人生への応援歌

 今年もとうとう残すところあと2カ月となりました.国内では新型インフルエンザが猛威をふるっており,総患者数は100万人を超えました.医療従事者である私やスタッフは先月末にやっと接種を受けられましたが,重症疾患を抱えた人々への接種は11月から始まると決定されたにも拘わらず,いまだにワクチンの入荷日や供給量がはっきりしない上,1回接種か2回接種かさえ決まっていません.患者さんたちも不安がっており,当方も大変困惑しています.いつもながらのお上の対応の遅さと,この国の危機管理レベルの低さにはあきれてしまいます.
 
 先日,山崎豊子の有名な長編小説が原作となった「沈まぬ太陽」という映画をみました.ベテラン俳優陣が世界中を舞台にしてロケを敢行したこの大作は,上映時間も3時間半にも及び,途中で10分の休憩まで挟まれていました.今世間を騒がせている日本航空(映画では「国民航空」と呼ばれていましたが)の実話を脚色したとのことです.
 渡辺謙扮するこの航空会社の一社員である主人公が,巨大組織のどろどろした人間模様と過酷な運命に翻弄されながらも,自分の信念を曲げぬがためにあえて厳しい試練の道を歩んでいくという,壮絶なまでの生き様を描いたこの映画は,本当に見ごたえを感じました.
 
ところでなぜ日本人は時代劇が好きなのでしょうか?水戸黄門にしろ遠山の金さんにしろ,結末は必ずお決まりのワンパターンなのに,なぜか引き込まれてみてしまう.助さん角さんが見せた印籠に悪代官たちが「ははーっ」とひれ伏した時,そして二の腕に彫られたあの桜吹雪の入れ墨を見せられた悪党たちが仰天する時,視聴者たちはえもいえぬ快感に浸り,一日の疲れも吹っ飛ぶほど満ち足りた気分になれるのです.
 日本人はもともと仁義礼智忠信孝悌という言葉に形容される精神性を持ちあわせた民族です.だから正しいこと,正義であることこそ報われてほしい,しかし現実はそうはいかず,無力な個人ではどうにもならないこともある…そんな欲求不満を,時代劇の見事なまでに単純化された勧善懲悪の場面が,すっきりと晴らしてくれるのでしょう.
 
 まじめに組織のためを思って働いた人間がなぜこれほど理不尽なまでの悲惨な目に逢わなければならないのか,未曾有の不景気でリストラや派遣切りが横行している昨今だけに,この映画を見た人たちは,ちっぽけな一人ひとりの人間にはどうしようもない会社という大きな組織に対して怒りと無力感とを覚えたに違いありません.それでも映画がラストに近づく頃ついに巨悪にメスが及んだ時,時代劇ではありませんが,少しは心の安堵を味わったのは私だけではないでしょう.誰かがこの映画を評して,人生への「応援歌」と書いてありましたが,言い得て妙でした.
 結局映画の主人公は,会社という組織ににいることに嫌気がさし,かつての左遷先であったアフリカの大地に自ら戻っていくところで映画が終わるのですが,人生とは何か,信念を突き通すとはどういうことなのか…,何か考えさせられるものがありました.
 この世の中,ややもすると時代の波に乗った者,上司や周囲にこびへつらう者,要領のいい者ばかりが成功し,正直者がばかを見ることがあまりにも多いと感じざるを得ません.所詮世の中とはそういうものだと言われればそれまでですが,そうはいっても,やはり努力した者,正直な者こそが最後には報われるような世の中であってほしいと思うのは私だけではないでしょう.

