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令和の幕開けを前に

2019.04.06(22:33)

  4月になり,神戸は桜が満開です.クリニック横の生田川公園は花見の宴で大賑わいですし,自宅近くの神社の境内の夜桜も見 事でした.毎年ながら,見事に咲き誇り,そしてあっという間に散ってゆくさまを見ると,やはり桜ほど見事に日本人の美意識や精神性を表しているものはないと感じさせられます.

  さて先日の午後,医師会の会合の帰りに地下鉄に乗ろうとしたら,幼稚園か保育園の遠足でしょうか,ホームは沢山の小さな子供達で溢れかえっていました.引率する保育士さんたちも大変そうでしたが,カラフルな服装,元気いっぱいの可愛い声に,思わず気持ちが和みました.

  少子高齢化が急激な勢いで進む我が国は,出産や子育ての環境整備に様々な施策が打ち出されてはいますが,いまだ出生率の回復には程遠い状態です.

  しかし,最近の風潮を見るに,国の少子化対策の賛否を問う以前に,残念ながら我々大人たちの側にも大いに恥ずべきこと,猛省すべきことがあるようです.

  たとえば,幼稚園を建設しようとすると,園児の声がうるさいからといった理由で開園を断念せざるを得ないようなケースが増えているとのこと.
  また,小学校の運動会で,子供達にとってかけがえのない楽しい場を盛り上げてくれるはずの音楽がうるさいと近隣の住民からクレームがきたため,全く音楽なしで開催せざるを得なかったり,驚くべきことに,定時のチャイムを鳴らすことさえ遠慮せざるを得なくなった学校まであるとのことです.
   さきごろ,東京港区青山に,区が児童相談所の建設を計画したところ,ブランドイメージが落ちるという信じがたい理由で少なからぬ住民たちから反対運動が起こり,建設が暗礁に乗り上げていると言うニュースもありました.

  これらが本当であれば,まさに異常としか言いようがありません.

  私はこのようにクレームを平気で言える人たちに言いたい,あなた方は生まれた時から物静かな大人だったとでもいうのでしょうか?自分たちとて純粋無垢な子供だったのではないのでしょうか?大人たちに暖かい眼差しで見守られながら育ったからこそ今があるのではないでしょうか?と.

  児童相談所の件など,まさにエゴイズム以外の何者でもありません.あなたたちが守ろうとしているブランドとやらは,そんな冷酷な人間ばかりが住む土地なのですか?むしろそういった恵まれない子供達を迎えてあげる度量こそがブランド価値を上げるのではないのでしょうか?ということです.

  いったいこの国は,どうしてこんなにまで他人に対する寛容さを失ってしまったのか?子供たちの元気な声も聞こえない,活力のない国にしたいのでしょうか?
  トランプ大統領の振る舞いが自国第一主義,自分ファーストなどと批判されていますが,規模こそ違えど彼らの身勝手さとはこれとなんら大差がないではないかとさえ思います.

  今や我が国は出生率が1.5人を割り込み,国力を支えるべき生産人口がどんどん縮小しています.子供達の健やかな成長,若い人たちの活力なくして,この国にどうして明るい未来が描けるでしょうか?

  私が子供だった高度成長期の頃,決して今ほど豊かではありませんでしたが,そこら中に子供たちの声が溢れかえっていて,大人たちはそれを暖かく見守っていました.
  一昨年フィリピンに住む娘のところを訪れた時に感じたのは,当時の日本にあった活気のようなものでした.その理由を考えるに,やはり何よりも本当に子供達を含めて若い人たちが多いことも大きな理由だと確信しました.

  いよいよ来月,我が国は元号が「令和」に改まり,新しい時代を迎えます.この元号は「人々が美しく心を寄せ合う中で,文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです.
  私たち日本人は,国民誰もが心から幸せを感じられる国になるよう,狭隘な心を捨てて寛容の精神を取り戻せるかどうか,いま一度胸に手をあてて考える時期にきているのではないかと考えます.

さくら
↑神戸芸術センタービル正面の桜


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あなどれぬオノマトペ

2019.03.16(18:58)

 今年も3月なかば,三寒四温の日々で,春ももうそこまで来ているようです.

 さて,我々臨床医は,まず患者さんの訴えを聞き,診察をし,必要な検査を行い,そもそもそれが病気なのかどうか,病気ならばどんな病気なのかを絞り込んで行き,最終的に診断がついた,つまり病名がわかった段階で初めて治療を行うのが通常です.

