選択し,大変な苦労も重ねましたが,全ての経験,全ての出会いが,私の血となり肉となっていると感じます.

 もちろんこれらの選択が自分の人生にとって最善だったかどうかなど,パラレルワールドのようにもう一人の自分がいるわけではありませんから今となっては分かりません.
 けれども,私はその都度自分が正しいと思った選択を思い切ってできた,そして一度選択したからには死に物狂いで頑張れた,という意味においては,間違っていなかったと思います.

 そして何よりも,こうした「我儘な」選択を辛抱強く?支えてくれた父母や弟,かみさん,娘たち,その他数え切れないほど多くの人々に,今となっては心から感謝するばかりです.

 多くの人たちがかつての私のように新しい船出を迎えるこのシーズン,今後どんな人生が待っているかはわからないでしょうし,重大な選択を迫られる機会も多々あるに違いありません.
 でも,先のわからない人生ではあっても,一日一日を大切に,懸命に生きること,これが悔いなき人生を送れたと後になって思えるキーワードであることは間違いありません.


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いつまでも美酒を 

  遥か古代,人類の文明の発祥とともに生まれ育まれてきたきたお酒は,単なる飲み物という存在を超えて,今や私たち人間の文化に欠かせないものとなっています.

 過度の飲酒により健康を害したり飲酒運転で人の命を殺めてしまうなどはもってのほかですが,適度な飲酒は健康に利することも知られており,また何よりも人間社会における何者にも代え難いコミュニケーションツールでもあります.

 わたしはゴルフもギャンブルもしませんしタバコも嗜みませんが,お酒を飲むことは好きで,それが随分と社交にも役立ってきました.

  最近の若い人たちは冷めているのかお行儀がよくなったのか,あまり無茶をしなくなったようですが,ネットもスマホもなかった私の学生時代は,何かにかこつけては悪友や先輩後輩たちと集まっては呑んだくれること数知れず,朝まで飲んで一升瓶を開けてしまうことなどザラでした.
  私のいた医学部は,当時岐阜市内最大の繁華街であった柳ヶ瀬(美川憲一の柳ケ瀬ブルースで有名です.古〜っと言われそうですが(笑))のすぐ北にあったので,よく皆で繰り出したものです.貧乏学生ですから安い居酒屋くらいしか行けませんでしたが,それでも本当に楽しい,そしてちょっぴりほろ苦い思い出となっています.

 医師になってからも,病棟,医局,オペ室,外来など各部署の飲み会がなんだかんだとあり,いつも楽しませてもらいましたが,自宅での晩酌はあまりしませんでした.特に心臓血管外科に転向してからは,翌日の長時間のオペのことや,夜間に緊急で呼び出される可能性が高いことを考えると,あまりそんな気にはなれませんでした.

  しかし開業して勤務医時代の激務から解放され,夜間の呼び出しもほとんどなくなってからは体力的に随分楽になり,少しずつ家呑みもできるようになりました.

  また,若い頃はとにかく肝臓の力に任せて量さえ飲めれば満足でした.
  でもさすがに50歳も過ぎると,深酒すると翌日に残るようになりましたし,何よりも飲むことの「質」にもこだわるようになり,生来の好奇心も頭をもたげて,お酒について色々と勉強するするようになりました.

  あいにく私は自他共に認める味覚音痴ですが,その点かみさんは鋭い味覚の持ち主で,娘たちは幸運にもそれを受け継いでいます.特に次女などは,炊いた米や味噌汁の味噌が少し変わっただけでもすぐに指摘するので,脱帽ものです.

  しかし,舌では叶わずとも,知識は勉強すればするほど自分のものになりますし,得意げにウンチクを垂れることも出来るのが楽しく(笑),ワインや日本酒をじっくり嗜む心の余裕ができてからは,新しい銘柄に出逢うたびにラベルをみてネットや本で調べたりするようになりました.
  特にワインは,産地 ,生産者,ブドウの品種,ビンテージ,それにまつわる物語など奥が深くて面白く,解説本もいつの間にか何冊にもなり,飲むたびにお世話になっています.
 もちろんソムリエのように気の利いた味の表現など出来ようはずもなく,サッパリとして飲みやすいとか,フルボディでしっかりしているとか大雑把なことしか言えませんが,難しいことはわからなくても,美味いものは美味いでえぇやないかと開きなおり,プロの書いた品評を読んで,その通りなやあなんて納得しているのです.