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癒しの時代へ

 先日の休みの日には久しぶりに行きつけの理容室にいきました.以前のブログにも書いたとおり,大変お人柄の良いご夫婦が何人かのスタッフを遣って美容室と理容室を同じフロアでやっておられますが,ここ1ヶ月ほど休業にして大改装をするのでぜひ楽しみにしておいてほしいとのことでした.
 今までもとても垢ぬけたお洒落な雰囲気でしたが,今回は理容室と美容室を一体にして内装にもchicな雰囲気を加え,椅子もタカラベルモント製の飛行機のファーストクラス並みのものに代えられていました.さらに驚いたのは,「ヘッドスパ」を始めたとのこと,初回割引もあり私も試させてもらいました.専用スペースの内部は間接照明の薄暗い部屋で,relaxation musicが心地よく身体を包み,座り心地のよいイスに座ったあとは,女性スタッフによる頭のスキンマッサージ,トリートメントなど,なされるがままで,あまりの気持ちよさにいつの間にかうとうとしてしまいました.ここしばらく種々の雑事で本当に多忙だっただけに,短時間ではありましたが心からくつろげました.何か病みつきになってしまいそうです.
 昨今,やたらと「癒し」とか「リラクゼーション」とかという言葉が流行っています.
マッサージ,アロマセラピー,ハーブ,岩盤浴,エステ…と,健康産業の隆盛と相まって次から次へといろいろな種類のものが現れ,「癒し産業」とまで言われています.
 いつの時代でも疲労困憊したり心身衰弱したりすることはあったはず,それでも高度成長期であった十数年前まではそんな言葉はあまり聞いたことがありませんでした.おそらく誰もが前へ前へと突き進み,疲れを感じるような余裕も必要もなかったからかもしれません.
 それに戦後60年も経ち,ローマ帝国が平和を満喫していた時代「パックスロマーナ」に文字って「パックスジャポニカ」とでもいいましょうか,多くの社会問題をかかえているものの今の日本はとりあえず平和です.戦中戦後の激動の時代を生き抜かれた方々にすれば,「なにが癒しや,わしらの時代は今日食うおマンマもなく,明日をも知れぬ命やったんやで!」と叱られそうです.
 しかし時代は移り,日本もいろいろな意味で過渡期あるいは停滞期とでもいう時代に入ってから,がむしゃらに進むのを止めた人々がふと自分たちの姿を振り返ると,堰を切ったように出てきた様々な社会の歪みによって,心身ともに押しつぶされそうになっている自分たちの姿をそこに見ることになったのかもしれません.
 たとえ見かけは平和で経済的にもそこそこ豊かではあっても,人々は自分たちの日々の生活や国の行く末に漠然とした不安を抱き,何か心のよりどころを失っていまい,心身ともに疲れてしまっている…うつ病患者や自殺者の激増はまさにその証拠でしょう..
 結局,癒し産業は,まさに現代日本に必要不可欠なものとして現れるべくして現れたのに違いありません.言い換えれば,こんな商売にお金をつぎ込まなくてもいつも心身ともに安らかであることができれば,それが一番理想的だと思います.
 でも,若い女の子ならともかく,なんかエエ年こいたおっさんが「癒されたいです…」なんて言うのを聞くと,ちょっと引いてしまいますけどネ(笑).

  


理想の境地

 10月も半ば,すっかり秋本番となりました.はやいものでクリニックももうすぐ開業後1年半ですが,新型インフルエンザをめぐるゴタゴタや,スタッフの一部の入退職のため,なんだかんだと大変です.
 先日オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞しました.就任後まだ9か月で具体的な成果をまだ出していない時点での受賞に,本人はもちろん周囲も驚いているようです.平和賞の基準にはあいまいな要素もあると訊きますが,前政権の一国独裁主義から勇気ある脱却をし,核兵器の廃絶や環境問題への積極的な取り組みに対して,今後への期待も込めて与えたとのことです.しかしこの受賞に対しては賞賛の声と同時に,特に共和党サイドから,受賞を辞退するべきだとか,まだ成果も出していないのに受賞の権利はないといった批判の声も多いようです.
 私には彼が本当に受賞に値するかどうかは判断できません.しかし結局周囲の批判の声というのは,自分にはなし得ないことに対するねたみやそねみ(jealousy)以外の何物でもないと思います.彼が受賞したことに対して誰も迷惑を被ったわけではありません.素直に喜んであげればいいのに,と思うのは浅はかでしょうか?
 古今東西,人間社会においてねたみやそねみは不可避なものである,大げさに言えば,人類の歴史の変遷は,残念ながら多くの場合こういった単純な感情がきっかけになってきたといっても過言ではありません.
 さてクリニックには,80歳を超えた高齢者の方も多く訪れます.私は彼等と話をしていると,見事なまでに無駄なものがそぎ落とされ,すべてを達観した,泰然自若とした姿に,むしろこちらが癒されることがあります.
 ある高齢の男性は,縁あって私が心臓の手術をさせていただき,今も月1回きちんと通院されています.診察室に入ると私ににこやかに挨拶されて,サッと上半身裸になり,お願いしますとまたお辞儀をして椅子に座られます.口癖のように「先生のお陰で元気になりました.今はこうして元気に暮らせているだけで感謝しています」とおっしゃり,聴診ひとつ,検査ひとつ,説明ひとつにも笑顔で感謝の言葉を出され,帰り際には「ありがとうございました」と,深々と頭を下げて出て行かれます.たったそれだけのことなのですが,医師とはいえ,自分の息子より若い私のような若輩者に対するこの姿勢に,私の方が頭が下がってしまいます.
 人間,ねたみやそねみのような感情がなくなるためには,老境に達するしかないのでしょうか?しかし年をとっても争い事や人間性を疑うようなことが好きな人々も多いのを見ていると,それだけでもなさそうです.
 私も今まで様々なねたみやそねみを受けましたし,他人に対してそれを抱いたことも多々あります.また,クリニックを開業して人を使う立場になると,なおさらです.こういった感情からいっさい解き放たれ,泰然自若として自分のなすべきことだけを粛々とこなし,どんなことにでも感謝できような心境になれば,どれだけ気持ちが楽でしょうか?
 そういった境地に達するにはまだまだ修行が足りませんが,少しでも近づきたいと思うこの頃です. 
 