 もちろん実際にはすぐに診断がつくとは限らず,さらなる精査を要したり,あるいは経過観察という選択肢しかない場合や,病名ははっきりしないけれども見切り発車的に治療を始めてしまうような場合も多々あるのですが,いずれにせよ,おおよそでもいいので病名がつけば,多くの場合標準的な治療方法は自ずから決まってきます.

 プライマリーケアを担う開業医の場合は,大病院のように高度な検査機器が揃っていない中で,それが緊急を要するもの,入院を要するものなのかをまず判断しなければなりませんし,ある意味そこが腕の見せ所というわけです.

 私が外科医だった頃は手術治療がメインですから,ほとんどの場合は内科の方できちんとした診断名がついた後でしたので,このようなプロセスはほとんどなく,簡単に言ってしまえば「切り屋」だったのです.

 だから,開業してからは,患者さんの訴えや限られた検査手段で病名を推測していくのは,ある意味クイズを解くようで新鮮な面白さがあり,非常に勉強にもなります.

 しかし訴えというのは千差万別で,我々医師の問診の能力はもちろんですが,失礼ながら患者さん自身のインテリジェンスや表現力にも左右されます.
 とくに病歴の長い場合やご高齢の方など,紙に書いてきてくれたり理路整然と説明してくれる場合はいいのですが,そうでない場合も多い.そうすると,さながら警察のようにあれこれ聞き出してこちら側でまとめるわけですが,患者さんの記憶が曖昧だったり,症状をうまく表現出来なかったりする場合も多く,結構時間のかかることが多い.

 また,「めまい」とか「しびれ」とか「動悸」などはかなりありふれた訴えですが,その言葉で意味するところは患者さんによって千差万別です.
 「脚がしびれる」と訴える患者さんに「ジンジンするんですか?」と訊くと,「いやいや,ジリジリです」「チリチリっていう感じですね」なんて答えがかえってくる.えっ?どう違うねん?という感じですが,その患者さんにとっては違うようなのです.
 この場合,私は「正座を長くしたときに脚が変な感じになりますよね,あんな感じですか?」と訊くことがありますが,「そうそう,それです!」と言ってくれる場合はともかく,「私は正座はしないので」なんてのたまわれると,トホホ…( ;∀;)という感じですが,また別の聞き方で質問するしかありません.

 また外国人の場合は,日本語に多用される,同じ音節を重ねた擬態語(onomatopoeia オノマトペ)がないので,より大変です.
 例えば 上述の「ジンジンした」という表現については,外国人の患者さんはよく「tingling〜」 というような表現をされますが,これは「tingle (ヒリヒリする)」という動詞の進行形です.ただ厳密に日本語と同じかというと,多少ニュアンスに違いはあるかもしれませんし,もちろん上述の「ジンジン」や「ジリジリ」や「チリチリ」を区別する単語はないでしょう.つまり日本語はオノマトペの多い分,表現の仕方も多言語に比べて遥かに豊かだということです.

 診断というのはアリゴリズムの典型で,問診や検査データを駆使して沢山の選択肢の中から論理的に絞り込んでいく過程ゆえ,まさに驚異的な進歩を遂げつつあるAIの最も得意とする分野といえます.
既に医療の世界ではAIがどんどん導入されており,画像診断などでは人間の見落としを見抜くくらいのレベルにまで達しているようです.

 ただ,こういう微妙で曖昧な,個人個人でニュアンスの異なる表現については,まだまだ臨床医の勘や経験,問診の能力が必要とされる部分ではないかと思いますし,我々もよりいっそう「感性」を磨く必要があると感じます.







医師の働き方改革だって??

2019.02.18(22:36)

  先日は医師会の急病診療所の夜間当番でしたが,この時期だけあって当日はインフルエンザの患者が山ほど来院,さすがに疲労困憊でした.

  さて,少子高齢化による労働力人口の減少や過重労働による過労死やうつ病がクローズアップされてきた昨今,今この国のホットな話題は「働き方改革」とやらで,長時間労働や正社員と非正規の格差などの問題が熱く議論されています.

  時間外労働の上限も厳しく決められるようですが,高度な専門職についてはその例外となる見込みで,特に我々医師の場合は,年間の残業時間が1900〜2000時間と,まさに上限などあってなきがごとし,医師は過重労働で死んでもいいということか?など予想通り多くの反発が出ているのは知っての通りです.