 日本酒もまた然りで,美味しい和食の味を引き立ててくれるような,これまた飛び切り美味しい地酒に出合えば,日本人でよかった,お酒の飲めない人には申し訳ないのですが,下戸でなくてよかった,なんて心から感動してしまいます.

  患者さんたちの中には飲み過ぎて肝機能や尿酸や中性脂肪の検査値が悪くなってしまっている方も多々おられ,そんな時は医師としては一時的な禁酒や節酒を指示せざるを得ません.
  けれども,仕事がらお酒の素晴らしさも怖さも知っている身としては,この先いつまでも大好きなお酒を美味しく楽しく飲めるためにこそ,適量を守って,頑張ってくれている肝臓をいたわりましょう,とお話ししています.

  これからも,豊かな時間を与えてくれる良き相棒として,楽しくお酒を嗜みたいと思っています.


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年頭の祈り 

  新しい年が明けました.

  この正月は,昨夏にハワイで結婚式を挙げた長女夫婦が結婚後初めて2人で来訪してくれました.また,MBA(経営学修士)の資格を取るために1年少し前からパリに留学している次女の夫も一時帰国して合流,6人が揃い楽しいひと時を持てました.
  義理の息子となった2人の青年は,タイプこそ異なりますが共に明朗闊達,頭脳明晰で人柄も申し分なく,話しをしていても実に気持ちがいいし,こちらも勉強になります.娘ふたりとも本当に良い伴侶に恵まれたものだと思います.

  夏休みや年末年始と言えば,幼少時は父母の故郷である姫路にあった祖父母の広い家に行って泊まるのが恒例で,叔父叔母や従兄弟たちに会うのがとても楽しみでした.東京の狭い社宅に帰る日が近づくと,とてつもない寂しさを感じたものです.

  結婚して子供が出来てからは,今度は私たち夫婦が娘たちを連れて明石の父母や川西の義父母の家を訪れるのが恒例となりました.父母たちも小さな孫達をよく可愛がってくれましたし,米国に住んでいる時は,両家とも日本からはるばる訪れてくれました.

  そして今,いよいよ自分たちがあの頃の親の年齢になり,結婚した子供たちに訪問される側になったことを考えると,これまでの月日の流れに想いを馳せて本当に感慨もひとしおです.

  今はまだそこそこ元気な父母も義父母も,そう遠くない将来,鬼籍に入るでしょうし,私たち夫婦にも孫が出来ているかもしれません.

  テレビ番組の「ファミリーヒストリー」ではありませんが,私たち人間もこの世の生きとし生けるものの一員として,こうして命を紡いでいくのだということを実感させられます.

  今,世界情勢はますます混沌としてテロや内戦が頻発し,なんの罪もない数多くの一般庶民が一瞬にして命を奪われ続けています.この人たちにも掛け替えのない家族や恋人や友人たちがいて,肩寄せ合ってささやかに生活していたでしょう.
 しかしそれがあまりにも理不尽な理由で無惨にも奪い去られてしまっている現状を思うと,怒りと悲しみで本当に胸が張り裂けそうになります.

  こんな時代だからこそ,家族の誰もが元気で新年を迎えられたことを本当にありがたいと思いますし,この小さな幸せがいつまでも続くように祈るばかりです.

  今年こそは,世界の人々にとって少しでも平和な1年でありますように.


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年の瀬の迎えて 

 今年も残すところあとわずかとなりました.
 毎年ながら,この時期クリニックは多くの患者さんの年末の駆け込み状態で大忙しですが,ありがたいことだと思います.

 先日の日曜日は,姪が在籍する京都芸術大学音楽学部の定期演奏会が京都コンサートホールでありました.
 今回の曲目は,尾高忠明氏の指揮のもと、フォーレのレクイエムとショスタコーヴィチの交響曲「革命」でした.
 モーツァルト,ヴェルディと並んで三大レクイエムと言われるフォーレのレクイエムは,私も大学合唱団時代に一部を歌ったことがありますが,魂を揺さぶられるような美しい曲です.ショスタコーヴィチは,有名なサビの部分は知っていましたが,全曲ナマで聴いたのは初めてでした.

 これから国内外で活躍しようとしている若い人たちの,若々しいエネルギーと未来への希望に満ちた演奏は,ウイーンフィルのような超一流のプロのオーケストラの演奏とはまた違う格別の味わいがあり,大変感銘を受けました.

 いよいよ来春卒業となる姪も,卒後はプロのコントラバス奏者を目指して国内外で頑張るとのこと,おおかど家初のプロの音楽家の誕生を心から楽しみに応援したいと思っています.