暗澹たる気分

 昨日は,IOC総会で2016年オリンピック開催地の最終選考が行われ,結局南米発の開催地としてリオデジャネイロに決定,2度目の開催を目指して立候補していた東京は落選しました.落選の理由は多々あるようですが,その一つが,国民全体の支持がいまひとつだったということのようです.確かにオリンピックは多大なる経済効果をもたらし,国民の意識も高揚するかもしれません.しかしいまひとつ国民の間に気分が盛り上がらないのは,東京ばかりが発展することに対する地方の人のやっかみもあるにせよ,経済も低迷しあらゆる難題の山積している今の日本は,7年も先のオリンピックのことで浮かれている場合ではないという気持ちが正直なところかもしれません.戦後の奇跡的な復興を遂げた日本が国威を発揚する絶好の機会として国民全体が盛り上がっていた前回のオリンピックの時とは状況が全く異なると思います.
 ところで私はこの4月から医師会より介護認定審査員を仰せつかり,月に1−2回,認定審査会に出席して介護保険を申請された方々の介護度の決定を行う仕事をしています.毎回,主治医と調査員が作成した患者さんの報告書を読むのですが,これを見ていると本当に暗澹たる気持ちになります.
 85歳の一人暮らしの老人,胃ガンで胃を全摘したばかりなのに脳梗塞で左上下肢麻痺,おまけに認知症が進行して排泄も自分でできない…とか,88歳の女性,骨粗鬆症による腰椎圧迫骨折と大腿骨頚部骨折で寝たきり,介護者の90歳の夫も腰や膝が悪くしかも認知症が進んでいて,一人息子の家族は遠方でなかなか来訪できない…とか,何かもう,やりきれない気持ちになってしまいます.
 急速な高齢化と核家族化が進んでいるこの日本,独居老人や老々介護は増える一方,頼りになるのはまさに社会の助けだと感じざるを得ません.介護保険制度はこういった窮状を救うために創設された素晴らしい制度だとは思いますが,現場の第一線で働くヘルパーさんたちの労働環境や待遇は劣悪だと言われています.確かに医師や看護師などに比べると専門性は低いものの,実際に彼等の力なしでは介護の現場は成り立ちません.私は彼等の待遇をもっともっと向上させ,一生でも続けられるようにしてあげるべきだと思っています.
 先日ついに政権交代があり,矢継ぎ早に新しい政策を打ち出す民主党に国民全体がこの国の行方を託しています.どんなに若い人,元気な人も最後には必ず医療や介護の世話になる時が来ます.そう考えれば,誰もが老後を安心して迎えられるための施策は,それを支える人々の待遇改善も含めて何を差し置いても早急に実現していただきたいと思います.


一期一会

 9月もいよいよ終わりです.この時期は年度の中間でもあるので,企業は部署の移動や転勤の時期のようです.
 われわれ医師にとって製薬会社や医療器械などの業者さんとの付き合いは,いわば不可避なものです.勤務する先々で多くの人たちと出会い,仕事上の付き合いだけをすることもあれば,仕事を離れて個人的に仲良くなることもありました.私も今までいくつもの医療機関で働き,さまざまな業者さんたちとの出会いがあり,今でも個人的にずっと親しくさせていただいている人もいます.
 今月も何人かの製薬会社のMRさんが,転勤の挨拶に来られました.今日挨拶に訪問された某製薬会社のNさんは,MRになって初めて配属された担当地域が私のクリニックのある中央区だったとのことで,開業以来何かにつけてお世話になりました.若いのに大変素晴らしいお人柄で,医師対業者という利害関係を越えてお付き合いできる方でした.当院に対しても思い入れが強いとのこと,大変残念がっておられました(多少おべんちゃらはあるでしょうが(笑)).
 人生は一期一会とはよく言ったものです.私も今まで50年生きてきて,どれほど多くの人と出会ってきたか,想像すらつきません.
 人と人が出会うというのは,偶然といってしまえばそれまでですが,私はどの出会いにも必ず何らかの意味や必然性があると信じています.全く見も知らぬある人とある人が出会うというのは,口でいえば簡単なことですが,実はとんでもなく確率の低いことではないでしょうか?考えてみれば本当に不思議なことです.
 確かに患者さんとの出会いも,業者さんとの出会いも,その他大勢の人たちとの出会いも,刹那的なものかもしれません.しかしきっと私に意味のある何かを残すために,何か見えない力がそうさせているのだと感じざるを得ないことがしばしばあります.
 クリニックも今秋,開院以来一生懸命に支えてくれたスタッフの一部が旅立つこととなりました.私との一期一会,ここで働いたことが彼女たちにとって人生の良き糧となってくれればそれほど嬉しいことはありません.
 今までも,そしてこれからも続くであろう,全ての出会いを一期一会と思い,大切にしていきたいと思っています.