  他の職業とは異なり人の命を預かる仕事をする医師は,使命感や倫理観で滅私奉公するのが当然で,報酬や労働時間について議論することは一種のタブーという雰囲気がありましたし,私たちもそんなものだと思ってきました.そもそも,帰宅時間になったから手術中であっても中止して帰宅するとか,受け持ち患者の具合が悪くても休日だから見に行かないといったことは実際には不可能ですし,患者の家族が病状の説明を希望すれば,日曜祝日でも出勤していたわけです.

  ですから,この仕事に限っては労働基準法などどこ吹く風で,明らかに過重労働とわかっていても誰もが見て見ぬ振りをしてきたということです.
  時間外労働について議論されるようになっただけでも進歩なのですが,私たち現場の医師に言わせれば「なにを今さら?」という感じです.

  ただ,そもそも時間外労働の規定をすべての医師に一律に当てはめるのは無理で,また医師の過重労働の問題はそれだけで解決できるような単純なものではないと私は思います.

  批判を承知で言えば,少なくとも医師としての基礎を築くべき卒後数年感は,時間外労働の上限など決めること自体が意味をなしませんし決めるべきではないとさえ思います. 
  そもそも臨床医学というのは,いくら机上で勉強して知識を得ても,実際の症例を経験しないと身につきません.外科系など特にそうで,本を読んだだけでは手術が出来るようにはならないのです.
   鉄は熱いうちに打てといいますが,研修医の時期はまさにその通りで,とにかく1例でも多く患者さんを担当したり手術や検査を経験することにより腕を磨く時期なのです. 経験数と臨床医としての技量とは比例すると言っても過言ではなく,私の若い頃も,少しでも多くの経験を積むべく,同僚たちと競争し切磋琢磨しました.
  最近の研修医は待遇面で以前よりかなり恵まれていますし,勤務時間も労働基準法に則り,残業もなるべくさせないようになってきているようですが,頭が柔らかくて体力も気力もあるこの時期にこそ厳しいトレーニングを積ませなくて,いつ積ませるというのでしょうか?
  医師としての技量や心はこの時期にこそ育つと言っても過言ではありませんし,欧米でもレジデントは我が国以上に厳しいトレーニングを受けています.そういう意味ではアスリートや音楽家と何ら変わりはないわけです.

  もちろんオンオフや休日を明確にして心身をリフレッシュさせることも重要なのは言うまでもないことは付け加えておきます.

  ただ,卒後10年以上経過してそこそこ一人前の中堅クラスとなると,役職がついて研修医の指導だの学会発表だの書類書きだの会議だのと,いわば中間管理職としてさまざまな雑務もしなければならなくなってきますし,多くの場合家庭を持って子供もでき,また体力的にもすこしきつくなってくるわけで,この時期くらいからは,やはり残業時間に制約を設けたり,雑務を減らすべきだと思います.

  それから,患者サイドの問題も解決すべきです.
  少し熱が出だだけで大病院の救急外来に行くようなコンビニ受診や,オフの日にまで主治医を呼び出して説明を求めることや,理不尽なことで暴言を吐いたり訴訟に持って行こうとするクレーマーは何とかして欲しいですし,医師は高給取りだし人の命を預かるのだから滅私奉公しても当然だろう,というような前時代的な固定観念も困ったものです.

  また,医師が本来の業務に専念できるようコメディカルを多用したり,主治医制ではなく完全なシフト制にしたり,地域間の医師の偏在を解消するなど,医療を取り巻くシステム自体を根本的に変えないと根本解決には繋がらないと思います.

  私たち医師の大半は仕事が好きですし,情熱ややりがいを感じていると思いますので,ある程度であれば残業することなど何ら苦痛は感じていない者がほとんどだと思います.
  働き方改革を医療現場に当てはめるのであれば,国のお偉い方々も何より我々現場の声に耳をよく傾け,時間外労働の設定もさることながら,こういった部分を改革してもらわないと,真の意味での改革には至らないでしょう.


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年始雑感

2019.01.15(22:52)

 新しい年が明けました.

 年末年始は,私たち夫婦と東京の次女夫婦に娘の義母も加わって,ハワイはホノルルで賑やかに過ごしました.ハワイは,はるか昔のハネムーンを含めて4回目ですが,いつ訪れても変わらぬ抜けるような青空,どこまでも澄んだ美しい海,一年を通して優しく穏やかな気候が身も心もリフレッシュさせてくれます.