 音楽の世界のみならず,スポーツでも芸術でも科学でも,若い力が育たなければ国は衰退の一途を辿るでしょう.国内外に難題山積の我が国ではありますが,この国の将来を担う若い人たちこそが夢を持つことができる社会、努力が報われるような社会になって欲しいと常々思います.

 話変わって,今年もNHKの大河ドラマが感動のうちに最終回を終えました.
 大河ドラマについては,視聴率云々を含め毎回評価が分かれますが,多少の脚色はあるにせよ,歴史上の1人の人間にスポットをあて,その激動の人生を一年を通して丁寧に,かつ贅沢に描く手法はNHKだからこそ可能なわけであり,大河ドラマのファンとしては,今後とも是非続けて欲しいと思います.

 今年の「真田丸」は三谷幸喜さんの脚本の魅力に加えて堺雅人さんたち俳優陣の好演も手伝って,大変見応えのあるものとなりました.

 歴史の無情な流れに翻弄されながらも,波乱万丈の人生を力強く生きていく主人公とそれに関わる多くの人々の生き様は,それが決してハッピーエンドに終わるわけではない史実であるからこそ,そのリアリティーの中に感情移入してしまうのかもしれません.

 開業前まだ四十台だった私もあと2年足らずで還暦という年齢となり,月日の流れの速さをますます実感しています.
 つい惰性に流れがちになる毎日を,演奏会で出会った若い人たちのように心身ともに若々しく,そして真田幸村のように力強い志を持って一生懸命に生き,あとで振り返って悔いのないような人生を送れたら本望だと思います.

 さて,来年はどんな年になるでしょうか.


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素晴らしきサプライズ 

 今年もあと1カ月少し,先日は私が理事を務める神戸市中央区医師会の総会と少し早めの忘年会があり,地元の他の先生方や医療関係の人々と交流を含めてきました.
 これから私にとっては,毎年ながら目が回るほど忙しくもかけがえのない楽しい季節となります.

  さて先日,午前の診療が始まったばかりの頃,予想外の来客がありました.
 
 その男性は,かれこれ15年以上も前,私が仙台循環器病センターにいたころ,主治医として担当していたYさんでした.
 平成13年の2月,東北地方は神戸では想像できないくらいの寒い季節ですが,そんなある日の早朝,突然の激しい胸痛で近隣の医療機関から救急搬送されてきたのがYさんでした.
 はたして胸部CTや心臓エコー検査から下された診断は,急性大動脈解離でした.心臓直上の上行大動脈の内壁が大きく裂けているスタンフォードA型というタイプである上,心臓の出口である大動脈弁に病変が及んで急性の大動脈弁逆流をきたして重篤な心不全となっており,救命するには一刻も早い緊急オペが必要でした.
 すぐに関係スタッフ全員が集合,私の上司であったS部長が執刀,私が第一助手を務め,上行大動脈と大動脈弁を同時に置換するベントール手術を行いました.
 オペは成功,一命を取り留めた患者さんは,その若さも手伝ってその後順調に回復されて退院,その後私が外来で定期的に診ていました.

 約2年ほどして私が同センターを辞して神戸に戻ったあとは,Yさんの診察は他の医師が引き継ぎましたが,Yさんはその後も私のことを気にかけてくださっていたとのことでした.

 今回は奥様と四国に旅行に来られたとのことですが,帰路直前に神戸に寄る事情ができ,それならば,またとない機会なので!ということで思い切って私を訪れてくださったそうです.
 あれから16年,私と同い年くらいのYさんは,今は岩手県一関に住まれ,地元の医師に引き続き診てもらっているとのこと,血色もよく,とてもお元気そうでした.

 積もる話は尽きないものの,すでに患者さんがどんどん来院しており,名残を惜しみつつ,私とのツーショット写真を土産に岩手に帰って行かれました.

 自分が担当した患者さんがそのことをずっと忘れず心に留めて,こうしてわざわざ訪ねてきてくださるということ,これほど医者冥利につきることはありません.
 医師にとって一人一人の患者さんはone of themですが,患者さんにとって医師は自分の人生を大きく左右するonly oneとなり得るということでしょう.

 今回のYさんのご訪問は,日常の業務に忙殺されてつい惰性に流れがちな日々にとても素敵なサプライズとなりましたし,また,患者さん一人一人に真摯に向き合わなければならないという当たり前の心構えを再確認させてくれる,よい機会となりました.

 Yさんへ,ますますのご健勝,ご活躍を,遠い神戸よりお祈りしております.


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