 ホノルルの中心地やワイキキビーチは世界中からの観光客で終日多くの人で賑わっているのですが,いくら人が多くても,不思議と東京や大阪のようにごった返しているという感じがしない.ここだけはまるで浮世と隔絶された世界のように時間がゆったりと流れているようで,人々の表情は誰しもが明るく,穏やかなのです.

 訪れる人誰もが,日常の喧騒を忘れて身も心も癒され,気持ちも優しくなれる,これこそが,ハワイが万人を引きつけてやまない所以なのだと思います.

 新年は,世界中の多くの人々とともにワイキキビーチに集まって,華やかな打ち上げ花火を眺めながら楽しくカウトダウンで迎えることが出来,大袈裟ではありますが,平和とはこういうことなのだと思いました.

 さて,今年はいよいよ平成最後の年,我が国は新たな時代に入ります.

 平成の30年,東西冷戦が終結し,急速なグローバリズムの拡大,そしてITの進歩に代表される驚異的な技術革新が起こりましたが,その負の側面として現れた自国第一主義,極右の台頭,経済格差の拡大,テロリズムの頻発,米中の覇権争い,など,一歩間違えれば第三次世界大戦にも繋がりかねないような不穏な空気が産み出されてしまっています.

 我が国も戦後の奇跡的な復興と高度成長期が終わって長い停滞期にはいり,貧困や格差,教育,社会保障,安全保障などの課題が山積の上,地震や災害が頻発しています.
ここ数年景気が回復してきたとはいえ,世界情勢とも相まって殆どの国民が自分の将来に先の見えない不安を抱えていることは否めません.

 医療の世界では,医療技術の驚異的な進歩は多くの疾病を克服し平均寿命を延伸しましたが,国家財政をおびやかしかねないほどの社会保障費の急増,少子高齢化や核家族化による介護の問題,終末期医療など,これまた待ったなしの課題が山積です.

 これからの時代,人間にとって本当の豊かさや平和とはどういうことなのか,いま一度真剣に考えること,そしてそれらは決して自然に与えられるものではなく,世界中の皆が知恵を絞って作り出していくのだということを一人一人が肝に命じることが何よりも必要なのだと思います.



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円熟の境地

2018.12.15(17:22)

  今年もあとわずか,いよいよ平成最後の年末を迎えようとしています.

  例によってこの時期は昨年にも増して超多忙な毎日となっており,待ち時間が長くなりがちですが,スタッフ共々良質な診療に日々腐心しています.

  先月末にはサックス仲間たちと少し早い忘年会があり,二次会で訪ねた三宮の有名なジャズレストラン,SONE(ソネ)でひとときのライブを楽しみました.
  この日の出演は知る人ぞ知る関西出身のアルトサックス奏者,古谷充さんでした.

  サックス歴50年,齢80を超えて今なお現役で活躍されている古谷さんの,超ベテランプレーヤーらしい立ち居振る舞いと,年輪を重ねることによってしか出せない円熟味と時には哀愁さえ感じさせる音色はいつも耳に心地よく,そして心に染み入ります.しかも,時には途中で楽器を置いてその渋い声でボーカルまでこなしてしまうから驚きです.

  若手奏者のような派手さはもちろんなく,街中を歩いていたらただのジイさんでしょうが,いざ舞台に立った時のプロフェッショナルとしての姿はいぶし銀という言葉がピッタリで,本当にカッコいいと思います.

  我が国は世界に先駆けて人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎え,長い老後をどう支えるかということが社会保障政策の喫緊の課題となっています.
  書店を見ても,最近は老後の生き方に関連する書籍が所狭しと並べられており,人々の関心の高さをうかがせます.

 古谷さんのような生き方を誰しもが真似できるわけではないにせよ,何歳になっても自分の好きなことを続けることが出来,かつそれが人々を幸せにするもの,喜ばれるものであれば,これほど豊かな老後はないのではないかと思います.

 わたしも今年とうとう還暦,否応なしに自分の老後に関心を持たざるを得ない年齢となりました.
 
 来年はいよいよ元号が改まり,私も人生の後半戦に入ります.好きなこの仕事を少しでも長く続けられること,そして趣味や旅行をいつまでも楽しく続けることができれば,それち過ぎたる喜びはありません.

huruya



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